デジタル社会の禅本の中の「佛」の文字は、ことごとく「禅」の文字に変換してお読みください!

私が意訳しようといる禅本「碧巌録」・「無門関」にしても、以下、臨済録も「佛」の字は、すべて「禅」の文字に置き換えて読まれるよう推奨します。

現代人には「佛」の字は、仏教とか、教祖=釈迦牟尼仏とか、ずいぶんと宗教めいたイメージに束縛されて、純禅とは程遠い言葉だからです。

禅が中国にもたらされたのは、菩提だるま(約1500年ほど前)のこと。佛心宗として寺僧の揺籃を得て、日本に伝えられました。欣求(ごんぐ)宗教の1派として成立しましたが、教外別伝・不立文字・・文字に書けない、仏陀の教え(仏教)の別のこととしてでした。別段、経典もなく、釈尊(仏像)に祈願することもなく、ひたすら面壁9年の達磨さん(坐禅三昧)で足がなくなったといわれた奇異な集団でした。

デジタル社会に至った20世紀後半から、ようやく個(孤独)の時代となり、禅を紹介した仏教学者・禅者 鈴木大拙翁の功績によります。

宗教から脱皮した「禅」を、宗教でも、哲学でもない「禅ニヨル生活」の1歩が始まっています。

この鈴木大拙に、戦前・・師事したのが、富山県氷見市・・加納 白鷗居士。寒ブリで有名な魚問屋を次男に譲って、京都に出「禅ニヨル生活」を、画業/禅境(地)書・禅境画で表現しています。戦前には、高岡の臨済宗・本山 国泰寺の江南軒 勝平大喜老師に参禅。「大魯」と、二つの居士号をもつ徹底大悟の禅者です。

禅者の一語 出版時に紹介する、臨済の見性の偈(PHOTO)を見るまでもなく、臨済宗の宗祖  臨済義玄(?~867)は、臨済録「行録」の部、鳳林に到っての問答「弧輪独照 江山静 自笑一声 天地驚」こりん ひとりてらして こうざんしずかなり おのずから わらういっせい てんち おどろく・・月輪、江山湖水を照らして静かなり。大喝一声 天地驚く・・相対を絶した弧月、妄想煩悩のザワツク世にあって抜き差しならぬ静けさだ。恐ろしい臨済の向上の一喝で、禅(全)世界が粉微塵になったぞ(臨済録講話 釈宗活著(昭和16年 光融館 発行。抜粋)

この偈(書)は 一見するだけで、禅機禅境の近づきがたい迫力に圧倒されます。このPCに写しかえる方法がわからず、掲載できません。お許しください。

加納白鷗・大魯居士(1914~2003)は、私の父です。わが名は、参禅の師 勝平大喜老師より国泰寺の泰次をとって名付けていただいた手紙を大事に保管しています。

父母、兄五郎の墓は京都、東山山麓 浄土真宗 延任寺にあります。

文章が散逸しました。まとめます。

表題の通り、臨済録の「佛」の字も、碧巌録や無門関の(佛)の字も、禅本に関する限り「禅」に読み替えて看よと、言外に教えたもらったのは、鈴木大拙翁・勝平大喜老師の著作・そして父の禅境(地)書画でした。

現代は・・団体の修行道場や寺僧の教導から卒業して、一人・独りにある「禅」の自覚・発見に勤(いそ)しんでもらいたいと願っています。

私は【3分間独りポッチいす坐禅】を提唱しています。

誰にも言わず語らず ひとりだけで イスなりベッドなり電車の中でなり‥呼吸の数息(10秒程度)18回‥行うだけ。無功徳・無垢(効)用に徹した禅行です。

有(会)い難うございました。

 

 

今、ここで一度死んで、生き返りなさい!・・ハヤ2月・・PC故障・買い換えて使用法わからず悪戦苦闘60+23の馬翁です!

過年来、この奉魯愚(ブログ)を見て、3分間独りイス坐禅をしてみようと思われた貴方・・

禅は「不立文字」・・言葉にも文字にもならぬ、説明できない人生・・生きることへの問いですから、納得の答えは自分一人で見つけるしか手立てはありません。

ですから 唯一「悟り」に至る道は、現在のデジタル社会では「無言の坐禅」しかありません。

ただし坐禅したからとて、悟れる保証はありません。 釈尊坐禅して悟られたのでははく、暁の明星〈金星)をご覧になって、ハッと直観されたのす。 悟りは人さまざま。 梅の香りで・・庭掃除のとき竹に小石が当たってとか・・禅機はバラバラ。 画一性は全くアリマセン。 とにかく私の奉魯愚も読んだら、すぐに忘れて、独りポッチで、3分間坐禅なさい。 貴方は宇宙でたった一つの遺伝子をもち、たったひとりで生きているのです。

宗教や哲学、たとえ宇宙の彼方・他の銀河系の知性体に電波で問いかけてみたって、ラジオで100年。 レーザーでタッタの30光年。 広大な宇宙空間であれば何処からも助けに来てくれません。

自己に向き合うには、自己を見つめるしかなく、鏡や写真やスマホ(電磁的媒体)では、確かめることにはならないので 独り坐禅に帰着しました。

 

奉魯愚は、はてなブログ⇒「禅者の一語」/「禅のパスポート」/雑記「禅・羅漢と真珠」の3タイトルで分けました。

なんのことはない、一つにまとめ うまく編集できない PC知識のなさが理由です。

関心のある方のみ、面倒でも、3回(いずれも無料)の検索をして、言葉たらずの禅語解説ご覧ください。

禅は「独り坐禅」で行うものです。集えば集うほど、青空に沸く雲の如く妄想します。

●伝灯録 たった2行=13文字 記載問答 紹介

百丈(懐海)師の馬祖(道一)に問う「イッタイ何を禅に求めるのですか?・・如何是佛旨趣」 

*佛はZENの意=禅本の佛は、ことごとく「禅」と書き(置き)換えて読まれるよう推奨します。

馬祖(道一)「マサに今ココで身・命を捨て去ること・・正是汝放身命処」

 

禅は「自力・他力・神の力など かりることなく 独り自覚」できる・・!!

元服の書                    

      2023(令和5)年12月12日

        *禅・坐禅について(高校生等 求道の問いに)応えています

前略)禅において最も注目すべき事は・・宇宙や生物・人類の興亡のみならず、我々自身の苦しみと危機を・・人間あるいは自力・他力、あるいは危機を救う神の力「*deus ex machina*」なしに・・全く何の力も借りず解決できうるということである。

鈴木大拙選集 第24巻 大拙と禅を讃えて】R・H・プライス                                               保存版 第2刷追巻第3巻(株)春秋社発行 

(後略/抜粋要約p278~英文解説 石橋 裕訳16頁の15頁目)

この1冊 ラストのR・H・プライスの英/訳文を読み終えて、著者 鈴木大拙先生が、発行の昭和37年頃(僕が19才 明大の2回生頃)北鎌倉 円覚寺の向かい側、駆け込み寺=東慶寺 山頂の松ヶ丘文庫に坐住 執筆されていたご様子を思い出した。                          

父が戦前から、参禅の師として師事。法人 松ヶ丘文庫の創設に奔走したご縁があればこそ・・またそれ以前、富山県高岡の臨済宗大本山 国泰寺で江南軒ご老師に参禅して「大魯」の居士号を受け、昭和●年1月3日 僕が生まれたおり、国泰寺の泰寺をとって「泰次」と名付けていただいたご縁もあります。また父は、加賀 松任の出の母と結ばれて代々 氷見で魚問屋を営んでおりました。しかし体が弱く、家業は弟に譲り 自分は、近くの禅宗 国泰寺に参禅。鎌倉におられた禅哲学の泰斗、鈴木大拙博士の鞭撻をうけ書や墨筆画を志します。後年、鈴木大拙翁から「白鷗」の居士号を重ねて得た世界でも奇特な禅境書画作家でした・・1914(大正3)年9月28日~2007(平成19)年1月3日(寅92才逝去)

かって私がお会いした・・達道の禅者は、どなたも自分をヒケラカサナイ 清逸な方ばかり。「全部が正直な方で、正直禅者のみが禅ニヨル生活」をしているようです。京都でお会いした禅文化研究所の諸先生たち。南禅寺の柴山全慶ご老師など・・父おればこそ、お目にもかかれ親しくお話出来た方々でした。

何故、このようにチョットした記録をしているかというと・・私が父の生前・・「禅の墨蹟書画全集」の発行制作を約束しておりまして、どうやら体力・気力ともに、明年あたり、妹の福子共々、書画・墨蹟など作品の写真を撮影・編集準備しなければならない時期がきたからです。

禅境書偈・墨蹟画は、文字、言句に頼れない禅(境地)を代弁して、その禅機・禅境の全(まった)きを表現(表情)していると思っています。この出版の履歴に参考にしておきたいからです。

禅は、もともと「どの人ももつ自分独りの自覚生活」そのものです。それに気づくのに役立たずで無価値な「独り坐禅」をなさること・・が大切な独参=独悟の必須です。        

禅は宗教でもないし、道徳やヨガのような 心境の錬磨修行のようなものでもない。造作のない「自然と同根」の体験さえ発覚できればOKな・・生活の実行です。    

禅を世界に知らしめた仏教学者、宗教哲学者・・鈴木大拙翁といえど、「冷暖自知」するにしかず・・と、禅の公案を事例に紹介なさるのである。 

だから、とりわけ外国人で「禅」に関心のアル方は・・鈴木大拙全集を読み ドップリ英文や外国語文献に浸りこんで(矛盾する言い方ですが)文字や言葉・造作からではない【生きた禅ニヨル生活】を実務の生活・行動から~禅境画や独りイス坐禅から~摂取することを推奨します。昔の日本には、この風土そのものに「禅」は生きておりました。今は消え去りナイのか・・あっ(会っ/在っ/有っ)ても誰も気づきません。

冒頭、何の力も借らず 独り自ずから会得する境地を、鈴木大拙選集 第24巻 P158の禅問答から 紹介しておきます。

般若寺 啓柔禅師が上堂の際 板声が三度高らかに打ち鳴らされるのを聞いて、大衆はすべて堂に集まってきた。                  そこて師一偈を示して曰く・・

妙なるかな板鳴ること三声、諸僧みな来参す

すでによく時報を心得ておるから

今わしが改めて繰り返すには及ばぬ」  

こういったまま師は堂を去って退いたソウナ・・(同-雲六/五十五丁のA)

(コンナ出来事で見性のヒトカケラが見付かったなど思うなよ 詮索無効 言訳不要) 

 

       有(会)難とうございました。

デウス エクス マキナ・危機を救う神の力*

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【叩けよ 開かれん】・・釈 宗演 座右銘

【叩けよ開かれん】

3分間独りイス坐禅する求道の方に・・     2023年12月9日

禅・坐禅について(の求道の問いに)応えています

この本は、何故か・・バイブルのタイトルに似ているが・・定価壱圓八拾銭 著者、釈 宗演。発行所、東京市小石川区宮下町43番地 京文社書店 昭和13年10月6日弐拾六版

出くわしたのは・・僕が18才 京都の高校を卒業して、明大文学部に入学、上京した時だ。

北鎌倉 円覚寺の一庵に寄宿させてもらっての通学時、60年安保のデモの最中・・神田小川町の古本屋で、初めて買い求めた「禅」の本でした。

東大の樺 美智子さんが亡くなられた騒動があった騒がしい年である。

63年前の古本は、今、大きなゲタ箱を清めて本棚にしている最下段の片隅で発見した。

さて 1~2則しか思い浮かばない座右銘を紹介すると書いて、早くも3カ月。

年の暮れである。               

だが「生死事大 無常迅速」3分間坐禅のベテランの方だけを対象に、漢文読みだけ書いて、後は、各自、自分の年期が入った禅境(地)の分だけ 味読して下さい。

私など、60年~ぶり。まったく新鮮で、入学したての18才の想いに時を忘れました。

「叩けよ 開かれん」 釋 宗演 著   東京京文社 発行            

             衲が座右の銘                         (1)早く起きて いまだ 衣をかえざるに静座すること    1炷香(しゅこう)せよ。                              

(2)すでに衣帯(いたい)をつけなば 必ず神仏を禮(れい)せよ。       

(3)眠りは時を違えざれ、食は飽(あ)くに至らざれ。         

(4)客に接するとき独り處(お)るがごとくせよ。独り独(お)るとき 客に接するが如くせよ。                     

(5)尋常(じんじょう)苟(いやしく)言はざれ。言わば必ず行(おこな)へ。                              

(6)機に臨(のぞ)みては譲(ゆず)る勿(なか)れ。事に當(あた)っては再思(さいし)せよ。                    

(7)妄(みだり)に過去を思う勿れ。遠く将来を慮(おもんばか)れ。

(8)丈夫(じょうぶ)の気を負(おお)い、小児(しように)の心を抱け。                              

(9)寝(しん)に就(つ)くとき、棺を蓋(お)うが如く、褥(じょく)を離(はな)るゝに、履(り)を脱するが如くせよ。               

【就寝如蓋棺 離褥如脱履】9則目だけ漢文で書いておきます。

漢文をスラスラ読み書きできる人は、情操が深くあられることを感じます。

●なにせ 私は60+22の馬翁。PCの扱いになれずスマホは持っておりません。あともう少しで編集が完了します。乞うご期待!でもなく、独りポッチの生活禅行です。

これからは、はてなブログ3タイトル・・別々のテーマで記載したり、共通項の想いを順においかけて紹介したしたりします。                

禅に関心のある方は、どうぞ折・・のぞいてみてください。

有(会)難とうございました。

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はてなブログ 羅漢と真珠・・独り3分間イス坐禅/禅語/附記・随筆 作文中

 

●形でもない・色でもない・・3分間のイス禅スレバ、悟れるか?

羅漢と真珠   

坐禅すれば「禅」を理解できるか?    

・・悟れるか!

答えは「NO」です

唯の独りポッチで行う・・3分間イス坐禅です。美容や健康・精神統一をはかる、効用効果(造作)坐禅ではアリマセン。

いくら禅・坐禅に「何か」を期待しても、得られるものは何もなく・・禅(覚)者にはなれません。

どうしてか・・お話しします。

以前、磨塼作鏡 マセンサキョウという禅語録に出てくる中国唐代の馬祖道一と師の南嶽懐譲の「瓦を磨いて鏡となす」坐禅修行をして悟りを開く・・そんなことは不可能だ!という問答を紹介しました。

電磁的社会のアナタは、釈尊菩提樹下、悟りを開かれたとか・・達磨が遠くインドから支那(中国)に船旅をして、禅を伝えたといわれる逸話など、知識として知っておられるでしょう。でも、「禅」を理解する・・という大間違いのもとは・・釈迦が「坐禅」をして悟りを開かれ・・その釈迦(正覚・禅・解脱)の教えが「仏教」だと思われている・・そもそもの土台から間違っているのです。

これは「禅」と「仏教」が混同された歴史的社会(教団宗派の揺籃期・・禅(個人)と欣求宗教(組織)が明確に区分されていないことが原因でした。

ありていに言えば・・仏陀(ゴーダマ・シッダルダ)の悟りと、その教え(大悲大慈の欣求宗教)と混同してしまったのです。

禅は、仏陀が悟りを開かれる以前、すでにバラモンの教えとしてあり、無常を観じられたシッダルダは、妻子を捨て家出して独り坐禅をなさいました。やがてブッダガヤで、暁の明星を看られて、悟りたる人=覚者・・つまり仏陀(禅者)の一人になられたのです。

この禅(静慮・大覚・悟り・解脱)は、求道者の独り一人が、自己の心の中に問うべき「?」であるのに 大悲大慈のために「欣求(ごんぐ)仏教(宗教)」として集団(寺僧ニヨル組織的な)修行でなければならないとして「宗教」を仕立て上げ、布教して回り教団(組織の)勢力ご中国へ、日本へと伝播してきたと考えています。

たしかに、仏教の中でも一番遅く支那に渡来した達磨の禅は、激しく為政者(皇帝)から迫害を受けたり、日本では朝廷(天皇)の庇護を受けたりしました。釈尊から数えて2500年ほど・・ダルマから1500年ほど経過した、アナログからデジタル(電磁的)社会になった今日まで、禅は寺僧(宗教)との間に、親離れ子離れができていない・・と考えられます。

このことは「禅」が「欣求宗教」ではないとした昭和初期の素玄居士(高北四郎著 提唱無門関 ・・絶版中)の著作にも明らかです。江戸時代中期の盤珪永琢の「不生禅」には、禅を世界に紹介した禅者・佛教学者の鈴木大拙博士も注目されていました。この不生・庶民禅に宗教的禅(マーケテング・・組織禅)の悪臭はありません。

 

古くは釈尊菩提樹下の大覚(見性)以来・・唐代の禅者達の語録に、仏像を焼いて暖を取ったり、悟りの証拠である師から貰った衣鉢や机など捨ててしまったりする禅者がおうおうに語録に登場します。

お経をトイレ紙と吐き捨てる禅者・公案が語録にあります。当時・・禅者は真っ裸の心、全く素直で正直でした。

寺僧の教導(共同)利益、存続発展の生業(ナリワイ)は、微塵も窺われません。

 

あるいは・・「南無釈迦じゃ娑婆じゃ地獄じゃ苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃというが愚かじゃ」とか・・梵天に乾いたクソを捧げるといって遷化した、日本の一休さんや、また、乞食の生涯・・雲溪桃水(うんけい とうすい1612~1683)。その友・・孤高の禅者 大愚宗築(たいぐ そうちく1584~1669)・・あるいは武士から身を禅に投じた無教団の石平(山)道人=仁王禅の鈴木正三(1579~1655)。いずれもが江戸初期~中期にかけての民間、庶民の「禅ニヨル生活」を説いたアウトサイダーな純禅・居士禅の方々が沢山、輩出されました。

 

後の別章で紹介する不生禅は・般若心経の「不生不滅」の一句「不生」で、すべてがととのう・・と喝破した盤珪永琢(ばんけい ようたく1622~1693)など・・の面々は、1580年代から1690年代、日本の各地で、宗教(的)でない禅者として「禅ニヨル生活」を庶民に説き示した純禅の人たちです。

 

あるいは・・良きかな愚の如く 道、転(うた)た寛(ひろし・・)の独りマリをつく大愚良寛(1758~1831)と、まったく禅を忘れて禅境画を揮毫した仙厓義梵(せんがい ぎぼん1750~1837)は、たった8年の年違いで、両者は自由気ままな禅者同士・・どこかで、日本の同じ空気を吸っていたはずです。

近くは「鉄鉢の中へも霰(アラレ)」と謳った山頭火(1822~1940)・・これら列挙した禅者達は、宗教・教団的な臭みは(みごと純禅とともにある生活に)脱臭されているといって間違いなかろうと思います。

 

禅を、誤解を恐れずに言えば インドで発見された数字【0】ゼロを、六道輪廻の人生観に別個の超越する浄土(極楽)を設定して欣求する教団組織として体系化したのが仏教全般の概念でしょう。インド仏教は、さすが実際的実利的な中国(支那)の地に合って、言葉にも、文字にも現わせない「禅」を、根本(素・元・玄・宗)に据えた教え・・仏(仏陀=正覚)者の教えとして「禅の宗・モト」と名付けたハズでした。ところが、中国への進出に遅れて海路、ノコノコやって来た達磨禅を、すでに開拓を終えた他の仏教教団が、仏教全体の素(モト・宗)とは認めませんでした。

【禅】これを例えば・・としておきます・・数字【0】は、具体的・実利的な支那文化の中で「教外別伝・不立文字」とか「正法眼蔵 涅槃妙心 實相無相 微妙法門」とか・・訳が解らない漢文の「妙」とか「相」とか「空即是色」とかの、不思議な文字表現に取り込まれて、宗教(集団・組織)上の新宗派として成立していきました。

そして日本に伝播したのです。これは何事につけ、継続拡大をはかる、人間の社会的組織の保存・拡大の方法です。寺僧と欣求宗教は、ありていに言えば、常に市場(フィールド)に 信仰の需要を拡大するマーケテング(集団)活動なのです。

しかし、中国に臨済の登場する時代までは、禅は孤独な深山幽谷に隠れ住む求道者のみの純禅でしたので、これに同調(シンクロ)できるはずがありません。モチロン何事につけ「造作」を完全否定して、棒・喝をふるった禅者達の背後には、慈悲を隠れ蓑にした禅宗教団が枝葉を伸ばしています。ソレデモ・・よくぞまあ・・臨済宗黄檗宗曹洞宗の三宗派が、第二次世界大戦(1945)位まで・・どうにか昭和の年号~1989年が終わるまで息を繋いだ・・といえましょう。

そして21世紀・・世界がデジタル(電磁的)社会となり、コロナウイルスによるパンデミックでアタフタする状況になりました。

今こそ禅は宗教(観光拝観禅)からから脱皮して、親離れしなければ未来はないと考えます。

抹香臭い葬式とか政治政党に絡む教団仏教に宇宙時代(量子力学)の若者はついていけないでしょう。「ZEN」は、釈尊正覚の初めから今日まで、ズット~未来永劫~欣求の宗教「禅宗」ではアリマセン。

坐禅は(禅ニヨル生活をする・・行)禅ではありませんから、私は、坐禅をするなら、効能書きのない、役立たず、無功徳(無価値)の・・独りイス禅(初心の方には数息坐禅)を推奨します。サア坐禅でもスルゾ・・と根をつめて、足の痛い苦しい三昧(集中)に成ろうと努力しても 絶対に「悟り」は開けず、むなしく労力を費やす・・無駄と言うべきでしょう。

心理的異常(魔境)を醸成するような・・お寺の坊さんが跡継ぎ資格を取得するための専門道場や僧堂の修行など、もはや卒業するべきです。確かに、身も心も安(やす)んじるには、無価値で効能のない(TPOの)坐禅が大事です。しかし、おやりになれば、正直・・人は3分程度で、どんな人も集中する糸が切れてしまいます。紹介しているイス坐禅でも 多少の知見や省悟、覚悟ができたにせよ、世事・雑用に追われてしまえばどんな達道の師と言えども、後は空(無)の禅境は消え失せて・・必ず妄想が湧いてきます。釈迦も達磨も修行中とは、このことを言います。悟後の修行、30年とも言います。

しかし わずか3分間の【isuzazen】といっても、僅か3分間程度の坐禅に足が死んだと外国人に言われる僧堂の接心と、どんな修行の違いがありましょう。3分間で充分じゃありませんか。足が痛いのを我慢して、無理やり結跏趺坐して、脂汗を浮かべて「嘸~ム~」力んで「悟り」が得られるものなら、千年前の馬祖とその師、南嶽懐譲の磨塼作鏡(マセンサキョウ)など、何のために語録として後世(現代)に残っているのですか。あえて誤解を承知でいいますが、浄土真宗・・愚禿親鸞(禿げ頭のしんらん)上人は、息を引き取る間際に、1回、南無阿弥陀仏と祈りなさい。阿弥陀如来の救いがあると言われている。人生、最後は、弥陀の本願におまかせしようと思います。

釈迦(釈尊)や達磨や臨済や趙州や、千年ぐらい前までの禅の求道は、独り一人に備わっている「ZEN」・・般若心経の「色即是空」の「空(無)」を・・独り一人が自覚自悟することでした。

それこそ・・今も変わりないのです。

ですから、釈尊は明星禅・・達磨は壁間・無功徳禅と言い、六祖恵能は「本来無一物」禅。臨済の禅は「無位の真人」禅、または「無造作の禅」といい、趙州は無(字)禅、喫茶(去)禅といい、一休は風狂禅、盤珪は不生禅、鈴木正三は仁王禅、雲溪桃水は「乞食禅」。あるいは白隠は隻手禅・・良寛さんは「(焚くほどに風が持て来る)落ち葉禅」・・山頭火は「鉄鉢に霰(アラレ)禅」あるいは「濁りつつ澄む禅」・・釈宗活老師は「両忘禅」。山本玄峰老師は「性根玉」禅。世界に禅を紹介した鈴木大拙翁は少し理屈を入れて「禅ニヨル生活」禅。久松真一先生は「絶対無・主体禅」素玄居士は裸(心)禅・・私は、「役立たず(無価値)の独りポッチ禅」を提唱して、現代の若者に推奨いたします。

イヤハヤ日本に伝播して1500年の宗教・寺僧による観光拝観禅を、庶民の独りポッチ禅・・不生禅・・達磨・無功徳禅・・にスウッチさせるのは至難な出来事です。ですが自分を大変身させるほど難しいものはないと心得て、無価値な禅の紹介から始めます。

【附記】もともと「正法眼蔵」という言葉は中国で作られた偽経「大梵天王問佛決疑経」(だいぼんてんのうもんぶつけつぎきょう)の拈華品(ねんげぼん)第2に、お釈迦様が摩訶迦葉(マカカショウ)尊者に法(禅)を伝えられた時の言葉の中に出てくるといわれます。

*参考 西村 惠信 著 抜粋「臨済録をめぐる断章」(自己確立の方法)発行・禅文化研究所

*私は仏典に出てくる すべての法や佛の文字・表現をすべて「禅」と書き改めて読みます。聞きます。いずれにせよ文字や言葉は「名月蘆花 君自(みずか)ら看(み)よ」です。あてにしたら北極を目指して、南極にたどり着くような大間違いをしでかします。 

次回は「悟り=大覚」の真相・・親離れVS子離れ・・コロナ終焉こそ「坐禅の正機」など2年有余の無沙汰を打ち破る・・奉魯愚を出して、出版につなげます。何を寝言を言っているのだ・・と獅子吼する禅者・・一人でもよい・・火星や土星に向かう船の、無重力のイス坐禅を行う・・アストロノートの出現を祈ります。

                        有(会)難とうございました。

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窓開けて・・春は☝でつまめるか?

元服の書 NO62            

中学高校生とその親御さんたち~第2の人生を歩む方の問いに答えて・・

窓あけて 

 窓いつぱい山頭火(1882~1940) 

    新年を寿ぐのも 程々の老いとなりました。

     何かの折のお手紙はさておいて、勝手ながら

      賀状を取りやめて 今にいたりました。

 

                      令和4年1月3日 馬翁+20 加納泰次

   

PCやスマホの使い方も 幼稚園なみの馬翁が、何の役にも立たぬ禅語録の意訳を試みております。読者の方から100個以上の☆印をいただきながら、その方のブログを拝見もせず、ご返事も出せず、出さず・・どうぞ、お許しください。私は、師を持たず、本を読まず、寺僧の教導を受けず・・の独り接心(坐禅)を提唱しております。これが釈尊や達磨禅の根本だと思います。もし、興味あって、ご参画なさる意思があれば、決して、二人以上の、組織・集団に加わらず、独り坐禅に撤してなされることだけが、入門の条件です。言いふらすことも、有料なこともありません。寝る前や起きてすぐの3分間、ひと呼吸10秒程度の呼吸を18回。目を半眼にしてなさってください。それだけで充分です。この山頭火の禅詩も素晴らしい公案です。窓を開ければ、開けた分だけ春が飛び込んでくるのか?窓を開けなければ春はないのか?窓を閉めればイキナリ冬になるのか?春は☝でつまめないのか?花の香りは春ではないのか?・・春を自分と置き換えて、心を開いてみれば、開いた心一杯の自分(私)ではないのか?閉じた心に、自分はないのか?・・などなど・・思いは頭の分泌物と言われた方がいますが、迷うことが悟りでないのか?煩悩即菩提というではないか?と、自分の中の自分に問い詰めるのが・・坐禅です。といっても、頭は「考える」ことを「考えられません」ので、同じところを回っているようですが、あわてず騒がず、3分間坐禅してみてください。ほんの少し、自分が変わっていることに気ずかれましょう。

自分を発見できるのは自分しかいないのです。

有(会)難うございました。 

 

 

    

 

 

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呼吸+弓(究)道⇒禅

元服の書 (羅漢と真珠)61-3 

 弓和尚こと・・故/須原耕雲老師・・

           *求道の問い(禅語碌の至言)に答えて書いています

円覚寺の境内に横須賀線北鎌倉駅がある。

夏目漱石が釋 宗演老師に参禅して「門」という小説を書いた臨済宗の本山である。

石段を上って山門を入ると、杉木立の大木が聳え立つ本堂・舎利殿へ続く登りの坂道となる。

その左手に弓和尚の名で知られた我が師、故・須原耕雲老師の焔魔堂(弓道場)がある。私が、大学入学時、縁あって寄宿した続燈庵は、ちょうど舎利殿(専門道場)の裏手にあたる山頂近いところだ。

今から60年位前の頃・・まだまだ深山幽谷の趣きがあった。鳥の巣が参道の木々にあり、ウズラが子ウズラを列にして小走りしていた風景を思い出す。

今時の紅葉や桜狩りの押すな押すなの観光化した禅寺と訳が違う禅寺だった。

たまたま手紙類を整理中、平成11(1999)年、会社の仕事(57才時)の帰りか、お伺いした際の、老師からの手紙があり、その中に同封されていた「巻き藁(まきわら)」という弓道場生宛ての会報(原稿用紙に手書きしてコピーされた)が二篇見つかったので・・  

「禅者の一語」元服の書NO61-1/「禅のパスポート」元服の書NO61-2/

「羅漢と真珠」のNO61-3/・・12/3付け奉魯愚で紹介します。

現在、出版の準備(第3稿)を編集しており、追加したり削除したり、徹しきれぬ一面をさらけ出して、恥をかく有様ですが、明夏まで位はかかりそうです。この奉魯愚で 古武士の如く弓道場におられた老師の佇(たたずま)いを 読み取っていただければ・・と念願いたします。3分間イス坐禅の極意は「弓和尚の澄心」であり、調心(ととのえる)であり、欧米の方にも、弓道は「究道」だと「禅ニヨル生活=行い」を教え、諭されたのです。その呼吸法を、噛んで含めるように語られておられるのです。                           

有(会)難とうございました。

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