元服の書㉑ 円覚寺續燈庵 故・須原耕雲(弓和尚)のこと・・

元服の書㉑  

弓和尚こと・・故/須原耕雲老師・・

中学・高校生の・・求道の問い(禅語碌の至言の意味)に答えて書いています

 円覚寺の境内に、横須賀線 北鎌倉駅がある。

夏目漱石が釋 宗演老師に参禅して「門」という小説を書いた禅・臨済宗の本山である。

石段を上って山門を入ると、杉木立の大木が聳え立つ、本堂・舎利殿へ続く、緩やかな登りの坂道となる。

その左手に弓和尚の名で知られた我が師、故・須原耕雲老師の焔魔堂(弓道場)がある。私が、大学入学時、縁あって寄宿した続燈庵は、ちょうど舎利殿(専門道場)の裏手にあたる山頂近いところだ。

今から60年位前の頃・・まだまだ深山幽谷の趣きがあった。鳥の巣が参道の木々にあり、ウズラが子ウズラを列にして小走りしていた風景を思い出す。

今時の紅葉や桜狩りの、押すな押すなの観光化した禅寺と訳が違う禅寺だった。

たまたま、手紙類を整理中、平成11(1999)年、会社の仕事(57才時)の帰りか、立ち寄った際の、老師からの手紙があり、その中に同封されていた「巻き藁(まきわら)」という弓道場生宛ての会報(原稿用紙に手書きしてコピーした)が二篇見つかったので、ここに紹介いたします。

巻藁 四十七 平11、3,3 【梅に題す】

円覚寺境内の梅が真白に香り見事だ。

弓道場(焔魔堂)矢道の梅は花がつかぬ、心配だ。

私は梅がすきで、續燈庵本堂の床の間には、五岳(ごがく)上人の梅に題す詩を、朝比奈(宗源)老師に御願いした軸が一年中掛けられている。

 風波或イハ怖(オソ)ル袈裟ニ及ブコトヲ  

 慚愧(ザンキ)ス 此ノ身 イマダ家ヲ出デズ  

 天地百年 総ベテ是レ 夢         

 笑ウテ看ル 寒月ノ梅花ニ上ルコトヲ    

朝比奈老師は「結句は訳さぬがよい。これはあくまで白梅でなくてはならぬ」と言われた。

二,三輪の白梅のもと、仰ぐと上弦の月が冴えている。

――丁度 ひきしぼった弓が、胸の中筋から分かれた「瞬間」・・

「矢ヲ看ヨ」の心境だ。肯心(コウシン)自カラ許ス 心だ

私は毎日夕刻、本堂の真中で、ゆっくり水平足踏み一分と三分の澄心(ちょうしん・ココロをスマスの意・行禅)のあと、この梅を吟じ、反省と勇気に結びつけております。

「ありがとうございました。おかげさまです」と。

     風波或怖及袈裟   世間の苦辛 坊主に及ぶ勿かれと

     慚愧此身未出家   コレじゃ まだまだ出家じゃないな

     天地百年総是夢   せいぜい百年 遊戯をせんとや生まれけん

     笑看寒月上梅花   白梅 雪となって散る・・呵々大笑(加納泰次 意訳)

 

巻藁七十二 平11、12,21【ヘソ呼吸で締めます(完)】

   百歳も今日一日のつづきぞよ 

      この一日をおろそかにすな

生きると、息をするとは同儀といわれる。

ブッダの五出の調(ととの)えでも一番に「吐く息を長く堂々とせよ」と申され、吐く息を多くせよ、吸う息は長からん――大事な、大事な呼吸法です。ヘソは神闕(シンケツ)という急所のツボで、神ガ宿ル所。肛門は人が一番最後に息を引き取る所だといわれ、共に人の最重要の急所です。

ヘソで息を吸い、丹田(たんでん)に納め、肛門から吐き切る――この呼吸こそ「無事有事ノ如ク 有事無事の如シ」の平常心につながる呼吸です。

越し方は ひと夜の如く思われて 八十路(やそじ)にわたる 夢を見しかな

弓あるは楽し 弓あるは幸いなり。

武ハ舞ニ同ジ—―と言われます。ひと息ひと息、一矢一矢、一日一日、弓をいただいて、翁(オキナ)の舞を續けてゆきたい念願であります。

神舞閑全(シンブカンゼン)ナル粧(ヨソオイ)ハ老人ノ体用(タイユウ)ヨリ出ズ。

 

日頃、暮らしの中や、閻魔堂(道場)での耕雲老師の立ち居振る舞いは・・いかにも「弓和尚」と呼びかけたくなる・・鎌倉期の古武士の面影がひしひしと伝わる禅者でした

(老師とは師事する人の意です。「親しき先生」と言うべき、中国からの呼称であり、老いたる指導者の意ではありません)

 

至道の禅語⑹ 毎日が平穏無事、幸せになるよう努力する・・の(誤)意?

至道の禅語⑹ 

日日(是)好日(にちにち これこうじつ)とは・・?

「毎日が、平穏無事、ミンナ幸せになるよう努力したい・・」など、あまりにも禅の解釈・誤訳にあきれます。

中学・高校生の・・求道の問い(禅語碌の至言の意味)に答えて書いています

A:雨が降ろうとヤリが降ろうと・・日日好日と道(い)えますか・・?

     この禅語 出典は碧巌録(第6則 雲門日日好日)にあります。

      【本則】挙す。雲門 垂悟して云く

       「十五日 巳前(いぜん)は 汝に問わず。

        十五日巳後(いご)は 一句を道将(どうしょう)し来たれ」

       (衆 對なし。自から代わって云く)日日是好日

意訳します・・

人里離れた廣東省韶州、雲門山の破れ寺で恒例、毎月五のつく日、雲門文偃(うんもんぶんえん)は求道者を集めて垂示した。

今日は15日。

今迄、何んとか生き延びてきた・・昨日までのことは問わない。

本日、今朝の時点、それぞれの修行の境地を述べてみよ。

(求道者たちは自分の境地を答えられず、沈黙、静寂した)

雲門は求道者の「禅による生活」・・その心構えを問うたのだが、一同、答えられず、沈黙したので、自らの禅境(禅者の一語)を吐露してみせた。

(昔は、師が質問したり、語録の提唱を行ったりした場合は、必ず、自分の禅機・禅境(地)を示衆、発現しました)

【雲門曰く】「日日是好日・・(雨が降ろうとヤリが降ろうと)何事であれ、今の今・・ことごとく好日好事である」・・の意。

現代では、密室の参事として、師家は秘密めかして、自己の禅境を語らない。真に実力のある露堂々な師家・老師が居なくなったと言えましょう。

つまり禅宗の寺僧に「禅」が亡くなったのです。

禅はもともと宗教ではありません。

独り一人が、見性(自発体覚)する一大事です。

遠慮なく言葉や文字に拘泥しないで雲門の「好日」を・・「乾屎橛」(尻拭きヘラ)、あるいは「餬餅」(こぴよう)に置き換えてみてください。相互に意味が、納得できるでしょうか。

*禅のパスポート、無門関提唱、素玄居士の頌をご覧ください。

第21則で雲門は「禅」のことを乾屎橛(カンシケツ・クソカキベラ)と言い、第77則では餬餅(こぴょう・ゴマをまぶした餅まんじゅう)と言っています。

詳しくは 「はてなブログ」禅者の一語(碧巌録意訳)/禅のパスポート(無門関 素玄居士提唱・絶版紹介)参照ください。

「毎日が、平穏無事、ミンナ幸せになるよう努力したい・・」など、あまりにも禅を無視した解釈、誤訳に、あきれて言葉が続きません。

【附記】雲門文偃(うんもん ぶんえん 853?~949?)・・雪峰義存の弟子。のち、五家七宗のひとつ雲門宗の開祖。

時代は、唐、武帝による仏教大迫害の災難期である。4~5万の寺が壊され25万~30万の僧尼が還俗させらせた会昌の役に直面した苦難の禅者。

生ぬるい平穏な生活の人には、想像すら出来ない過酷な、明日をも知れない中の・・今日の朝の・・いまの今の生きる境地・・「禅者の一語」なのです。

当時は、打ち首や餓死など日常茶飯事であり、禅を守る寺僧(求道者)は、遠く虎やコブラの住む深山に遁れたが・・例えば百丈の「獨坐大雄峰」碧巌録第二十六則は、虎が徘徊する深山連峰の大雄という山の事であり(比叡山ほどの千メートル程度の)道なき道を分け入り、滝があり孟宗竹に覆われた山中のことを云ったので、まるで日本の【富士山などの霊峰の事】だと勘違いしてはなりません。

どの公案、禅語録も、深山の破れ禅院での、命がけの求道者たちの師弟問答の姿を思い描いて、この至言の禅語、解釈意訳を読んでいただきたいと願っています。

農家で捨てた腐った味噌を、托鉢でもらってきた求道者が、鍋に入れて味噌汁にしたところ、ウジ虫が、はいずり出てきたので、それを箸でつまんで外に逃がした・・とか、悪童のイタズラで、托鉢に馬糞を入れられ、それを食して死んだとか・・日本でも室町期の戦乱、飢饉の狂雲一休の頃・・ソンナ・・千年の時をまたぐ業苦の時代です。

まるで地獄ソノママのような社会を・・「好日、好事」とする覚悟ができるでしょうか。

私は、役立たずの3分間・独りポッチ禅を提唱していますが、とても、そんな暮らしを「好日」として覚悟できる心得でも、環境でもありません。

ケレドモ・・「ひどい出来事が起こっても、より良い【好日】となるよう、努力しましょう」・・などと解説、誤解されては・・たまらんです。

前に紹介した「平常心是道」も、ウジ虫のわく味噌汁を啜(す)する覚悟のある「平常心」です。

日本(語)は、思考の素(言語)から崩壊してしまい、漫画や仮想空間が思考置換している・・バーチャル(電磁的想像)社会になってきた・・と思います。

これは、キット新聞の発行部数(漢字活字文化)が激減していくこと。世界的に漫画(アニメ文化)の蔓延とスマホの依存症で、静慮する時間を失なった由来によるのでしょう。

どうぞ脚下照顧(きゃっか しょうこ)してください。

有(会)難とうございました。

◆元服の書・・口にワダのくつわをはめられ、泣けど声も出せない人買いの船・・

元服の書⑳ 2018-11/10・・改稿しました。  

これは謡(室町期)の一節ですが、独裁の国の拉致やISの人質など、現代社会で行われている悲劇でもあります。一休さんの生きていた時代は、こんな世相を地獄と呼びました。

中学・高校生の・・求道の問い(禅語碌の至言の意味)に答えて書いています

深秋の夜長、風狂の禅者一休「狂雲集」(中世禅家の思想・市川白弦/岩波書店)を看ていたら「この時代の生活の中に一休がいる・・ここが地獄だ」・・(禅で言う)わが心の内に地獄があるとの意ではない・・の文句に遭遇した(解説566~567頁)

衆生本来 佛なり」というのは空ごとにすぎない。

あきらかに偽りである。偽りでないというなら、その証拠を見せるがよい。

このように一休は問うであろう。

室町時代は「おあし」の言葉が普及する貨幣経済と租税の、悪政の支配は農民にまで及びました。加えて、洛中飢饉、乞食数万、悪疫流行、人々相食(あいは)み、骸骨路上に満つ・・この娑婆(しゃば 現世)の辛酸苦渋の生活・・そのものが地獄であり、禅(悟り)の実践道場だ・・と一休は喝破して、狂雲の暮らしにドップリと漬かりながら生きていたのです。

寛正二年 餓死三首(の一つ)・・

極苦飢寒迫一身   飢えと寒さは身イッパイに

目前餓鬼目前人   今、目の前に餓鬼を看る

三界火宅五尺躰   この火宅から逃れれようもない

是百億須弥辛苦   この世は地獄、辛苦そのものだ。

一休は、禅僧であるが、1461(寛正2)年、餓死三首の漢詩を作った年(68才)6月16日、大燈国師の頂相(肖像画)を大徳寺に返して、親鸞浄土真宗の信者となった。

   前年、大燈国師の頂相を 賜うこと辱(かたじ)けのうし、

   予、今、衣を更(あら)ためて浄土宗に入る

   故に ここに栖雲(せいうん)老和尚に還(かえ)し奉る。

  離却禅門最上乗  禅という最も優れた法を離れて

  更衣浄土一宗僧   これからは、浄土真宗の信者です。

  妄成如意霊山衆    わが分際も図らずに、徹翁の宗徒となり

  嘆息多年晦大燈  永年 大燈をくらましたるを嘆(なげ)きます。

   

宗教で祀り上げられた禅僧ではなく、本音のただの禅者(信心は親鸞浄土真宗)一休になったわけだ。

風狂の自由人、一休の遺偈(死に際の一語)は「須弥南畔(しゅみなんばん)誰か我が禅を会す。虚堂(きどう)来たるも、半銭に直(あたい)せず」と、尊敬してやまない中国の禅者、虚堂智愚(きどうちぐ)に「今の我が生き様(境地)は解かるまい」と断言している。

しかし、死ぬ間際であっても、大道を独歩して、梵天に糞を捧げて感謝しようする気概(ド根性)のある禅者でした。

このように、禅を宗教・宗派(寺僧)に拘泥しない、禅による生活の自由人・・禅者・道人は、鈴木正三や乞食の雲溪桃水、大愚良寛、仙厓義梵などなど・・中国や日本に相当な数の人がおります。順次、禅語録や至言に出くわし次第、紹介していきます。

別奉魯愚「禅のパスポート」素玄居士、提唱で紹介の通り、禅は、釈尊、達磨の時代から、寺僧の集団で教導できる「宗教(教え)」ではなく、独り一人、坐禅して悟るものとされています。

禅は独り一人に備わっており、求道の深浅はあれど、それぞれが坐禅を通じて悟り体験するものだ・・との原点に返る時が、遅きに失したかも知れませんが来たのです。

 

現代、テレビ・アニメや、頓智一休さんのイメージが随分、誤って形成されてきました。室町時代そのものが狂雲の生活であり地獄であり、歴史でした(五山文化こそ虚構でありバーチャル社会と同義です)

そんな環境の中での真の自由人(因果応報に騙されない)不昧(ふまい)の一休さんは、森女との同棲、禅者であり、かつ、親鸞に魅かれて浄土真宗の信者となられたのです。

今時の観光拝観禅や、一休、良寛の書を有難がり高額で取引し、マスコミがもてはやすZENブーム・CM-ISM、瞑想による心落ち着くヨガ・ゲームから解放して、自由奔放の禅者にしてあげたいものだと思います。

 

現代は・・飢饉や疫病、悪政に苦しむ六百年前と違うとは言え、スマホやTV、IT依存症に、テロや亡命、不法移民の大移動。国民を餓死させても核開発やミサイルに現(ウツツ)をぬかす・・ごく一部の高額所得者や独裁的強者が、経済や国境を仕切る電磁的社会です。

一見、平和を装っていても、過年、北朝鮮の国家テロ、韓国機爆破の犯人として韓国の飛行場で、猿ぐつわをされて連行された・・アノ女性の姿・・さらに北朝鮮に40年あまり、拉致されて帰ってこれない横田めぐみさんをはじめとした何百の人たち・・口にワダの轡をはめられ泣けども声も出せず・・の姿こそ、規模・形態こそ国際的であるとしても、観阿弥の謡と相対して、アマリ変わらない風景ではあるまいか・・と思うのです。

純禅の一休宗純を語るには、漢詩の読みづらさはありますが狂雲集が必携です。真実とは、何はともあれ、五百年か千年か・・以上の時間が必要です。仏教でいう「業」です。有(会)難とうございました。

【附記】

一休宗純(1394~1481)・・南北朝統一1392年

*寛正の飢饉・・1459~1461年 長雨・異常低温・台風などによる北陸、関西、山陰地方で中世最大の飢饉。京都では10万有余中、餓死者8万人以上。土一揆発生。加茂川の河原を屍が覆いつくしたという。(一休65才~67才)

応仁の乱1467年~1477(一休73才~83才)

閑吟集・・1518年成立、悪政、戦乱災害の室町期、庶民に流行した編者不詳の狂歌謡集「何せうぞ くすんで一期は夢よ ただ狂え(我を忘れて、のめりこめ)」の小唄1節・・「人買い船は沖をこぐ、とても売らるる身を、ただ静かに漕げよ 船頭どの・・」

観阿弥(室町期)謡曲「自然(じねん)居士」・・人買いの手に落ちた幼子を自然居士が助ける能・・「口には わだの轡(綿で作った猿ぐつわ)をはめ、泣けども声が出でばこそ・・」遊女虐待の風景を描く。

*愚禿親鸞(坊主頭の庶民しんらんの意)は、妻子あり、弟子一人も持たず、ただ1回、南無阿弥陀仏と唱えれば、浄土に行ける・・と庶民に説いた方でした。

私(加納泰次)は、役立たずの「独りポッチ坐禅」を提唱する禅者ですが、親鸞浄土真宗)を信じます。

至道の言語⑸ 私は「随所に主となる」を、このように読み解きます!

至道の禅語⑸  

随所作主 立處皆眞(ずいしょに しゅとなれば・・)とは?

中学・高校生の・・求道の問い(禅語碌の至言の意味)に答えて書いています

スマホやTVなどの発達と同時に、日常の言葉や文字は、希薄な対人関係の中で、すぐに抹消される電報文のようになりました。

ほとんどの禅語(に限らず)の意味・解釈が、間違いだらけ、誤解だらけになり、まるで猫を犬と呼ぶような・・どうせ同じ愛玩動物だから良いではないか・・の想いがあるのでしょうが、無責任な会話に加え、米語・カタカナが会話の半分以上を占めてKYの如き、世代ごとにしか通じない、断線して繋がらない・・しかも激流のような情報過多にあって、自分にとって、面白いか(楽しいか)、役立つか・・だけの2者選択する状況です。

現代、街中の若者の会話は、仲間だけの、全く好き嫌いだけの感情的な短文であり、日本語の原風景は、根元から腐り果てた、再構築できないような打撃を受けています。新聞や本など読まなくなれば。活字で思考する頭脳が劣化するのは当然です。

これから、一層に、手間(労力・時間)のかかる、温かい人間関係はなくなると思います・・例えば「看る」/「診る」⇒「データ」/「検査」にとって代わる時代であるとして、心ある青少年に警告しておきます。

【言葉や文字が、信用できない時は どうするのか・・】

もともと、私は・・(禅の)始めっから、言葉・文字を、黒ゴマを並べた(小さい文字の例え)共通の意思の処方箋に過ぎないとの観点です。その人の「行い」だけが、真の薬である・・との立場です。しかも千年後の「行い」の評価だけを、ホントに信じてもイイことにする・・との覚悟で書いています。

では・・千年後に残る、人間の価値とはどんなものでしょうか・・多分、芸術(文学、絵画、音楽など)位しか評価の対象にされないでしょう。

では・・いま、自分や、周囲の生活に関係する「行い」を基準にした場合、どれだけ本当のことがあるのでしょうか・・?

愚痴を言ったり、言い訳したり、釈明したり、争って自己主張したり・・これは、大事な行いが、自分であれ、相手であれ、不十分な、信用できない状態(出来事)です。

いま、ここで自分がしている勉強や遊びや、掃除や買い物の手伝いや・・一つひとつの「行い」のツナガリに、自分が自分を信じられる「生き方」であってください。

それが「独りポッチ」で生まれ「独りポッチ」で生き「独りポッチ」で死ぬ・・宇宙でただ一つの遺伝子を持っているアナタの元服(自覚)であると思います。

以下、私は、このように、誤解だらけになってしまった「禅者の至言」を読み解きました。

Q随所作主 立處皆眞(ずいしょに しゅとなれば りつしょ みなしんなり)とは?

この禅語 出典は、臨済碌(行録)にあります。

(参考:平常無事 第11講 提唱 足利紫山著、出版 大宝輪閣)

    師 衆に示して云く、道流(どうる/皆の衆)・・

    仏法(禅)は功を用(もち)ゆる處なし。

    ただ これ平等(びょうじょう)無事なり。

    屙屎送尿(あしそうにょう/大小便)、着衣喫飯、困んじ来れば すなわち臥す。

    愚人は我を笑う。智はすなわち これを知る。

    古人云く 外に向かって工夫をなす。総にこれ癡頑(ちがん)の漢。

    なんじ しばらく随所に主と作(な)れば、立處皆眞(りっしょ みなしん)なり。

    境きたれども回換(えかん)することを得ず。

    たとえ従来の習気(じっけ)、五無間(ごむけん)の業あるも、  

    自ずから解脱(げだつ)の大海となる。

意訳します・・ある時、臨済老師(禅・臨済宗開祖)が示衆(じしゅう)した。

わが(臨済の)禅は、世の中に貢献したり、修行努力して有徳の人に成ったり、造作、計らいで悟道に至るような、そんな工作物ではないぞ。

ただ・・ただ・・毎日、日ごとの行事、仕事や生活ごとに、イキイキ、ピチピチ、やれているかどうかが百点満点の目安になるだけだ。

馬鹿正直になって、誠実に、暮らしが出来れば、その人の真の価値は自ずから、よく自覚できよう。世間体ばかりを気にする愚者には解かるまいが、禅者なら、その行い(禅による生活)が認知されよう。

心外(他)に向かって、何事であれ、忖度(そんたく)、造作をする者は、南半球で、北斗星をさがすような愚かな遭難者だ。

見る時は、造作なく(無心)に看る。聞けば、ソノママ聴く。花の香りも、至る所、すべて、大過なく、チャントちゃんと・・グズグズせずに対応できる。そうゆう主体性を自己の柱に据え付ければ、まずまず一安心の禅者であるといえよう。

ナカナカ出来ることじゃないが・・。

マア・・スマホを手にすれば、スマホに心を奪われ、著名人がオナラをしても有難がる・・私は、そのタグイの人を独立していない(足のない)幽霊ビトと云っている。生まれてからの「知ッタコト」・・人間五感から得た情報はソノママだと五欲となる。これを禅では「業」というが、坐禅でクリーニングせなアカン。

その努力の禅境(地)が・・至る所、なすこと、やること・・全部がピチピチ、イノチが輝くことになるように・・。              

【随所作主 立處皆眞】独立して、立ち居振る舞いをしっかりと行え・・周りは口先ばかりの愚痴・言い訳の幽霊ビトばかり・・ソノヨウニなるな・・の意。

臨済義玄(?~867 黄檗希運の弟子 禅・臨済宗開祖)

*この同義に「脚下照顧・看脚下」/「門より入る、これ家珍にあらず」などあり。

  

元服の書⑲ 口に出すのは世間のはなし・・ココロで想うは・・

元服の書⑲ 

Out of the mouth comes evil・・(口は災い、誤解の根)

昔(11歳~15歳頃)の成人式にちなみ、中学・高校生の問いに答えて書いています

Q:どうして「禅」は・・言葉や文字で表現できないんですか?

禅の本や解説は、昔から山ほどあるのに、どうして言い表せない「不立文字(ふりゅうもじ)というんですか?           

:私の信条は・・心コロコロ「人生、裸(心)で生きるべし」です。漢字では「浄裸々(じょうらら)」と言います。この私の75年の人生の見解(けんげと読みます)・・たったこれだけで、どこまで理解いただけるしょうか?

それは無理ですよね。私の生活の集大成の一語ですから、私自身ですら、言葉や文字では書き尽くすことはできません。

禅、必携の書と云われる碧巌録、無門関の1則ごと、釈尊や達磨や・・一休さん良寛さんや、ミンナ皆、達道の禅者、独り一人、その来歴、禅境は、その人、独り一人にしか・・会得されず、ワカラナイのです。

(千年たって語録に数行、表記されるだけです)

禅は・・アナタにも・・私にも・・それぞれ一人ずつに「禅」があり、つまり、教わらなくとも、独り一人に、チャントとあることに気づくのが「悟り」であり、その方法が坐禅なのです。

禅は「本来の面目」ともいい「仏性・無心・空則是色・般若」など、その意味する表現は一杯ありますが、要はアナタの不安な心が・・突然、安心な心に、コロンとヒックリ返る・・それだけの話です。

どこかに青い鳥をさがす旅に出る・・わけではありません。

寺僧の教導を受けたり、本を読んで思考したりは、かえって迷いの元。考えるというのは、頭の中に文字・言葉が、父母や学校で教えられて入っていて、それで判断(分別・比較・優劣・対比・分析・・)するのですから、論理的にも、哲学的にも、倫理的にも、宗教的にも、物理的(参考になるのは量子の働きぐらい)にも、説明しうる言葉や文字はありませんし、考えることを考えるのは無理というもの・・考えは役立ちません。かえって、次々に思考や妄想が湧いて、正邪の比較判断ができません。

これは実際の地形が天変地異で変化しているのにかかわらず、旧式の地図で、おかしいなァ・・と首をひねるようなものです。

アナタが、この【禅者の一語・禅のパスポート】などご覧になって、フト・・関心をもたれた言葉・文字・禅者の行い・・があれば・・何だろう・・どうして?と、首をひねった(ソノコト)が、アナタだけの「禅」の入り口であり、実は出口なのです。

釈尊や達磨や、達道の禅者が、説明も講釈も出来ない、黙非している姿こそ「禅」なのです。どうぞ、独りポッチの、役立たずのイス禅だけが、迷わぬ者に悟りなし・・純粋に、独り「大擬」(尽きつめずには置かない疑いの塊)できる手段なのです。

容易ではありませんがあせることなく自己発見をして下さい。

何か坐禅することで、価値(悟り)があると期待したら、もうそこで考え(計らい)が働きます。

禅から一番、遠ざかる執着(造作)のトリコになるのです。

役立たず・・独りだけでの坐禅をなさいますように・・!

(とりわけ 見る・・を「看る」と書けない、手と目で看ると書く・・意味が分からない外国の方は、自他の分別(ふんべつ/ぶんべつ)意識が強く、成否に執着・拘泥する傾向がありますから、鈴木大拙著「Living by ZEN」(禅による生活)を読まれるよう推奨します(後の講釈一切、信じないことが大事です)

誰か教導の指導者を求めて、日本にやってきても・・「禅」は宗教ではない・・寺僧はナリワイ(生活手段)の、観光営業にすぎないことを理解ください。

アナタの中にいる青い鳥=自己大発見は、アナタ独りでしかできず、教えることも学ぶことも出来ないのです)

さて、独りポッチ坐禅・・と、子供言葉で書きましたが、誰にも言わず、言えず、禅は、例え 大覚自知し得たにしても、黙する以外、手立てはアリマセン。

しかし、役立たずの独り坐禅を続けると、一つだけ、ハッキリした境涯が、気づかぬ内に、アナタを包み込むことでしょう。

それは「寂寥(じゃくりょう)」です。

別名「無常観」少し仏教臭のする言葉ですから、ピチピチ生命の溢れる禅境の底にある、どんなことにも揺るがない「寂寥心」が適名でしょう。

この寂寥(大慈)の内に包み込まれたら、役立たずとか、価値とか、三昧境地とか・・言葉や文字に拘(こだわ)ることがなくなるでしょう。そこから百尺竿頭 歩を進める・・飛躍(ジャンプ)が始まります。

Say as men say but think to yourseif. 

(口に出すのは世間の噺。心で想うは寂寥感)

有(会)難うございました。     

至道の禅語⑷ 百尺竿頭に一歩を進める・・とは?

至道の禅語⑷ 百尺竿頭 進一歩(ひゃくしゃくかんとう いっぽをすすむ)とは?

中学・高校生の・・求道の問い(禅語碌の至言の意味)に答えて書いています

Q:竿頭進歩とは?

高い場所で、およそ30メートルの竿先にたどり着いた者に対して、ゆらゆらする竿先から、何もない空間に、さらに一歩踏み出しなさい・・という禅語・・無門関 第四十六則 竿頭進歩(かんとうしんぽ)に由来する禅=公案のタイトルです。

孟宗竹(もうそうだけ)を、高い場所に差し渡し、竿先まで歩き・・さらにその先に踏み出してみよ・・という、坐禅、禅機(悟りに至る動機)の意味ですから、孟宗を「妄想」に置き換えて、これを断ずる・・煩悩無尽誓願断(四弘誓願)とする見方も出来ましょう。

でも反論です。純禅では、煩悩を断ずること(煩悩無尽誓願断・四弘誓願)は計らい、造作であり、欣求すべきではない・・逆に、煩悩こそ菩提(悟り)であり・・煩悩即菩提・・故に独り一人に禅(悟り)がある・・としています。

要は、坐禅(坐具、座布団)の上で、一度(自我意識を捨てて死んで)見よ・・の例えなのです。

確かに、禅寺(僧堂)の団体修行の場では、集中力を増し三昧境に入って、自我(思考・妄想)の接続を断捨する接心(坐禅)があります。

しかし、私は、皆さんにお勧めしません。

そんな荒修行、苦行の参禅で悟りを開いた人を、古今、見聞しないからです。

禅寺の跡継ぎを養成するために、3年か5年か、僧堂へ強制的(集団、促成栽培)におくりこんで、坊さんの資格を取らせる・・こんな鍛練法で、悟れないばかりか、悟りの心境までカンペ、コピペで教え込み、印可(悟りの卒業証書)を与える。これでは、純禅が滅びるのも無理ありません。

今時は、座布団の上で、死ぬようなつもりの集中力で・・と言っても訳がわかりません。

そこで・・私は釣り好きです。釣りで一番に釣果をあげた人を竿頭(さおがしら)と呼びますが、その竿頭(釣り名人)の、一歩先を歩む超名人とは、いったい、どんな人を道うか・・それが公案です。

 看(み)よや 看よ       どうだ・・見えるかナ

古岸 何人(なにびと)か       はるか岸辺で釣り竿をとる人がいるぞ 

釣り竿を把(と)れり         雲は青空にゆうゆう・・

雲 冉冉(ぜんぜん)たり       水はその空に映えて たゆとう

水 漫漫(まんまん)たり

名月蘆花 君自(みずか)ら看よ     ナント・・よく見てご覧。

                    釣糸も釣針も無い、エサさえもない

                    釣(竿だけの)老人だったのか

                   碧巌録 六十二則 雲門形山秘在 頌(じゅ)意訳

 

【竿頭進歩】・・独り一人、坐禅や生活行動の中で、自分にチャント備わっている自性(無・空・悟・禅)とは何か・・を閃く(ヒラメク)ように体覚せよ・・の意。

 

悩み、禅に期待して・・フラフラと禅を訪ねて日本に来る外国の方へ

尋ねるまでもなく、英訳発行の、鈴木大拙著「Living by ZEN」禅による生活・・を読んでください。

独りポッチの坐禅と、働き生活する、そのTPOでしか純禅を得る方法・手段はありません。禅は昔、仏教(僧)寺院で揺籃されましたが・・宗教ではありません。独り一人にあるZENを、それぞれの暮らしの場で、独りポッチの坐禅をして自得してください。習学、教導に「禅」はアリマセン。

はてなブログ 禅のパスポートで、無門関四十六則、素玄居士提唱を紹介しています。

 

 

 

至道の禅語⑶ 解打皷(かいたこ)とは?

至道の禅語⑶ 解打皷(かいたこ)とは?

中学・高校生の・・求道の問い(禅語碌の至言の意味)に答えて書いています

Q:解打皷(かいたこ)とは?

碧巌録 第四十四則 禾山 解打皷(かざん かいたこ)に由来する禅、公案のタイトルです。

禾山無殷(かざん むいん)に、求道者が達磨禅「廓然無聖」(かくねんむしょう)の眞意をたずねると「解打皷」・・「太鼓をしっかり叩く稽古をしなさい」と答えたことに由来します。カイダクと読みますが、昔から「かいたこ」を澄んで呼びます。

この求道者、手を変え、品をかえて質問しますが、禾山老師の答えは、どんな問いにも「解打皷」一辺倒です。

これは、3分間独りイス禅を少々行ったから解かるといった禅の公案ではありません。詳しくは・・はてなブログ 禅者の一語 碧巌録第四十四則(意訳)を読んでください。

注意すべきは、達磨問答の聖諦第一義とか、タイコ叩きに執着しないこと。自分の仕事や、日常の出来事・・一つひとつが、甘いか、辛いか、酸っぱいか・・

騙されるなよ・・どこからか君を呼ぶ・・

「ホ―タル来い・・こっちの水は甘―まいぞ!」に・・

【解打皷】・・太鼓を叩く稽古をしなさい・・の意。

禾山(大智院)無殷(かざん むいん 891~960)、始め福州(福建省)雪峰(山)義存(76才)の侍童となり、908年 雪峰(象骨老師)示寂の後、910年、筠(いん)州(江西省)九峰道虔(きゅうほう どうけん)に師事。

禾山は、六祖恵能に次ぐ青原下七世・・石頭→薬山→道吾圓智→石霜慶諸→九峰道虔→禾山無殷(達磨より十三世、祖位の禅者)

禾山の師・・九峰の逸話を記しておきます・・千年昔の禅者、求道の姿は命懸けでした。

そうした禅者の生活の一コマがピヨンと浮かび出てきます。

石霜が遷化の時、全山あげて第一座(名不伝)に跡を継がせようとしたが、九峰ひとり猛反対した。

「石霜七去の話」・・先師の意を領得した者だけが当山の主たるべし・・「休しさり、歇(けつ)し去り。一念萬年に去り、寒灰枯木し去り、古廟香炉にし去り、冷湫々地にし去り、一條の白錬(びゃくれん)の如くにし去る」・・

しばらく道え、これ、那辺(なへん)の事を明かすや・・と。

第一座は「先師の意は、大悟のあとに、なお悟臭あり」(一色邊;イッシキヘンのことを明かす・・)としたが、九峰はキッパリと否定した。

そこで第一座、大悟の証明に、坐脱立亡をして見せる・・と大見得を切って香をたくことを命じたのである。

命がけの問答である。

居並ぶ大衆、注目の内に香炉に香がたかれ、第一座は粛然とその場で坐亡した。

九峰は、生けるが如き第一座の屍に、断然と言い放った。

「坐脱立亡はなきにしもあらず。首座は先師の意、いまだ会せざることあり」・・と。

このように峻烈な九峰に随侍(師事)してきた禾山である。

後日談がある。

ある時、九峰は、黙々と作務(さむ 畑仕事)する禾山に問う「独り、のらりくらりの毎日をすごす。お前さん、いったい、どのような境涯を目当てに修行しているのか・・どうだ?」

禾山「真っ暗な夜がカラリと明けても、眼が見えない者は、やはり目が見えません」と答えたという。

太鼓を叩いても、本音でナカナカ為(な)らないものだ。