賀状をやめて年詞は禅者の至言をご紹介しています

馬齢を重ねるにつれ、日々、同様のことなきを識ります。

体調一つとっても、寒月下 梅花のほころびを見ても、同じということは、何一つありません。

会い難く・・有り難きことです。

賀状を廃止し,代えて禅語(禅者の至言)を紹介しています。

  孤輪独照 こりん ひとりてらして 

    江山静 こうざん しずかなり 

      自笑一聲 みずからわろう いっせい

        天地驚 てんち おどろく 

        臨済義玄(?~867禅・臨済宗開祖)行録 鳳林に往く  

 

     くれぐれもご自愛専一に祈りあげます

                 2019年 正月      

                  加納 泰次                

                 090-9871-7006

                                               Mail  taijin@jcom.zaq.ne.jp

         近況・・おりあれば・・ 奉魯愚  ご覧ください

         はてなブログ 禅者の一語 「碧巌録」禅語録意訳

                禅のパスポート「無門関」禅語録意訳

                羅漢と真珠 禅のこころ 禅の話・・雑想 

元服の書㉑ 役立たずの(造作しない)独りポッチ坐禅・・

坐禅は・・寺僧の教導を受けないと出来ない修行ですか?

中学・高校生の・・求道の問い(禅語碌の至言の意味)に答えて書いています

A:違います。どうぞ「独りポッチ」で、イスなり寝起きの前後なり、3分間でもOK・・大事なのは・・肩の力を抜いて、覚悟して始めることです。

坐禅することを、まるで習い事や学校の教育実習のように思ってはなりません。

同じ青春の悩みごとを持つ友達と一緒に・・とか、瞑想やヨガに関心がある仲間と一緒にとか、自分一人では心もとないのでとか、お金を払えば、辞める時も勝手次第だから・・とか。

そんな配慮や思惑(計らい・造作)は「坐禅する」ことの邪魔にこそなれ、一切無用です。

釈尊以来・・禅は、生まれつき独り一人に備わっている「尊うとさ」を、哲学や論理ではなく「ココロから発明、発見する生活行動」です。これを「悟り」といい「見性」といいます。

そのためには、誰彼から教導されるものではなく、だだ、自分だけ(の独り)に徹して坐禅して、自分が自分で納得(自覚)するしか方法がありません。

坐禅の仕方が解からない・・坐禅中の思考の変化がわからない・・悟りの境地が知りたい・・どうぞ自分で大地に立っているように・・自然と呼吸しているように・・何もかも独りで工夫、自習してなさることです。甘えなさるな!

貴方はイスに座ったことがありますか⇒あります⇒それなら椅子に坐ってどうぞ。

質問⇒手足、姿勢はどうすればいいのですか⇒肩の力を抜いて、リラックスして・・ただ、背筋はのばして、アタマのテッペンから吊り下げられているように・・そして眼は半眼(薄眼)にして2メートル下位を見ます。理由は眠らないように・・です。手足は自然にどうぞ(熟睡している時の呼吸や手足はどうなっていますか・)

質問⇒1日何分ぐらい何回ぐらい坐禅すればいいのでしょうか⇒1回3分ぐらい。1呼吸 約10秒として【吸う息は短く、吐く息は長く・・ヒト~ツ・フタ~ツ・・ム~ツと数えます】6数×3回=18回ぐらいで3分間です。2回でも3回でも・・寝床禅では、すぐに眠てしまうことがあつても、それはかまいません。

質問⇒坐禅の間、何を考えたらいいのですか、それとも無念無想ですか⇒呼吸数を数えなさい(数息観)・・まず寝起きの時など、1日1回でも顔を洗う如く・・3分間、やって見ることです。禅語録の公案はどうか・・とか、余計な考え事や無念無想になりたいなど気安く言うべきではありません。一呼吸10秒程度。

ただ呼吸数を数えて(数息)計18回で約3分です。

質問⇒注意するべき点を教えてください⇒他人や本やPCに頼らないことです。何の役にも立たない(損得のない)坐禅を覚悟して・・たかが3分ぐらい坐禅する事が簡単だと思ったら大間違いです。

2~30年間、独りポッチ3分間ポッチのイス禅を毎日心がけて、どうにか少しまともにやれたかな・・が実感です。

 

釈尊(ゴーダマ シッダルダ)は、紀元前486年4月8日、釈迦族の王子として生まれ、妻(ヤシュダラ姫)子(アゴラ)ある身でしたが、無常を観じられ29歳出家、虎やコブラにいる深山に独り断食(一日胡麻を少し食べられて)6年間の坐禅行をされました(苦行の釈迦)。ただし正覚は得られず、やせ衰えられて山を下りられました。大河のほとり菩提樹下、スジャータという牛飼いの娘の施し(牛乳)をいただいて蘇生されたのです。

「ナルホド、求道(坐禅)は、身心のコンデションを整えてこその坐禅でなくてはならない・・」と、執着(欣求)しない禅定(生活)を心掛けられたのです。

そして供養を受けながら35歳・・暁の明星を看て大覚(成道)されたのです。以来、禅はインドから中国へ・・そして日本へ・・寺僧の揺籃をうけながらも、次の世代の「独りひとり」に大覚されてきたのです。「悟り」が代々、師弟に伝法された訳ではアリマセン。途絶えたことも多々ありましたし、寺僧によらず、薪売りや渡し守など、庶民の中に道人として見性した人が、少なからずおられます。

現代社会のように働きながら、自由に坐禅できる環境ではありません。宗教寺院での集団生活や念仏禅など僧堂修行は厳しく行われました。でも、師家の鞭撻があつても、悟りのタネは独り一人のTPOで自然(不意)に発芽するのです。そして、その種による独り一人の発育(禅による生活、実践長養)があってこそ、真夏の日陰を施せる大樹となるのです。繰り返します。禅は欣求(宗教)修行して見性できることではありません。

禅語録や指導書、私の意見などはホドホド、参考になさるだけにして、どうぞ体調を整え、思惑(造作)を忘れて「独りイス禅」をなさってください。一番良くないのは、集中しなければならないとか、足や体が痛い・・そんな形にこだわる坐禅(瞑想)です。

宮沢賢治の雨にも負けず・・ではありませんが・・みんなに木偶の棒(でくのぼう)と呼ばれる・・出苦の忘の坐禅をしてください。

有(会)難とうございました(12月22日/24日 加筆改記)

 

 

至道の禅語⑻ 独坐大雄峰・・坐禅の姿は、まるで富士山のようだ・・!?

中学・高校生の・・求道の問い(禅語碌の至言の意味)に答えて書いています

A:何か特別に大事なこととは・・私は大雄と云う名の深山に 独り坐している老人だ・・の意。

 碧巌録 第二十六則 百丈独坐大雄峯(ひゃくじょう どくざ だいゆうほう)

百丈山(別名 大雄山)は中国江西省洪州にあり人里離れた、そう高くもない山である(昔は虎が出没した山奥だった)

それを「大雄峯」と決めつけたおかげで、日本では富士山のような有名な山になってしまった。

【本則】奇抜で面白い話を紹介する。

百丈(大雄)山の禅院に、求道者が尋ねてきた。

「何か特別でめずらしいこと・・賞賛に値することはどんなことでしょうか?」

百丈懐海「独坐大雄峯・・別段、是と云って言うべきことは何もないな。ただ、老人が独り(虎が出るような)大雄という山奥に坐っているだけさ」

それを聞いた求道者、恭しく一礼した。

百丈、すかさず竹箆(しっぺい)で、ピシリと求道者を打った。

【頌】馬祖道一の弟子、百丈懐海は稀代の名馬である。

ちょうど、雷光一閃の瞬間、天地が逆さまになるような、すぐれた働きをする・・こんな非凡な禅者の前に来て「如何なるか是れ奇特事」・・とは・・

あたかも猛虎の髭をなでるような出来事だ。

ピシャリと打たれて済んだのも果報の内だよ(打たれるには意味がある)

この求道者、虎に遭遇しないで、無事、道に迷わず深山を下りられたかどうか・・わからない。 

 

この則には【垂示】が欠落しているので、百丈を取り巻く環境を書いておく。

ここに登場する百丈(ひゃくじょう)懐海(えかい720~814)が生まれたのは、中国史で誰でも知っている楊貴妃が719年に生まれた1年後(玄宗皇帝35才)の時代である。

蜀のげんえんの娘が楊貴妃となったのは745年。玄宗皇帝61歳。楊貴妃27歳・・百丈懐海26歳・・当時・・安禄山の謀反があり、ひどく風紀が乱れ頽廃の時代にあって、寺院や僧たちも相当に堕落していたようだ。

禅林(禅寺の修行する組織)が、ひどく怠惰で規律のない集団だったので、百丈清規(しんぎ=禅の宗団組織、生活の規則)を定めたのもうなずける。

五燈會元の記述に、老齢の百丈が、率先して働く(作務する)ので、弟子たちが密かに作具を隠したところ、自分の不徳の所為だ・・と食を絶った・・との逸話がある。

その時の有名な言葉が「一日作(な)さざれば、一日食せず」・・である。

また無門関では、第二則「百丈野狐(ひゃくじょう やこ)」・・口ばかりの悟った風の師家(指導者)を「野狐禅(やこぜん)」という・・有名な公案がある。

禅に関心のある方は、はてなブログ「禅のパスポート」=「無門関」素玄居士提唱・・絶版意訳をご参考ください。

 

彼の法系は、大鑑慧能→南嶽懐譲→馬祖道一・・→百丈懐海であり、弟子に黄檗希運黄檗宗)→臨済義玄臨済宗)。別に・・百丈→潙山霊祐→仰山慧寂(潙仰宗)の、禅、三宗の基礎を築づき、すぐれた禅者たちを打出した宗師である。

もし、玄宗皇帝の世に、百丈がいなければ、はたして日本に伝播した禅は、どうなっていたことか・・解からない。

【附記】世の中に出回る勇壮な書・一行書「独坐大雄峯」のイメージと、萎(しな)びた山間に独り、坐っている爺さん・・どうも一致しづらい。

現代社会は情報社会と言う・・けれど、頭脳の何千万人分、図書館の何千館分の知識をパソコンで利用できようと、また、広大な宇宙の果て銀河世界や、逆に最小単位のミクロ、量子物理学を究めつつあると言っても・・金の亡者のような経営者がのさばり、ちょっとしたもめ事で人を殺める社会が現実・・今の人間です。

社会の為になる研究や開発、頭脳そのものの研究、自然科学の研究に情報の活用は大事ですが、人は・・ソクラテス以来、誰もが思い考えてきた・・「自分とは何か・・」「幸福・安心とは何か」の問いに、何とか答えを見つけたいとする無常観(寂寥心)と・・いわゆる・・求道(好奇)心をなくしてはなりません。

この問いにスマホやパソコンは真実・安心の境地とはほど遠い、資料提供だけをする存在です。

だからこそ、釈尊以前からインドの地にあった「空・無」を拠りどころにする浄慮・澄心の「禅」が、現代社会の心の免疫不全に役立つのです(無功徳の禅が、無功徳だからこそ解毒剤の役割をもっている・・と言えましょう)

そして、先達が歩いた足跡・・禅行録(公案)が、迷う人に連れ添って、禅境(地)を語ってくれています。

千年・二千年前であろうと、ひたすら内面に「自己とは何か」を問いかけることに、何の電磁的集積回路や文明文化とやらが必要でしょうか。

むしろ知的思考に頼り、スマホやパソコンの情報を解析のツールにする以上、バランスを失った理性は、般若(智慧)の本体から遠ざかります。

それは人間とは・・思考そのものを思考できない・・生まれてから学ぶ脳・知識の、自己優先の限界、欠陥があるからです。

思考は、分別分析分化・・これを言語に置き換えてもよい・・学習脳内作業だから、まるでパソコンに永久運動の機械設計を依頼するようなもの。

円周率を計算させるような働きになってしまいます。

釈尊以来「禅による生活」をなした禅者たちは、般若心経の、いわゆる「菩提娑婆訶(ボーディソワカ)」の境地を体現して今に至っています。

世の中で、最も奇特で大事な事・・とは、虎が出没する深い山奥で、むさくるしい爺さんではあるが・・まるで「般若の真ん中で、どっしりと坐っている自分(自我)・・これである」・・と断言する百丈。

どうやら地球を尻に敷いて「ドン」と坐りこむ禅者の傍らで、仔犬のように跳ね回るのは止めて、静かに大雄山から退散することとしよう。

*百丈(大雄)山 海抜千メートル、孟宗竹に覆われ山腹に黄檗の滝がある。景徳伝灯録 百丈伝「大雄山に住す、居所 巌巒(げんらん 立ち入り難い峯々)峻極の故に、之を百丈と号す」とある。この山麓の原野を開拓して、黄檗・潙山ら禅者たちの作務(労働)により僧堂、方丈が創建された(仏殿はない)のである。

さらに附記します。

禅語録の公案とは、悟りにいたる坐禅の問題集ではありません。

約千年前の、求道者たちの師弟の対話や行脚、問答、独悟の様子を単的にまとめた語録です。したがって「仏」の字を、ホトケとして釈尊釈迦牟尼世尊)・・とか、仏教(仏陀の教え)として、宗教的に判断、信心、祈念、欣求すると間違いになります。

たとえば「如何なるか 是れ佛」と問答にあれば、佛を「ZEN」に置き換えて読まれた方が誤解が少ないでしょう。

(いずれにせよ、言葉や文字に捉われて思考(指向)しても、禅・悟り・・はありません)

碧巌録にせよ無門関にせよ、語録(公案)は、求道者(禅者)の生涯をかけた「禅による生活」の行録(行いを記録)なのです。

たかだか3年5年、僧堂で集団修行したから、学習、参禅で理解できるしろものではありません。例え師家から印可(見性)証明をされて、大寺の住職におさまっていようと、宗教・哲学の講釈を重ねようと、それだけでは真の禅者と言えないのです。

アナタは・・独り(何の得にもならない)坐禅をされて、自悟自知(行禅悟道)しないと、百丈の大雄峰に「独坐」する・・そんな禅境(地)は、知りようもなく、ありえようもないのです。

 

 

至道の禅語⑺ 放下着(ほうげちゃく)

至道の禅語⑺ 

放下着(ほうげじゃく)とは・・?

 「断・捨・離」のことですか? 

             ・・違います

中学・高校生の・・求道の問い(禅語碌の至言の意味)に答えて書いています

昔、この禅語を「下着を放って素っ裸で生きること」と解釈した人がいたそうですが、あながち、ひどく間違っているとは言えません。

*この禅語 出典は、禅語録「従容碌」五十七則に出ている公案です。

厳陽(げんよう)尊者、趙州に問う。

「一物(いちもつ)不将来(ふしょうらい)の時、如何(いかん)」

・・何ものも持ち込まない(禅境地)なら、どうでしょうか・・

趙州云く「放下着」

・・肩の荷を下ろしなさい・・

厳問う「一物不将来、この何をか放下せん」

・・無いのにおろしようがありませんが・・

趙州云く「恁麼(いんも)ならば、担取(たんしゅ)し去れ」

・・それなら(無いのに捨てようがないのを)担(かつ)いで行きなさい・・

 

いらないガラクタが部屋イッパイにあって、「断捨離」しなさいとアドバイスされて、きれいサッパリした・・けれど、また、しばらくしたら、ゴミ屋敷になってしまった。

中国の悪口に「飯袋子(はんたいす)・・食べるだけが能な、愚かなメシブクロめ」とあります。

これは、生きると云うことは、ゴミを出すこと・・人間、悪臭無限の宿業(カルマ)を言い表していますが、なんとか、そうしたゴミの山から抜け出したいと思う気持ちが「断捨離」になったのでしょう。

自分の執着心と行為の結果を反省して、ナントか断捨離したいという願望になった訳です(つまり・・執着心や願望を断捨離しない限り、再び、ココロがゴミ箱になり、次いで部屋がゴミだらけになる繰り返しになりましょう)

自分の意識や心掛けを戒める「断捨離」と、自我意識(執着心)そのものを坐禅(禅)によって解き放ってしまえ・・と言うのとは、根本から違います。

禅語「放下」は(着、語助で意味なし)・・放ち、肩の荷を降ろすこと・・の意です。

何もないココロから、何を捨てるのですか?・・の厳陽の問いに趙州は、にべもなく「それじゃ(その思い・・妄想を)担いで行きなさい」と突き放しました。

厳陽尊者が、趙州の意を解して、煩悩(思い)を放下できたかどうか・・この語録・公案には書いてありません。

執着(欲望)心を放下することは、坐禅をもってしても、そう簡単にできることではありません。

人間の「思い(妄想)はアタマの分泌物」として、そう簡単に、アタマ手放しは出来ません。この言葉は、曹洞宗の師家の方が書かれた本にありました。

【放下着】人生 ハダカ(心・・浄裸裸)で生きるべし・・の意。

どうやら、下着まで脱ぎ捨てよ・・素っ裸(のこころ)で生きよ・・と解しても、さほどに違いがありません。

人間は言葉や文字で自分の心を飾り立て、言い訳し、正当化し、ナカナカ正直にはなれません。

この覚悟の生き方は、どうしても、(3分間)独りポッチのイス「坐禅」でなければ、得られる禅境ではないのです。

 

 

元服の書㉑ 円覚寺續燈庵 故・須原耕雲(弓和尚)のこと・・

元服の書㉑  

弓和尚こと・・故/須原耕雲老師・・

中学・高校生の・・求道の問い(禅語碌の至言の意味)に答えて書いています

 円覚寺の境内に、横須賀線 北鎌倉駅がある。

夏目漱石が釋 宗演老師に参禅して「門」という小説を書いた禅・臨済宗の本山である。

石段を上って山門を入ると、杉木立の大木が聳え立つ、本堂・舎利殿へ続く、緩やかな登りの坂道となる。

その左手に弓和尚の名で知られた我が師、故・須原耕雲老師の焔魔堂(弓道場)がある。私が、大学入学時、縁あって寄宿した続燈庵は、ちょうど舎利殿(専門道場)の裏手にあたる山頂近いところだ。

今から60年位前の頃・・まだまだ深山幽谷の趣きがあった。鳥の巣が参道の木々にあり、ウズラが子ウズラを列にして小走りしていた風景を思い出す。

今時の紅葉や桜狩りの、押すな押すなの観光化した禅寺と訳が違う禅寺だった。

たまたま、手紙類を整理中、平成11(1999)年、会社の仕事(57才時)の帰りか、立ち寄った際の、老師からの手紙があり、その中に同封されていた「巻き藁(まきわら)」という弓道場生宛ての会報(原稿用紙に手書きしてコピーした)が二篇見つかったので、ここに紹介いたします。

巻藁 四十七 平11、3,3 【梅に題す】

円覚寺境内の梅が真白に香り見事だ。

弓道場(焔魔堂)矢道の梅は花がつかぬ、心配だ。

私は梅がすきで、續燈庵本堂の床の間には、五岳(ごがく)上人の梅に題す詩を、朝比奈(宗源)老師に御願いした軸が一年中掛けられている。

 風波或イハ怖(オソ)ル袈裟ニ及ブコトヲ  

 慚愧(ザンキ)ス 此ノ身 イマダ家ヲ出デズ  

 天地百年 総ベテ是レ 夢         

 笑ウテ看ル 寒月ノ梅花ニ上ルコトヲ    

朝比奈老師は「結句は訳さぬがよい。これはあくまで白梅でなくてはならぬ」と言われた。

二,三輪の白梅のもと、仰ぐと上弦の月が冴えている。

――丁度 ひきしぼった弓が、胸の中筋から分かれた「瞬間」・・

「矢ヲ看ヨ」の心境だ。肯心(コウシン)自カラ許ス 心だ

私は毎日夕刻、本堂の真中で、ゆっくり水平足踏み一分と三分の澄心(ちょうしん・ココロをスマスの意・行禅)のあと、この梅を吟じ、反省と勇気に結びつけております。

「ありがとうございました。おかげさまです」と。

     風波或怖及袈裟   世間の苦辛 坊主に及ぶ勿かれと

     慚愧此身未出家   コレじゃ まだまだ出家じゃないな

     天地百年総是夢   せいぜい百年 遊戯をせんとや生まれけん

     笑看寒月上梅花   白梅 雪となって散る・・呵々大笑(加納泰次 意訳)

 

巻藁七十二 平11、12,21【ヘソ呼吸で締めます(完)】

   百歳も今日一日のつづきぞよ 

      この一日をおろそかにすな

生きると、息をするとは同儀といわれる。

ブッダの五出の調(ととの)えでも一番に「吐く息を長く堂々とせよ」と申され、吐く息を多くせよ、吸う息は長からん――大事な、大事な呼吸法です。ヘソは神闕(シンケツ)という急所のツボで、神ガ宿ル所。肛門は人が一番最後に息を引き取る所だといわれ、共に人の最重要の急所です。

ヘソで息を吸い、丹田(たんでん)に納め、肛門から吐き切る――この呼吸こそ「無事有事ノ如ク 有事無事の如シ」の平常心につながる呼吸です。

越し方は ひと夜の如く思われて 八十路(やそじ)にわたる 夢を見しかな

弓あるは楽し 弓あるは幸いなり。

武ハ舞ニ同ジ—―と言われます。ひと息ひと息、一矢一矢、一日一日、弓をいただいて、翁(オキナ)の舞を續けてゆきたい念願であります。

神舞閑全(シンブカンゼン)ナル粧(ヨソオイ)ハ老人ノ体用(タイユウ)ヨリ出ズ。

 

日頃、暮らしの中や、閻魔堂(道場)での耕雲老師の立ち居振る舞いは・・いかにも「弓和尚」と呼びかけたくなる・・鎌倉期の古武士の面影がひしひしと伝わる禅者でした

(老師とは師事する人の意です。「親しき先生」と言うべき、中国からの呼称であり、老いたる指導者の意ではありません)

 

至道の禅語⑹ 毎日が平穏無事、幸せになるよう努力する・・の(誤)意?

至道の禅語⑹ 

日日(是)好日(にちにち これこうじつ)とは・・?

「毎日が、平穏無事、ミンナ幸せになるよう努力したい・・」など、あまりにも禅の解釈・誤訳にあきれます。

中学・高校生の・・求道の問い(禅語碌の至言の意味)に答えて書いています

A:雨が降ろうとヤリが降ろうと・・日日好日と道(い)えますか・・?

     この禅語 出典は碧巌録(第6則 雲門日日好日)にあります。

      【本則】挙す。雲門 垂悟して云く

       「十五日 巳前(いぜん)は 汝に問わず。

        十五日巳後(いご)は 一句を道将(どうしょう)し来たれ」

       (衆 對なし。自から代わって云く)日日是好日

意訳します・・

人里離れた廣東省韶州、雲門山の破れ寺で恒例、毎月五のつく日、雲門文偃(うんもんぶんえん)は求道者を集めて垂示した。

今日は15日。

今迄、何んとか生き延びてきた・・昨日までのことは問わない。

本日、今朝の時点、それぞれの修行の境地を述べてみよ。

(求道者たちは自分の境地を答えられず、沈黙、静寂した)

雲門は求道者の「禅による生活」・・その心構えを問うたのだが、一同、答えられず、沈黙したので、自らの禅境(禅者の一語)を吐露してみせた。

(昔は、師が質問したり、語録の提唱を行ったりした場合は、必ず、自分の禅機・禅境(地)を示衆、発現しました)

【雲門曰く】「日日是好日・・(雨が降ろうとヤリが降ろうと)何事であれ、今の今・・ことごとく好日好事である」・・の意。

現代では、密室の参事として、師家は秘密めかして、自己の禅境を語らない。真に実力のある露堂々な師家・老師が居なくなったと言えましょう。

つまり禅宗の寺僧に「禅」が亡くなったのです。

禅はもともと宗教ではありません。

独り一人が、見性(自発体覚)する一大事です。

遠慮なく言葉や文字に拘泥しないで雲門の「好日」を・・「乾屎橛」(尻拭きヘラ)、あるいは「餬餅」(こぴよう)に置き換えてみてください。相互に意味が、納得できるでしょうか。

*禅のパスポート、無門関提唱、素玄居士の頌をご覧ください。

第21則で雲門は「禅」のことを乾屎橛(カンシケツ・クソカキベラ)と言い、第77則では餬餅(こぴょう・ゴマをまぶした餅まんじゅう)と言っています。

詳しくは 「はてなブログ」禅者の一語(碧巌録意訳)/禅のパスポート(無門関 素玄居士提唱・絶版紹介)参照ください。

「毎日が、平穏無事、ミンナ幸せになるよう努力したい・・」など、あまりにも禅を無視した解釈、誤訳に、あきれて言葉が続きません。

【附記】雲門文偃(うんもん ぶんえん 853?~949?)・・雪峰義存の弟子。のち、五家七宗のひとつ雲門宗の開祖。

時代は、唐、武帝による仏教大迫害の災難期である。4~5万の寺が壊され25万~30万の僧尼が還俗させらせた会昌の役に直面した苦難の禅者。

生ぬるい平穏な生活の人には、想像すら出来ない過酷な、明日をも知れない中の・・今日の朝の・・いまの今の生きる境地・・「禅者の一語」なのです。

当時は、打ち首や餓死など日常茶飯事であり、禅を守る寺僧(求道者)は、遠く虎やコブラの住む深山に遁れたが・・例えば百丈の「獨坐大雄峰」碧巌録第二十六則は、虎が徘徊する深山連峰の大雄という山の事であり(比叡山ほどの千メートル程度の)道なき道を分け入り、滝があり孟宗竹に覆われた山中のことを云ったので、まるで日本の【富士山などの霊峰の事】だと勘違いしてはなりません。

どの公案、禅語録も、深山の破れ禅院での、命がけの求道者たちの師弟問答の姿を思い描いて、この至言の禅語、解釈意訳を読んでいただきたいと願っています。

農家で捨てた腐った味噌を、托鉢でもらってきた求道者が、鍋に入れて味噌汁にしたところ、ウジ虫が、はいずり出てきたので、それを箸でつまんで外に逃がした・・とか、悪童のイタズラで、托鉢に馬糞を入れられ、それを食して死んだとか・・日本でも室町期の戦乱、飢饉の狂雲一休の頃・・ソンナ・・千年の時をまたぐ業苦の時代です。

まるで地獄ソノママのような社会を・・「好日、好事」とする覚悟ができるでしょうか。

私は、役立たずの3分間・独りポッチ禅を提唱していますが、とても、そんな暮らしを「好日」として覚悟できる心得でも、環境でもありません。

ケレドモ・・「ひどい出来事が起こっても、より良い【好日】となるよう、努力しましょう」・・などと解説、誤解されては・・たまらんです。

前に紹介した「平常心是道」も、ウジ虫のわく味噌汁を啜(す)する覚悟のある「平常心」です。

日本(語)は、思考の素(言語)から崩壊してしまい、漫画や仮想空間が思考置換している・・バーチャル(電磁的想像)社会になってきた・・と思います。

これは、キット新聞の発行部数(漢字活字文化)が激減していくこと。世界的に漫画(アニメ文化)の蔓延とスマホの依存症で、静慮する時間を失なった由来によるのでしょう。

どうぞ脚下照顧(きゃっか しょうこ)してください。

有(会)難とうございました。

◆元服の書・・口にワダのくつわをはめられ、泣けど声も出せない人買いの船・・

元服の書⑳ 2018-11/10・・改稿しました。  

これは謡(室町期)の一節ですが、独裁の国の拉致やISの人質など、現代社会で行われている悲劇でもあります。一休さんの生きていた時代は、こんな世相を地獄と呼びました。

中学・高校生の・・求道の問い(禅語碌の至言の意味)に答えて書いています

深秋の夜長、風狂の禅者一休「狂雲集」(中世禅家の思想・市川白弦/岩波書店)を看ていたら「この時代の生活の中に一休がいる・・ここが地獄だ」・・(禅で言う)わが心の内に地獄があるとの意ではない・・の文句に遭遇した(解説566~567頁)

衆生本来 佛なり」というのは空ごとにすぎない。

あきらかに偽りである。偽りでないというなら、その証拠を見せるがよい。

このように一休は問うであろう。

室町時代は「おあし」の言葉が普及する貨幣経済と租税の、悪政の支配は農民にまで及びました。加えて、洛中飢饉、乞食数万、悪疫流行、人々相食(あいは)み、骸骨路上に満つ・・この娑婆(しゃば 現世)の辛酸苦渋の生活・・そのものが地獄であり、禅(悟り)の実践道場だ・・と一休は喝破して、狂雲の暮らしにドップリと漬かりながら生きていたのです。

寛正二年 餓死三首(の一つ)・・

極苦飢寒迫一身   飢えと寒さは身イッパイに

目前餓鬼目前人   今、目の前に餓鬼を看る

三界火宅五尺躰   この火宅から逃れれようもない

是百億須弥辛苦   この世は地獄、辛苦そのものだ。

一休は、禅僧であるが、1461(寛正2)年、餓死三首の漢詩を作った年(68才)6月16日、大燈国師の頂相(肖像画)を大徳寺に返して、親鸞浄土真宗の信者となった。

   前年、大燈国師の頂相を 賜うこと辱(かたじ)けのうし、

   予、今、衣を更(あら)ためて浄土宗に入る

   故に ここに栖雲(せいうん)老和尚に還(かえ)し奉る。

  離却禅門最上乗  禅という最も優れた法を離れて

  更衣浄土一宗僧   これからは、浄土真宗の信者です。

  妄成如意霊山衆    わが分際も図らずに、徹翁の宗徒となり

  嘆息多年晦大燈  永年 大燈をくらましたるを嘆(なげ)きます。

   

宗教で祀り上げられた禅僧ではなく、本音のただの禅者(信心は親鸞浄土真宗)一休になったわけだ。

風狂の自由人、一休の遺偈(死に際の一語)は「須弥南畔(しゅみなんばん)誰か我が禅を会す。虚堂(きどう)来たるも、半銭に直(あたい)せず」と、尊敬してやまない中国の禅者、虚堂智愚(きどうちぐ)に「今の我が生き様(境地)は解かるまい」と断言している。

しかし、死ぬ間際であっても、大道を独歩して、梵天に糞を捧げて感謝しようする気概(ド根性)のある禅者でした。

このように、禅を宗教・宗派(寺僧)に拘泥しない、禅による生活の自由人・・禅者・道人は、鈴木正三や乞食の雲溪桃水、大愚良寛、仙厓義梵などなど・・中国や日本に相当な数の人がおります。順次、禅語録や至言に出くわし次第、紹介していきます。

別奉魯愚「禅のパスポート」素玄居士、提唱で紹介の通り、禅は、釈尊、達磨の時代から、寺僧の集団で教導できる「宗教(教え)」ではなく、独り一人、坐禅して悟るものとされています。

禅は独り一人に備わっており、求道の深浅はあれど、それぞれが坐禅を通じて悟り体験するものだ・・との原点に返る時が、遅きに失したかも知れませんが来たのです。

 

現代、テレビ・アニメや、頓智一休さんのイメージが随分、誤って形成されてきました。室町時代そのものが狂雲の生活であり地獄であり、歴史でした(五山文化こそ虚構でありバーチャル社会と同義です)

そんな環境の中での真の自由人(因果応報に騙されない)不昧(ふまい)の一休さんは、森女との同棲、禅者であり、かつ、親鸞に魅かれて浄土真宗の信者となられたのです。

今時の観光拝観禅や、一休、良寛の書を有難がり高額で取引し、マスコミがもてはやすZENブーム・CM-ISM、瞑想による心落ち着くヨガ・ゲームから解放して、自由奔放の禅者にしてあげたいものだと思います。

 

現代は・・飢饉や疫病、悪政に苦しむ六百年前と違うとは言え、スマホやTV、IT依存症に、テロや亡命、不法移民の大移動。国民を餓死させても核開発やミサイルに現(ウツツ)をぬかす・・ごく一部の高額所得者や独裁的強者が、経済や国境を仕切る電磁的社会です。

一見、平和を装っていても、過年、北朝鮮の国家テロ、韓国機爆破の犯人として韓国の飛行場で、猿ぐつわをされて連行された・・アノ女性の姿・・さらに北朝鮮に40年あまり、拉致されて帰ってこれない横田めぐみさんをはじめとした何百の人たち・・口にワダの轡をはめられ泣けども声も出せず・・の姿こそ、規模・形態こそ国際的であるとしても、観阿弥の謡と相対して、アマリ変わらない風景ではあるまいか・・と思うのです。

純禅の一休宗純を語るには、漢詩の読みづらさはありますが狂雲集が必携です。真実とは、何はともあれ、五百年か千年か・・以上の時間が必要です。仏教でいう「業」です。有(会)難とうございました。

【附記】

一休宗純(1394~1481)・・南北朝統一1392年

*寛正の飢饉・・1459~1461年 長雨・異常低温・台風などによる北陸、関西、山陰地方で中世最大の飢饉。京都では10万有余中、餓死者8万人以上。土一揆発生。加茂川の河原を屍が覆いつくしたという。(一休65才~67才)

応仁の乱1467年~1477(一休73才~83才)

閑吟集・・1518年成立、悪政、戦乱災害の室町期、庶民に流行した編者不詳の狂歌謡集「何せうぞ くすんで一期は夢よ ただ狂え(我を忘れて、のめりこめ)」の小唄1節・・「人買い船は沖をこぐ、とても売らるる身を、ただ静かに漕げよ 船頭どの・・」

観阿弥(室町期)謡曲「自然(じねん)居士」・・人買いの手に落ちた幼子を自然居士が助ける能・・「口には わだの轡(綿で作った猿ぐつわ)をはめ、泣けども声が出でばこそ・・」遊女虐待の風景を描く。

*愚禿親鸞(坊主頭の庶民しんらんの意)は、妻子あり、弟子一人も持たず、ただ1回、南無阿弥陀仏と唱えれば、浄土に行ける・・と庶民に説いた方でした。

私(加納泰次)は、役立たずの「独りポッチ坐禅」を提唱する禅者ですが、親鸞浄土真宗)を信じます。