碧巌録/無門関の附記、補足なども、この禅・羅漢と真珠で解説します

碧巌の歩記⇒「碧巌録」意訳・・ 

禅のパスポート⇒「無門関」意訳・・の附記、解説は、「禅・羅漢と真珠」で追記補足します。                                           

碧巌の歩記 第百則を、禅寺の師家、提唱に倣って、和訳のみとしたところ、早速に奉魯愚(ブログ)読者の方から連絡がありました。独りボッチ禅は、誰とも語らない坐禅だからこそ、碧巌録や無門関の意訳が頼りです。素玄居士の頌というか評語というか・・禅の悟りの言葉、心境の表明に、愕然としました。驚きと既成の思惑の払拭に、随分 役立ちます。意訳や附記は出来るだけ、平易に紹介してください・・との要望です。

 

PCがいかれて、10年来の貯め込んだ解説、語源などのデスク再生がままならず、積年の読者の方がたには迷惑をおかけしています。所詮、また、新しくスタートさせるだけですから、碧巌録、無門関と、この随想・雑記「羅漢と真珠」時々、覗いてやってください。

「人生・・裸で歩むべし」露裸々に奉魯愚(ブログ)していきます。以下、ご要望の、碧巌の歩記 第百則の意訳です。

巴陵 吹毛釼 (はりょうすいもうけん)  第百則

【垂示】圓悟が求道者に垂示した。

この提唱をして、随分の月日が経ったが、何時も、因果とか、始終とかの一切の葛藤を放下して、お前たちに説話してきた。

しかしながら、誰かここに出てきて「九十日間も講話もし、説法もしながら、今更に、説(と)かない・・とは、どうゆうことですか?」と、言う者がいたなら、その者に向かって「よし、その理由が聞きたいなら、悟って出直してこい」といってやろう。

サテ、その・・曾って説かず・・というのは、説明すれば、ただちに「禅」に本旨に違反するからだろうか・・または、何も説かない、何も説けないことだから・・であろうか。試しに例を挙げるから、納得の者がいるかな。

【垂示】垂示に云く、因を収め、果を結び、始を盡(つく)し、終を盡し、対面して私なく、もとより曾(かっ)て説かざりしも、忽(たちま)ちこの出(い)で来たって一夏(いちげ)、請益(しんえき)せしに、何んとしてか曾(かっ)て説かざりしと道(い)う(者)あらば(われは道いわん)、儞(なんじ)が悟り来たるを待って、汝に向かって道(いわ)んと。且(しば)らく道(い)え、またこれ当面に諱却(いきゃく)するがためか。また別に長處(ちょうじょ)あるがためか。試みに挙(こ)す看よ。

【本則】挙す。

求道者が巴陵顥鑒(はりょうこうかん)に「般若(はんにゃ)の働きを、よく切れる刀=吹毛(すいもう)の釼に例えられますが、いかなるものでありましょうか」と質問した。

すると詩人でもある巴陵の一言「珊瑚(さんご)のどの枝にも、沢山の名月がキラキラ輝いている」と答えたソウナ。

【本則】挙す

僧、巴陵(はりょう)に問う「いかなるか 是れ 吹(すい)毛(もう)の釼(けん)」

陵云く「珊瑚(さんご)は枝々(しし)に月を撐着(とうちゃく)せり」

【頌】吹毛の釼は、迷妄を裁断して、金石麗生の輝きを放っているが、未悟の凡眼には映らない。しかし般若(禅)の働きは、天地いっぱい(この指先にも)未来永劫に活躍している。この般若というのは、科学や分別・知識の及ぶところではない。  

嗚呼、ナント素敵なことだろう!珊瑚の枝ひとつずつに、月の輝きの断片が、余すところなく輝いている・・とは。

【頌】不平をたいらげんことを要するも、大功は拙なるがごとし。

あるいは指をもて、あるいは掌(たなごころ)をもて、天によって雪を照らせり。大冶(だいや)も磨礱(まろう)しえず。良工も拂拭(ほっしゅう)して未だやまず。別別(べつべつ)。珊瑚は枝々に月を撐(とう)着(ちゃく)すとは。 

*巴陵顥鑒・・第十三則 岳州巴陵の新開院 顥鑒和尚のこと。

法系では雲門文偃の弟子。年齢不詳。洞庭湖の東岸に禅居した詩禅一昧の禅者。この珊瑚の枝~の句は、巴陵の先輩、善月貫休「懐友人詩」の一句を引用している。