「禅」についての「講義と講話・提唱」の違いについて・・

昔、禅の専門道場では、厳密に区分していたそうだが、今は知らない。

講義は、文字文意の思想的理解を深める講述のこと。

講話は、主題(テーマ)を解かりやすく、人生論を語るようにすること。

 

これらは禅の専門道場では行われず、もっぱら提唱(講座)・・これは僧堂師家・老師など求道の雲水を指導する者が、自己の禅体験を事例にして、古人=先達=禅者の禅機、禅境(地)を理解させるのが目的だ。

だから、理屈や文句を並べ立てて説明したり、知的表現や比較、分析的な論理に走るのを嫌う・・直截な体験実話が主の話である。

 

まるで千年前の禅者が、タイムスリップして、難関難透の禅問答を演じるような、イキイキ。ピチピチした語り口が、何よりの励みになる。

(私の場合・・漢文の和訳~意訳として講話ふうに自由に記述していきたい。参考には、山本玄峰老師の「無門関提唱」とか、素玄居士の「提唱無門関」が何よりの引導書です・・他、余談ですが、足利紫山「臨済録提唱」では、父が墨筆で書き与えてくれた「孤輪獨照江山静 自笑一聲天地驚」コリン 独リ 照ラシテ江山シズカナリ。自ズカラ笑ウ一声、天地オドロク・・この文句が、行録の鳳林に至る・・問答・・臨済の一語に登場しているのを発見しました。出典を教えてくれなかった父に感謝しました。自分自身で、臨済禅師の行脚、足跡にふれて、はじめてこの頌(偈)の状況がわかったからです。近く、額に入れるべく表装しようと思います)

 

この奉魯愚をご覧の方にお願いです。

ご縁あれば、素玄居士の由来、履歴・・ご教示ください

禅のパスポート 無門関 講話・意訳の、各則冒頭、素玄居士の「提唱無門関」頌(悟達一句)を紹介していますが、この方の履歴が判らないのです。

約30年前、神田の古本屋で・・「提唱 無門関」素玄居士 四六版132ページを購入。現在、ボロボロになるまで、再読・貴重しています。いろいろ手を尽くしましたが、戦前・・「禅」は宗教ではない・・と喝破された方なので、他の出版物も見当たらないのが実情です。

著者/発行者=発行所 狗子堂 高北四郎 東京市王子区上十條一五七八番地

(手書き修正 東京市池袋二の一〇五〇  

印刷者(所)徳永種晴 東京市芝区田村町五丁目二十三

昭和十二年八月二日印刷 昭和十二年八月十四日発行 

定価送料共貮円(手書き修正一、八〇)とだけ判明しています。

連絡 メイル⇒ taijin@j-com.zaq.ne.jp 

よろしくお願い致します。