◆昔・・袖すりあうも多少の縁!●今・・袖すりあうは痴漢の証し?

東京豊島区人口:285,000人/1㎢ ???

 グリーンランド人口:0.03人/1㎢ !!!

禅の修行をイメージすると、寺の専門道場でズラリ一列に並んで、警策を受けながら坐禅する雲水さんとか・・まことに規則正しくテキパキと雑巾がけする頭に鉢巻手ぬぐいのお坊さんたちの修行風景を、TV報道や新聞で目にすることがある。

これは、主に禅寺の坊さんになるための、いわば三年、五年の、資格取得、跡継ぎ養成のための修行だ。しかも、昔からの強制的、集中力鍛錬法とも言うべき、組織化されたシステムにのっとる坐禅ですので、私は推奨しません。

現代の日本には、残念ながら、一般人のための求道修行・・独りして正師を求める行脚の仕組みは無い・・のが現実です。

昔・・心ある禅の修行者は、仲間が寝静まった真夜中、夏は、やぶ蚊の飛んでくる・・冬は粉雪が舞い散る本堂の廊下などで、白い息を吐きながら、明け方まで、独り・・ヒッソリと坐禅(夜坐・やざ)しました。

こうした「独り」坐禅は、釈尊菩提樹下にせよ、面壁の達磨にせよ・・白隠や一休・良寛にせよ、真の禅者たちは必ず行なってきたことです。(今・・僧堂の修行=団体生活では、独立自主・・独り生まれ、独り生き、独り死す・・こころの奥底から「禅=坐禅が呼んでいる」・・ような、そんな生きることの根底を揺さぶる坐禅は失われました)禅は・・本来、役立たずの「独り」ポッチであり、坐禅は、わずか三分程度の心の集中・・その積み重ねにすぎません。まして、宗教でもないし、独りでも、集団(二人以上)で為したからといっても、功あるものではありません。

お寺で、早朝、一列になって、整然と廊下を雑巾がけする求道僧をみるとスガスガシイ気分である・・と言われることでしょう。

しかし、私には、歩調をそろえて、閲兵式に臨む北朝鮮の兵隊さんや、将軍様の前で、マス・ゲームする華やかな女子舞踊・・これだって、決して乱れてはおりませんので、禅でも軍隊でも刑務所でも違いがない風景であると思います。

それでは、いったい・・軍隊と禅堂生活との違いは何だろうか。

律(軍律、百丈清規など叢林・組織)にある限り、形式こそ違え、中身は、全体の行動に統一性を与え、自主性のない点で同じです。百丈懐海(ひゃくじょうえかい 720~814)は、組織化の悪弊に気づきながら、この点を覚悟して「一日為さざれば、一日食らわず」と、作務(仕事)の重要性を重視して禅林清規を制定したのです。

それは碧巌録二十六則「獨坐大雄峰」の公案・・禅は、独り自知・行ずるべし・・講話・意訳に詳細を記載する予定です。

●独りの時は、客と応対するように・・

客と接する時は、独りいる時のように・・振舞えますか?

私が「独りポッチ禅」で言いたいのは・・釈宗演の座右銘にある・・「独り居る時は、客と接する如く・・」「客と接する時は、独り居る如くせよ・・」の禅による生活・・その境地でありたい・・「独り」です。

現代人の「独りの時はワガママに」「対面の時はマニュアル通りに」装うジギルとハイドの2面的人格と行動は、どうも容認できません。

まして、公園のラジオ体操の音楽や保育園がうるさいとか、病院の隣のイビキがうるさいとか・・仏教用語でいう「我慢」できない=自分が慢ずる・・うぬぼれる人が多くなったことに、イササカうんざりしています。

*先日、ある大手病院の「病室での騒音について」意見(アンケート)に答えました。

隣のベッドのイビキやトイレの排水音にクレームをつける患者は・・個室に入るか、自宅で訪問介護を受けるべし・・死にかけの患者には、空襲・爆撃音でも、うるさいと云う人は少ない。むしろ、回復、退院の目安のついた人が文句をいう傾向がつよい・・と意見しておきました。

それと、一般論ですが、男性より女性の方が、感(受)性=五感本能=感情(執着)に長けているせいか、独り・・黙々と山登りや釣り、坐禅をする人は少ない。女、三界に家無しと言われる由縁(所以)も、これに起因するのでしょう・・それにつけても・・デジタル社会を「自己の利権的社会」と置き換えてもイイぐらい、ひどい厭嫌(えんけん)の社会現象です。平和と幸福の自己利権を振りかざせるのは、非常時の社会ではないからですが、平和にせよ幸福にせよ、お互い様のバランスというものがあります。マスコミで話題の政治や官僚、役人、芸能のスキャンダル・・には、上記、座右銘に続く、次の格言が役立つでしょうか・・?

【寝につく時は、棺を蓋うが如く、事に当たっては再思せよ】・・寝る時は、棺桶にフタをするように覚悟して寝なさい。また、何か行事には【あると思うな親と金。ないと思うな運と災難】と何度も思いめぐらせて行動しなさい・・の意です。

有(会)難うございました。(出会いがたいを・・あり得難いに重ねました)

また再会まで(中国語ではツアイチェン=サヨナラの意)

千年以上前から、禅は宗教ではない・・と言われてきた、禅者たちの教えが、デジタル時代になって、ようやく世界に開花しようとしています。折あれば、はてなブログ「禅者の1語」=碧巌録講話・意訳/「禅のパスポート」=無門関講話・意訳を検索してご覧ください。