般若心経とZEN・・現代人の、あまりにも安易で、造作的な誤解を解くため、般若心経の意訳を紹介します。

 それは・・「造作もないこと」・・です!

臨済録の「造作」と「般若心経」について・・

前回、この欄で、禅、臨済宗の始祖、臨済義玄黄檗希運の弟子ー867年逝)の言葉を取り上げた。奉魯愚を長い間、放置していた風に見えたろうけれど、私にとって、青天の霹靂とも言うべき大事な「造作の一語」である。何度も読んだ。

読むほどに、臨済という禅者が、今から1200年も前に、中國の北方、曹州の殺伐とした(荒っぽい)気質を持ちながら、南方、洪州の黄檗山で、直情純粋(一本気)な禅境(地)を貫いたことに感動する。臨済と言えば、徳山の三十棒と並び称される「喝」が有名だが、師の黄檗とて、三十棒は得意の鞭撻法であり、当時の修行法が、ひとり一人の禅的な熟成度に応じていたことが窺われる禅機の発露である。

 

臨済の「造作」については、三眼国土(足利紫山臨済録提唱 第十七講)に解説されている。

「大飯食らいの坊主が、観念坐禅をする。妄想の出ドコを抑えて、無念無想でなくてはならない・・静かに坐禅して、煩悩を起こさず、悟りを求めよ・・とか、坐禅一昧になりきって心を乱すな・・とか、みんな、これは外道のなすこと。みんな、これは「造作」=ハカリゴトだ。全部、悟りの真似事にすぎない」・・と喝破された。

この修行法が現代の寺僧に伝承されている「坐禅?」である。

坐禅に不要な知識や文化が、人の権威に纏わりつく(荘厳な服装で権威付けをする)現代にあって、それらの一切をはぎ取る素っ裸の心(浄裸々)=無依(ムエ・・人の衣類なし)での生活こそ禅行である・・と臨済は口を酸っぱくして叱責している。

 

別に臨済に限らない。過去、どの「禅者の一語」も利権、欲望の中に安心はないと・・釈尊の時代から言い続けられているのに、有難がって「般若心経」を唱えたり写経したりしている。

*般若波羅密多を深く行ずる時、総てのモノは、空(無)であると照らし見ることができ、一切の苦しみや厄災から度さ(救くわれ)るのである。

つまり、般若波羅密多(禅による生活)を深く実行しない時には、度一切苦厄は出来ない事だ・・と説かれている(これは大変、重要な警告です)

◎般若心経は「禅による生活」の神髄を貫く『呪』である。

現代人の、あまりにも安易で、造作的な誤解を解くため、以下、般若心経の意訳を紹介しておく。

 

摩訶般若波蜜多心経 (まかはんにゃはらみたしんきょう)

     『無い・無いずくしの智慧の教え』

観自在菩薩        禅者よ

行深般若波羅蜜多時    禅による生活(智慧の完成)を深く行う時

照見五薀皆空       宇宙のすべては空(無)と照らし見るから 

度一切苦厄        一切の苦しみと不安から解き放たれる

舎利子          禅者よ

色不異空         「ある」は空にことならず

空不異色         「空」は「自在」にことならない

色即是空         「ある」は、そのままに「ない」のであり

空即是色         「ない」は、そのままに「ある」のである

受想行識亦復如是     感覚や思い行い知識も またこのとおりだ

舎利子          禅者よ

是諸法空相        これらこの分別事は ことごとく空だから

不生不滅         生じてもいないし 亡びもしない

不垢不浄         汚れてもいないし きよくもない

不増不減         増えてもいないし へってもいない

是故空中無色       このゆえに「空」の中に「ある」はなく

無受想行識        思いや行いや 認識することなどもない

無眼耳鼻舌身意      眼や耳などの感覚など、意識の一切もなく

無色声香味蝕法      五感や執着する欲望のすべてもない

無眼界乃至無意識界    意識する世界、無意識、本能の総てもなく

無無明亦無無明尽    因果応報や煩悩もない、ないと思う事もない 

乃至無老死       さらに、老いて死ぬこともない

亦無老死尽       また老いて死なないということもない 

無苦集滅道       死苦八苦する、輪廻の業や愛執もない

無智亦無得       智もなく また得るものもない

以無所得故       その得るところ無きゆえに

菩提薩埵依般若波羅蜜多故  大いなる智慧(禅)により禅(さとり)を 

              体得(かんせい)するのだ

心無罣礙無罣礙故      心にこだわりがなく 疑いなきゆえに                   

無有恐怖          恐れおののくことがない

遠離一切顛倒夢想     あらゆる妄想と執着が離れ消えて無くなり  

究竟涅槃         ついに安心となる 

三世諸仏         過去現在未来、無限に大覚した禅者は

依般若波羅蜜多故     禅行(さとりのかんせい)

             禅による生活のゆえに              

得阿耨多羅三藐三菩提   ピチピチと躍動するいのち・・そのもの

故知般若波羅蜜多     禅による生活を、ただそのままに享受する         

是大神呪 是大明呪    (ゆえに)この霊妙で光り輝く真言をのべ 

是無上呪 是無等等呪   この比較できない心の不思議をのべ 

能除一切苦        よく一切の苦しみを除き、

真実不虚         真実にして虚(むな)なしからざる 

故説般若波羅蜜多呪    禅による生活を呪(マントラ)に説く

即説呪曰         呪に説いていわく

羯諦羯諦(ギャテイ ギャテイ) 来たぞ 着いたぞ

波羅羯諦(ハラ ギャテイ)   まったき青空のただ中に

波羅僧羯諦(ハラソウギャテイ) よくぞまあ すがすがしいこと

菩提娑婆訶(ボジソワカ   禅者は かく自然(ありのまま)なり

般若心経