つまらない!くだらない!・・no・・思いこそ大事な「好奇心」だ!

元服の書 ④ 

*昔(11歳~15歳頃)の成人式にちなみ、中学・高校生の問いに答えて書いています*

◆目的がなく生きるナンて・・

 「つまらない!」(充実しないの意)

◆何の役にも立たない、独りポッチ禅なんて・・ 

 「くだらない!」(昔の意味は京の都から江戸に出回らないの意)

◆「水」を教えたサリバン先生の指文字「Water」の働き・・

  こそ・・不思議な「好奇心」の発現!

人間には、喜怒哀楽の動物的な本能から発達した感(情)・・と、自分とは何か・・を考える知恵=理性があります。

好きだ 嫌いだは、犬猫、パンダの赤ちゃんにもあるね。

絵をかいたり歌を歌ったり、芸術や信仰やスポーツなども、心=感性でしょう。

原因を分析し、結果を検証するのを「理性」としておきます。

これは、何故とか・・どうしてとか・・学んで、研修する人間(好奇心)のある人間だけに出来ること。

役立たずとか、下らないとか・・批判、評価するのは、言葉や文字によって、比較したり分別(ぶんべつ)したり、発見発明したりすることにつながります。

じゃ・・イジメや虐待(ぎゃくたい)、暴力、戦争は、どうして起こるのでしょうか?

(どうやら、その深い震源は感情・・本能にあります)

先ほどの質問・・生きる目的がないから、つまらない・・というのなら、どんなことがあれば、つまらなくない・・生きる価値あり・・とするのでしょうか?(これは哲学です)

私を含めて大抵の人間は、この感性と理性のハザマで、なんとか心と体のバランスを、うまくとりながら共存しています。

例えば、日本の伝統、お中元やお歳暮など「これはくだらないものですが・・」と遠慮しいしい云うように聞こえますが、昔は、京の都から江戸に下る品物ではありませんよ・・と、贈り物の良さをいう言葉でした。

反対に江戸から、天皇のいた京都には「上る」といいました。

時代によって言葉は変化し、不偏(不変、普遍)の真理など、ありません。

アッ・・そうか・・人間は「言葉=文字」で考えてるんだ。

だから・・ヘレン・ケラーは、「水!そのもの」をサリバン先生から「Water」の指文字で知りました。(本質の開眼)

それには、ヘレン・ケラーの、無明・・心の闇に宿った「好奇心」が大事な役割だった・・としておきます。

さて、生きることの目的は何だ・・役立たない坐禅何故するんだ・・の答えは、自分の心に芽生えた「好奇心」・・どこからか湧いてきた・・その問いかけがある限り・・必ず、自分が自分で見つけてくれる・・(自覚)となります。

 

ですから、教育や本や宗教や親や友達や報道やスマホは、社会の多数の人たちの、共通の利便性を考えるものですから、参考にこそなれ、決して自分の「正解」を「自覚」できるような、答えにはなりえないのです。

人生・・何のために生きてるんだ?と思い、その「なぜ?どうして?」と思う、疑問が芽生えた「心」へこそ、水やりをしてあげてください。

 それは、どんな水か・・といえば、ヘレン・ケラーに施したサリバン先生の指文字「Water」のような働き・・です。

その働きを持つのが、役立たず「3分間独りポッチ禅」です。

言葉・文字 足らずですみません。

あてにならない文章ですが、ホントかどうか読み返してください。

禅者の一語「碧巌録 第56則 趙州の唯嫌揀擇(ゆいけんけんじゃく)」を見て下さい。

*4月14日SAT 7:15AM 改訂しました。

有(会)難うございました。