元服の書⑯ 坐禅は独りで、身心ともコンデションを整え、ゆったりと三分間なさってください

元服の書⑯ 

禅は「目黒のサンマ」ならぬ「役立たずの坐禅」に限ります

昔(11歳~15歳頃)の成人式にちなみ、中学・高校生の問いに答えて書いています

坐禅は瓦を磨いて鏡(禅者)にする方法(手段)ではない

坐禅している最中に「悟れる」?・・誤解です!

 

禅は「悟り/大覚、見性」を、第一の出発点にしています。

しかし、悟りが目的ではありません。悟りは、安心を得たい、迷った人の為の方便(方法)ですから、迷いがなくなれば「禅・坐禅」の講釈は不要になります。

自分の心が不安になり、イロイロな想いや、損得・好嫌(妄想という)に、どうすればよいのか・・解からなくなった時こそ、つまり、自分を見失った状態こそ・・そこに【見失なったと思った本来の自己】がチャントあることに気づく・・のが・・悟り・禅なのです。

何か、別の世界に、安心の境地があり、そこにたどり着く「安楽」の方法が坐禅である・・と思うこと。

それが大誤解なのです。

「役立たずの坐禅」とは、「何かの役立つ禅・坐禅」の反対側にあると思ってはなりません。役立たず・・とは、徹頭徹尾、何の「ゴリヤク」・・見返りがない・・損得、好嫌を忘れ果てた先の行い=ただ・・坐禅する・・行いにすぎません。

 

例えば、座禅して佛(悟り)になろうと修行する馬祖道一(ばそどういつ709~788)に、瓦を磨いて鏡にしようとする行いだ・・と、根本からの間違いを指摘した師・南岳懐譲(なんがくえじょう 677~744)の・・磨塼(ません)問答を紹介しておきます。

南岳懐譲の元に、求道者(沙門・後の馬祖)道一がやってきて、坐禅修行をはじめる。師は、道一の坐禅姿にうたれて質問する(伝灯録)

「お前さん・・坐禅して、どうしたいのか」

道一「覚者・・悟りの人に成ろうと思います」

師は、その傍らで、瓦を手にして石でゴシゴシとこすりはじめた。

道一「師よ、どうされたのですか」

師「瓦で鏡をつくりたいのだ」

道一「瓦が鏡にはなりませんよ」

師「では、坐禅して、どうして覚者になれるんだね」

道一「・・それでは、どうすればよいのでしょうか」

南岳懐譲「お前さん、心を落ち着けるために坐禅してるのなら、石仏にならないことだ。坐った仏像の真似なら、立像の真似もやらねばなるまい」

道一「どうすれば、真の禅定に入れるのでしょうか」

師「禅は、総てのタネを内包して、雨が降るのを待つ。やがて地が潤うと、芽が出(禅定の心)形なき花が咲く。完成とか破壊とかそんなものはない」

道一は、その禅機に触れて覚心した。

㊟この馬祖道一の禅のタネが全中国にの深山に展開して、現在の禅の大樹を形成しました。

とりわけ、中国から日本に渡来した禅は、寺僧による揺籃、教導しかない・・宗教集団、修行、師弟の鞭撻といった体系の中に伝統されてきました。それが、良くも悪くも、禅本来の・・それぞれ、独り一人の悟り体験をゆがめて、寺僧の集団修行の場、僧堂修行の温室栽培のような保護教育でなければ、悟りの資格、印可証明が出ない仕組みになって現代に至っています。したがって、さまざまな禅や坐禅の効用、効果がいわれ、修行の重要性と師弟継承(印可)の神秘的、密室的な方法論が取り沙汰されてきたのです。

しかし、語録に看る「悟り」体験は、僧堂、師家の鞭撻によるものではなく、自由闊達に、ヒョンなTPOで、突然、自分が自分一人で自覚される体験です。

釈尊は、1日胡麻を少々食べて苦行(坐禅)され、身体も心も衰弱されて河の畔に倒れていた時、スジャータという女性にミルクがゆをもらって蘇生されました。その後、釈尊は、深く人の生死を見極めるには、体調を整え、ゆったりとした心をもって坐禅することが大事だと・・独り、菩提樹下の坐禅をされて(・・のち)フト・・明けの明星をご覧になった瞬間、総てのモノが覚醒(仏性)を持っている・・天地同根のことを天地イッパイに溶け込んで・・直観されたのです。

これは、言葉や文字で表現できることではありませんし、教えたり学んだりして出来ることではありません。独り、ヒトリの「自分の自覚」によるのです。教育や社会文化は大地(環境)にすぎません。その禅・・種は、アナタ自身・・だけなのです。

 

例えば、世界に禅を紹介された禅者であり、仏教学者の鈴木大拙博士は、「臂(ヒジ)が、一方にしか曲がらないことに気づいて、悟りをえた」・・と、何かの書物で読みました。

外国の求道者たちが、どうしたら「ZEN」・・禅による生活に入れるのか?」と尋ねたら、テーブルを「コッン・コツン」とノックされて「ここから・・どうぞ」と云われたそうです。

 禅(坐禅)は宗教ではない・・とする純禅の教えは、達磨以来、そこかしこの禅語録(祖堂集・伝灯録・信心銘・参同契他)に記載されています。坐禅したから、悟りが手に入る・・そんな思いこそ大誤解であると、求道者に警告する禅者たち・・禅語録は、このことでイッパイです。

野狐禅で有名な「百丈野狐」の公案(無門関第二則)は、その禅の見識について、のっぴきならない覚悟=「独りポッチ=禅による生活」を物語る公案です。

馬祖、百丈の代に至って、達磨の面壁禅(純禅)と、行脚する義学者(口頭禅)の真贋が問われたことがよくわかります

*雲門(・・~949雲門宗開祖)の塵塵三昧(碧巌録第五十則)に登場する義学の僧は、華厳経から抽出した一文を担ぎ出して、アチコチの禅庵で寄宿、放浪していたとみえる。求道ギリギリ、発火寸前の心境の者に対しては、雲門の一語は鋭く突き放す・・「クソカキベラ」・・トイレ紙(無門関第二十一則 雲門乾屎)の答えが秀逸です。頭脳(思考)は、大変、利己的で、クソ(分泌物)の如く悪臭に満ちています。放下(思いに執着しない)ギリギリの絶句の一語です。

ところが、哲学、経典を擔ぐ、教育修行の、この頭デッカチの義学者には、グウの音もでない「飯茶碗」の一語で叩きのめします。

反対に、当時、文盲に近い、正直な求道者には、かえって「飯茶碗には白い飯」が、直截に・・素直に・・納得・透過(見性)されたようだ。

日本の妙好人たち・・讃岐の庄松さんだったか・・仏様はゴハン(茶碗)にあるぞ・・と言われたら、キット嬉しそうに茶碗をもって踊りだすことだろう。

スマホの幽霊ビトとなった現代人は、庄松に比べても、ヒドク劣化した民族になったと思います。

禅は「目黒のサンマ」ならぬ「役立たずの独りポッチ坐禅」に限ります。