元服の書㉑ 円覚寺續燈庵 故・須原耕雲(弓和尚)のこと・・

元服の書㉑  

弓和尚こと・・故/須原耕雲老師・・

中学・高校生の・・求道の問い(禅語碌の至言の意味)に答えて書いています

 円覚寺の境内に、横須賀線 北鎌倉駅がある。

夏目漱石が釋 宗演老師に参禅して「門」という小説を書いた禅・臨済宗の本山である。

石段を上って山門を入ると、杉木立の大木が聳え立つ、本堂・舎利殿へ続く、緩やかな登りの坂道となる。

その左手に弓和尚の名で知られた我が師、故・須原耕雲老師の焔魔堂(弓道場)がある。私が、大学入学時、縁あって寄宿した続燈庵は、ちょうど舎利殿(専門道場)の裏手にあたる山頂近いところだ。

今から60年位前の頃・・まだまだ深山幽谷の趣きがあった。鳥の巣が参道の木々にあり、ウズラが子ウズラを列にして小走りしていた風景を思い出す。

今時の紅葉や桜狩りの、押すな押すなの観光化した禅寺と訳が違う禅寺だった。

たまたま、手紙類を整理中、平成11(1999)年、会社の仕事(57才時)の帰りか、立ち寄った際の、老師からの手紙があり、その中に同封されていた「巻き藁(まきわら)」という弓道場生宛ての会報(原稿用紙に手書きしてコピーした)が二篇見つかったので、ここに紹介いたします。

巻藁 四十七 平11、3,3 【梅に題す】

円覚寺境内の梅が真白に香り見事だ。

弓道場(焔魔堂)矢道の梅は花がつかぬ、心配だ。

私は梅がすきで、續燈庵本堂の床の間には、五岳(ごがく)上人の梅に題す詩を、朝比奈(宗源)老師に御願いした軸が一年中掛けられている。

 風波或イハ怖(オソ)ル袈裟ニ及ブコトヲ  

 慚愧(ザンキ)ス 此ノ身 イマダ家ヲ出デズ  

 天地百年 総ベテ是レ 夢         

 笑ウテ看ル 寒月ノ梅花ニ上ルコトヲ    

朝比奈老師は「結句は訳さぬがよい。これはあくまで白梅でなくてはならぬ」と言われた。

二,三輪の白梅のもと、仰ぐと上弦の月が冴えている。

――丁度 ひきしぼった弓が、胸の中筋から分かれた「瞬間」・・

「矢ヲ看ヨ」の心境だ。肯心(コウシン)自カラ許ス 心だ

私は毎日夕刻、本堂の真中で、ゆっくり水平足踏み一分と三分の澄心(ちょうしん・ココロをスマスの意・行禅)のあと、この梅を吟じ、反省と勇気に結びつけております。

「ありがとうございました。おかげさまです」と。

     風波或怖及袈裟   世間の苦辛 坊主に及ぶ勿かれと

     慚愧此身未出家   コレじゃ まだまだ出家じゃないな

     天地百年総是夢   せいぜい百年 遊戯をせんとや生まれけん

     笑看寒月上梅花   白梅 雪となって散る・・呵々大笑(加納泰次 意訳)

 

巻藁七十二 平11、12,21【ヘソ呼吸で締めます(完)】

   百歳も今日一日のつづきぞよ 

      この一日をおろそかにすな

生きると、息をするとは同儀といわれる。

ブッダの五出の調(ととの)えでも一番に「吐く息を長く堂々とせよ」と申され、吐く息を多くせよ、吸う息は長からん――大事な、大事な呼吸法です。ヘソは神闕(シンケツ)という急所のツボで、神ガ宿ル所。肛門は人が一番最後に息を引き取る所だといわれ、共に人の最重要の急所です。

ヘソで息を吸い、丹田(たんでん)に納め、肛門から吐き切る――この呼吸こそ「無事有事ノ如ク 有事無事の如シ」の平常心につながる呼吸です。

越し方は ひと夜の如く思われて 八十路(やそじ)にわたる 夢を見しかな

弓あるは楽し 弓あるは幸いなり。

武ハ舞ニ同ジ—―と言われます。ひと息ひと息、一矢一矢、一日一日、弓をいただいて、翁(オキナ)の舞を續けてゆきたい念願であります。

神舞閑全(シンブカンゼン)ナル粧(ヨソオイ)ハ老人ノ体用(タイユウ)ヨリ出ズ。

 

日頃、暮らしの中や、閻魔堂(道場)での耕雲老師の立ち居振る舞いは・・いかにも「弓和尚」と呼びかけたくなる・・鎌倉期の古武士の面影がひしひしと伝わる禅者でした

(老師とは師事する人の意です。「親しき先生」と言うべき、中国からの呼称であり、老いたる指導者の意ではありません)