元服の書㉓ 親鸞さんはどんな方ですか?

元服の書㉓ 

中学・高校生の・・求道の問い(禅語碌の至言の意味)に答えて書いています

A:一言で云えば、オノレ・・独りの為に、弥陀の本願はあり!と云われた方です・・

先にブログで述べた一休さんもそうですが、今回の親鸞さんや禅の達磨さん、釈尊など、どんな人物像も、時代背景を抜きにして、現代感覚で判断、批評はしてはならないと考えています。

当時、それぞれの文化や社会制度は、現代に比べれば、ひどく、残酷なものでした。ただし、科学や文化全般で言えば、世界史一つとっても、今の小学生以下の知識、教養であっても、自分とは何か・・無常な社会に生きるのはどうしたらよいか、死ぬことはどうゆうことか・・自分を見つめ考えることや、先達の教えを求道する姿は、遙かに優れていたと思います。

どんなにAIやスマホで検索し、有り余る情報社会の只中にあっても、死や争いや利権、欲望、自分本位の行動の本質は、かえって悪化していると思います。

人生四・五十年の昔の人は、寿命百年の現代と比較して、濃密で自由な生き様でありました。

寿命が倍に伸びたのなら、熟成の年月も倍になるのが、考えることのできる人間でありましょう。

若者に「ココロクバリ」を漢字で書いてください・・といったら半分の人が「?」でした。字は「心配」と書きます。他人をシンパイすること・・すなわちココロクバリ出来る人が、それだけ減少したことになります。

それでは「シン」の字体は、いくつあるでしょう。

私は65歳を越して、仕事の傍ら・・はじめて、千年ぐらい前の、中国の禅者の語録(日本の禅寺で提唱されている)無門関や碧巌録の意訳を試みました。

若い時から、鈴木大拙先生(全集)や、師家の翻訳、解説など、読んではいても、生の漢文を読み下すのは大変です。戦前までの寺僧、先達があればこそ、また翻訳、語学者、辞書あればこそ、どうにか意訳できるようになってきました。

(でも、今でも、一文字の中に、どれほどの深い意味が隠されているのか・・?という想いや、形象文字の不思議さに取りつかれて、一晩を明かす・・年寄りに体の毒ですが、時にそんな日があります)

PCは【0と1】で演算し、人は文字、言語で思考すると云われます。

さてシンの字は【新・真・深・信・心】位か・・せいぜい【臣・神・身・浸・浸】の10文字の当用漢字を知っている程度で、あとはPCの検索まかせ、文章事例まかせのKYで、何の文化、ホントの文明の進化でしょうか?自分に利権のあることにのみ考えて行動する・・自分勝手な社会=集団が、繁栄した例はないと思います。

「シン」の字体は角川「新字源」によれば135文字。

「心」のついた身心や心痛など122熟語ありました。

寺小屋で学んだ読み書きソロバンの実用教育の方が、はるかに心豊かな社会であつたというのは、私一人の思いでしょうか。

昔の作家は、信奉する作家の文体を、そっくり筆写して作法を学んだといいます。刀工や宮大工、職人や板前は現代でも、その風、業(わざ)を身をもつて学びます。

禅も、教義学習からではなく、仕事や勉強の合間の・・独りポッチの坐禅の実行から始まります。

起床の時、就寝の時、昼休み・・など、タッタの3分間・・イス禅、寝禅、トイレ禅ETC・・チナミニ、この奉魯愚を看(見)終わったら、独りイス禅、やって見てください。ソンナこと、すぐできると思ったら大間違い。役立たずの数息観イス禅で3分・・

まともにできた人をナカナカ見かけません。

独りです。仲間を作らず「全世界で唯、アナタ独り」の坐禅をしてください。

(独り五合庵で雨音を友として暮らされた・・禅者、大愚良寛さんの記事は、もっと私の中で発酵・熟成(吟醸)してから記載する予定です)

愚禿親鸞(ぐとく しんらん 1173~1263)は、鎌倉時代、前期~中期・・方丈記に書かれている養和(1181年)の飢饉・・洛中の死者4万人以上の頃、9歳で得度され、法然の専修念仏に入門された・・後に「教行信証」1247年を完成された浄土真宗の開祖と云われている方です。

一説に、法然上人の浄土往生を全国に布教する、他力本願の念仏道場を広めるため、独り、禿げ頭の半僧半俗(妻帯・4男3女)の人として、開宗なさる意思はなかったと伝記にあります。私は、この「弥陀の本願は、この親鸞一人の為にある」との確信に満ちた言葉。そして地獄のような飢饉、疫病、災害、戦乱の世相に、自我を捨て果てて浄土を欣求する姿に畏敬の念を覚えます。さらに仏教学者であり、禅者であつた鈴木大拙博士の著作に・・念仏で「禅による生活」を体現した「妙好人」がおられるのを知って、自力と云い、他力と云うも、突き詰めれば「本願」=禅・「悟り」は、何ほどの区別が出来ないものだと思えるようになりました。

ちょうど親鸞上人にオーバーラップして、遊行聖(ゆぎょうひじり)と呼ばれた、踊り念佛の一遍上人(1239~1289)の出現で、一層に確信の度は高まりました。

その法語に、自力他力は初門のことなり。唯一念仏なるを他力とは言うなり「生ずるは独り、死するも独り、共に住するといえど独り。さすれば共に果(はつ)るなき故なり」とあります。 

また34歳の頃の法語に「地獄のおそれや極楽を願う心も捨て、諸宗の悟りを捨て、一切のこと捨てて申す念仏。愚老の申すことも捨てて山河大地ことごとく念仏ならぬものなし」とあります。

親鸞と同様、開宗(教祖)の意思なく、狂乱の踊り念仏を見世物にして、独り・・捨て聖として・・満50歳、栄養失調で亡くなられたと云います。

お断りしておきますが、私は、浄土宗や浄土真宗の教団や禅寺僧侶による組織を仲介にした信仰は持ち合わせておりません。

親鸞その人を信じて「南無阿弥陀仏」と祈る・・「禅(による生活)者」の一人です。元服の書㉒末尾に書きましたが・・この誰も窺いしれない寂寥の「独りポッチ」の心情を、貴方も自分で探索してもらいたい・・と願っています。

有(会)難とうございました。