元服の書㉖「雨にも負けず」宮沢賢治の詩の主人公が現れた! 

A:スーパー・ボランティア 尾畠春夫さんについて・・独りポッチ禅では、この方を、どのように評価されますか・・教えてください。

     *中学・高校生の・・求道の問い(禅語碌の至言の意味)に答えて書いています

A:信念をもって行脚される禅者として尊敬しております。

まず、私の書いている現在の奉魯愚と禅の関係・・そして尾畠さんについて・・天秤棒のように話さないと、つり合いが取れませんので、この奉魯愚についてからお話します。

私は、はてなブログで【禅者の一語=碧巌録】意訳と【禅のパスポート=無門関・素玄提唱】復刻版を解説、紹介しています。

そして古今の禅(による生活)者・・の足跡や風景を、私の思うまま、感じるままに、自由に切り取って紹介しています。

禅語録(碧巌録、無門関)は、今から約千年ぐらい前、中国の唐・宋期に編纂(へんさん)された・・多くの禅(による生活)者たちの求道問答集です。

(真の答えは、独り一人の自覚、行いにあります)

日本では、禅宗寺院の継承者を養成する専門道場や、本山・寺院で僧堂師家(老師)の提唱(体験的解説)があり、禅についての教導が行われてきました。しかし、教育制度や社会の仕組みは激変しました。宗教についても、随分、考え方や欣求信仰の在り方など変わりました。例えば、千年も前の伝統的な禅の・・師を求めての行脚・行雲流水(雲水)の修行は時代遅れとして、若者は関心を持とうとしません。

現代は、分析・検証の科学的進化を尊重する社会です。

誰もが自分にとって・・面白い(楽しい)か・・役立つ(利得)か・・二つに一つを価値観とする仕事・生活の社会です。

しかし、「純禅」は「達磨 無功徳」・・何をなしても、ゴリヤクがない、いわば、釈尊以来の「無価値な坐禅と、その悟道の実践・・禅による生活」を基本としています。

ところが、戦後・欧米の文化や科学の発達により、21世紀初頭~もともとが宗教ではない禅(無価値=純禅)の求道者はいなくなり、絶滅に瀕する時代となりました。

観光拝観料で成り立つ有名寺院は、写経や精進料理、有名な禅者の書画を見たさに、諸外国から観光客が押し寄せています。

でも、どこを探しても、観光拝観禅や寺院の跡継ぎ養成所、温室栽培禅ばかりで、一休さん良寛さんのような純禅に生きた禅(による生活)者が見当たらなくなりました。

いや・・ひとりいましたよ。宮沢賢治です。彼は詩人・作家と云うより、禅(による生活)者であると、私は思い込んでいます。             

彼の「アメニモマケズ」の「みんなに木偶の棒と呼ばれ」・・る暮らし・その行いが、禅の独り寂寥の大地に立つ「役立たず」とピッタリ合致するのです。

私は、お金や名誉、地位(組織。団体)に執着せず、他人の為だけに奉仕する・・五欲(色欲・食欲・睡欲・名欲・利欲)のない・・「雨にも負けず」のような・・生活実践者・・こんな無功徳(無価値)に生きて、廓然無聖(純心)な人を「禅者」と呼んでいます。

悟りや禅を自分の都合のいいように解釈したり、勝手なイメージを膨らませて、日常、現実の暮らしとの格差に、幻滅することは よくありません。

次回に紹介する良寛さんでも「焚くほどに、風が持てくる落ち葉かな」と、一見、鷹揚にかまえているように見えても、イロリのお鍋には米が乏しく、水虫の塗り薬を頂きたい・・と布施を乞う手紙が残っています。

コンナ手紙を今時は額装にして、何十万円で売り買いするオークションを見たら、良寛さんは、現代人を何と思うでしょうか。

おそらく、享楽に溺れる自己中の社会にあきれ果てることでしょう。

ただインドで死を迎える庶民を看病して弔った故・マリア・テレサさん位に、宗教をこえた「禅」の心を知ったでしょう。

さて、アナタが問われた、スーパー・ボランティア、尾畠さんは・・現代に生きる数少ない「禅者」であると思っています。

赤い鉢巻を頭に巻いた尾畠春夫さん(79才)・・報道によれば、東京から大分の自宅まで1320キロの行脚(徒歩・野宿)の途上とか。2019年1月30日現在、まだ神奈川県内、国道沿い。一日わずか1時間程度の行軍が精いっぱいだ・・とのこと。大幅な予定の遅れは、子供連れのお母さんたちのスマホ自撮りや、色紙書きに並んで待つ人々に丁寧に応対するため・・だそうです。

どんな言葉を色紙に書いておられるのか・・お風呂はどうしておられるのか・・洗濯や食事は?・・トイレはどうされているのか・・持病はないのか?・・

昔、山頭火が乞食行脚した・・「しぐるるや道は一すじ」・・「まったく裸木となりて・・立つ」を「歩く」と置き換えれば、尾畠さんの境地であろうと思うのです・・こうした行脚・流浪の人を「散聖・捨て聖・野風・遊行の道者」などと呼びますが、そのおひとりであろうと思えてなりません。

一休さん良寛さんや山頭火、あるいは宇治 黄檗山万福寺(隠元隆琦・禅浄双修の念仏禅)の鉄眼道光(1630~1682 畿内の飢餓難民を救済して救世の大士とよばれた方)また、乞食の聖者と云われた雲溪桃水(1612~1683 曹洞宗)・・無宗教的な立場をとった江戸初期の鈴木正三(1579~1655)など(不思議に三人とも同時期の、いずれも世俗を離れた禅者達ですが)それぞれに出家、僧形の禅者であり、道者であるように、近隣住民の信を篤(あつ)くして尊敬されていました。

けれど、今は、デジタル社会です。都会人・エリートの暮らしぶりは立派ですが、それも建前だけ。幼稚園を建てるにしても子供の泣き声がうるさいから・・と反対の住民が騒ぐ、当たらず触らず、我 関せずのスマホ病の無関心社会です。                 

その無情なビル、マンションが立ち並ぶ、舗装された国道を手押し車を引いて尾畠さんは・・ヒタスラ歩かれています。講演しても謝礼は受け取らず、携帯をもたず。通りすがりの道端の人の、わずかお握り程度の喜捨があるだけ・・の中を・・です。たったお握り一つの施しでも、幼くして亡くなった母や山河大地の慈愛を感じて涙ぐむ尾畠さんを「御モテナシ」できる地域の正直な人々が、この長い行脚路に、はたしてどれだけ おられることでしょうか?

現代日本では、僅かに、四国のお遍路さんに路傍・ご接待の面影が残るのみとなりました。都市に限らず、大方の田舎でも、薄汚い孤独な老人は見て見ぬふりをする建前社会です)

万一に病いや困窮に倒れることあれば、どうぞ、今までチヤホヤと取材、放映してきたマスコミや、ボランティアしてもらった市町村など、挙って介助してあげて欲しいと願っています。

私は、私達の・・誰でもが知っている宮沢賢治雨ニモマケズ」の詩集から・・「そういう者に私はなりたい」・・の主人公が奇(貴)しくも現れた・・のだと思っています。

     雨ニモマケズ  宮沢賢治

雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ

イツモシヅカニワラッテヰル

一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ

南ニ死ニソウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイゝトイヒ

北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ

   ヒデリノトキハナミダヲナガシ 

   サムサノナツハオロオロアルキ

   ミンナニデクノボートヨバレ 

   ホメラレモセズ クニモサレズ

   サウイフモノニ ワタシハナリタイ

                 *宮沢賢治全集 第十三巻 筑摩書房 1997年発行

 

有(会)難とうございました。

次回は良寛さんを紹介しましょう。