元服の書NO33 ◆禅の深淵をのぞき見する!(9-11 加筆修正)

チョット禅の深淵をのぞき見してもらいたいために・・            

中学・高校生とその親御さんたち~第2の人生を歩む方の 求道の問いに答えて書いています

Q:三昧(ザンマイ・役立たず)の「坐禅」が出来れば・・悟れますか?

A:とんでもない!

まず「三昧」の心境に こだわらない坐禅が大事です! 

三分間、独りポッチのイス坐禅が出来れば、見性(悟)できると思い込んでいる人がいる。

「悟れる」・・と期待しての坐禅で、どうして悟れるものか。

出来ません。跡取り坊さんの養育の為に、集団・組織で教導する仕組みを、温室栽培・接ぎ木方式の修行・・(絶滅の)寺僧禅(別名、拝観料を取る観光禅)とも言います。

臨済宗の場合、修行の専門道場では「接心」と呼ばれる、僧堂師家との1対1の参禅、問答(公案)の応対があり、昔(戦前・戦中・戦後しばらくまで)は、人工(組織)的に、疑団の醸成・集中発憤させて、見性(発見発明)に誘導する・・人工ふ化的な修行が・・それなりの成果を納めたようです。・・モチロン失敗例は数知れずありました。

それが次第に、修行のマニュアル化が進行し形骸化して、ホンの2~3年の基礎研修ですら、堪えられない落第生が多数となり、悟りのアンチョコ本(虎の巻)や、見性の演技指導まで出回る事態となったようで、一挙に衰退してきたようです。

どうしてか?・・推察するに・・まず戦争で死ぬ・・不条理な死にざまがなくなったことがあげられましょう。独りで死に直面する覚悟を持たず、赤信号みんなで渡れば怖くない・・社会への甘えや、どうせ死ぬなら誰か道ずれの、無理心中が横行することになりました。加えて、科学的な進化は、寿命を百歳にまで延命し、働き口は、贅沢を云わなければ事欠かない状況であり、男女ともに独身を楽しむ自由な生活が保障されてきたからです。こんな一見、幸せそうな・・まるで動物園の岩山・猿群のような・・囲いコミ(ニュケーション)の社会にあって、一切の効用効果、機能機作を「無」に帰する・・無価値・無功徳・・役立たずの「坐禅=禅」に関心が持たれるハズがありません。

まして、暁の明星を看て、釈尊は「大覚・見性」された・・と奉魯愚(ブログ)に書けば、夜ごと空を眺める天文学者、全員がどうして悟らないのか?・・とか、坐禅三昧(ざんまい)の苦行の修行僧が、何故、達磨の廓然無聖の禅境(地)に到れないのか?・・など、すぐに問いかけしてくる幼稚さです。

自己探求がなさすぎです。まず自分で考えることすら放棄して、本や教導に頼るナンデモ【スマホ/マンガ】の依存症になったから・・でもあります。

前に、幾度となくお話したように【三昧=ザンマイ】の境地は、仕事三昧、スポーツ三昧、芸術・武道茶華道・趣味三昧など・・何事か意識を集中して、時間・空間を忘れる境地(行為)ですから、ナンとかオタクとか、老練な手工職人なら大抵が経験する、誰にだってできる境地です。

手ひどく云えば、パチンコや賭博行為でも三昧境に入ることができるのです。(車内に赤ちゃんを置いたまま、パチンコに興じた母親が、子供を熱中症で救急車に運ばせた・・と記事になったことがあります)

この三昧(集中)を「熱中」と解すればシャレにもならぬ悲劇です。独りイス禅は、まず数息観や三昧境(地)を卒業して、論理では解決できない公案を、坐禅に取り入れることから、本格的なスタートとなります。

公案が粘弄(ネンロウ・・鉄の飴玉を口の中で歯が欠け落ちるまで噛み味わう)できるよう・・になったら、朝な夕な・・何年であれ、何十年であれ、その答えが、内爆して自己発見(独抜見徹)できるまで、楽しみに舐め続けることが肝要です。公案は理屈(論理・哲学)では、ゼッタイ解(溶)けない・・情け容赦のない自分への絶対矛盾的「問いかけ=疑問」ですから 抱卵の母鳥のように温め続けなければなりません。焦ったり、苛立ったりしても見性できません。

これを、たしか故・澤木興道老師は「鼻先にクソぶらさげて 屁もとは何処だと探す愚か者」と諭されておられました。

この件(2019-9-11)・・タマタマ「禅に生きる沢木興道」酒井得元著(誠信書房)を読み返していた時、笛岡凌雲師から、坐禅のあり方を諫められた言葉であつたとわかりました。

(前略)・・ワシはそのころ、非常に悟りたくて仕方がなかった。ワシの事であるから、悟らんが為には極めて如才なく立ち回った。ところがある時、凌雲方丈は「興道さん、興道さん、そんなに悟りたい、悟りたいと悟りを求めてあせるものではない。チョウド鼻の先にクソつけておって、屁元はどこだ・・屁元はどこだ・・と騒ぎまわるようなものだよ」と言われたことがあるが、どうも汚いことを云う人だと思ったが、だんだん坐禅が確立してくると師の言葉が骨身にしみてよくわかった。・・とある。

師とは、坐禅の指先を教えるのでなく、月そのものを看ることを諭すものだとわかりました。曹洞系・・宿無し興道といわれた禅者の求道の歩みの一節を修正させていただきます。

私の・・鉄のような飴玉=公案は「何似生・カジセイ」です。これは「本来の面目」(父母の生まれる以前のお前とはナンダ?)とか、盤珪永琢の「不生禅」と同義のモノですが、(大学入学時以来~)六十年たった現在も、その一語は、ますます深く変化しつつ微妙な味わいを与えてくれています。

さて・・前号、坐禅の心要⑶・⑷で、一休宗純生涯の公案は「婆子焼庵」であると書きました。

彼は77才の時、住吉で盲目の琵琶奏者「森女」と出会い、88才で死ぬまで、慈愛に包まれた同棲の暮らしを為した禅者です。

遺言は「ナルヨウニナル・シンパイスルナ」

そして遺偈(亡くなる直前の言葉)は・・

須弥南畔(しゅみ なんばん) 誰か我が禅を会(え)す

虚堂 来たるも 半銭に直(あたい)せず・・とあります。

   *世界中で、いったい誰が 我が「禅による生活」を理解し得よう

    尊敬する虚堂智愚(きどう ちぐ 宋・禅匠)が来ても、何の価値もない。

チョット禅の深淵をのぞき見してもらいたいために、一休さんの「役立たずの坐禅」で 話を纏(まと)めました。

確かなのは「独り」ポッチで寂寥に歩く(裸心で生きる)こと。

どうぞ折々、3分間独りポッチのイス坐禅をなさってください。

有(会)難とうございました。