《禅とは?シリーズ》NO34 やさしい坐禅の仕方⑴ 三分間出来ますか?

元服の書NO34 わかりやすい坐禅・・

たったの3分間の坐禅・・ソレこそ何の役に立ちますか?  

中学・高校生とその親御さんたち~第2の人生を歩む方の求道の問いに答えて書いています

どうせなら30分とか1時間とか・・  

 もう少し 長くやれば良いじゃありませんか!

ホントだね・・

3分間ポッチに限定したのは、初心者の習慣化のため。

たったの3分間でもナカナカ坐禅は出来ないものです。思い(空想)が次々に脳裏をかすめて、静かに椅子に坐っているだけでも気分がイラツクものです。

坐禅で足が痛くなったり、まるで我慢比べのようになったりしては元も子もありません。

一番やりやすいのは「寝禅」です。横になって手足を伸ばし眼を半眼にして、1回10秒ほどの(複式)呼吸をして、その呼吸数を「ヒトーツ・・フターツ~ムーツと数え、これを3回繰り返します(計6×3=18回、約180秒=3分間)・・

(心も体も)リラックスしておこなってください。

*6呼吸(約60秒)の数息(すうそく)をするのは、まず気持ちを整え、想いにとらわれないようにするためです。まだ他に事由はありますが、いずれお話ししましょう。

人は、まるで湧いてくる雲のように・・スグに空想します。気にせず、またヒトーツからやり直して・・出来たら、続けて・・もう1回・・さらに、もう1回・・繰り返している内に眠くなります。それでいいんです。眠ってください。

うまく出来ない・・とか・・ナントか1回でもマトモニ寝禅、やり遂げよう・・など、思うこと自体を・・湧く雲のように放下着(ホウゲ・捨て去る)のです。

次にやりやすいのは、朝、目が覚めた時・・

起き上がる前の・・3分間。

その次は・・通学・通勤の往復電車の中・・スマホに手がいく前に、たった3分間。乗客の思い思いの表情や窓の風景に季節が感じ取れて来たら、足元が少しシッカリしてきた証拠です。

その次が・・お昼や3時の休憩時間・・姿勢を正して、眼は必ず半眼にして(眼を瞑(つむ)ると眠くなります)前方1~2メートル下を見ます。周囲のことが気にならなく迄・・気が散ったら、ソノママ止めて結構です。ナニクソ・・もう一度と・・無理やりがよくありません。世の中、そんな執着、造作ばかりです。

これで1日5回 15分間の立派な坐禅です。(1年で15分×365日=5475分÷60分=91.25時間あまり)この時間は、チョットした禅寺の跡継ぎ修行者の参禅・接心の日数です。もっとも生活の中での【行禅】は、身につくのに数年かかります。長時間やればやるだけ早く悟れる・・ソンナ安直なものじゃありません。

この3分間18回の数息に集中して【造作なく】呼吸できるようになってください。

よく瞑想などで、音楽や水音などに意識を集中したり、南無阿弥陀仏と唱えたりして、三昧に入るとよいと指導されます。坐禅の一番の邪魔は「聴覚」・・耳からの雑音です。次に「嗅覚」・・おいしいスイーツや食事、香水など、敏感になって、たちまちトリコになります。誰からの影響も受けない、純粋な釈尊(ダルマ由来)からの坐禅をなさってください。印を結ぶとか、結跏趺坐(けっかふざ)とか、伝統や形式に縛られることから行うと、執着や依存心が醸成されます。拘(こだわ)らないこと。執着から離れようと、努力しない事。坐禅は偏差値や試験じゃありません。一休さんの道う「ナルヨウニナル・シンパイスルナ」の禅境を真似ましょう。

手足はどうすればいいんですか・・自分の手足です。眠っている時、手はどうしていますか。坐禅の邪魔(妄想)にならぬよう、つり革を持ったり、イスに座ったらヒザの上に自然において・・お好きにどうぞ。

わかりやすく【独りポッチのイス坐禅】と名前をつけたのは、釈尊や達磨が、木陰や川のほとりで、誰とも一緒せず・・独りポッチで坐禅をされた由来に基づきます。

*心意気のあうお仲間と古寺名刹を尋ね、点心をよばれたり、写経やご老師の法話を聞いたり・・とか、本や茶華道やスポーツや瞑想、ヨガ教室などで話が出て「禅=坐禅」に関心が湧いた方がおられます。

でも、本来、坐禅は字の通り、人がバラ・バラ、それぞれに生活の中で、土や石や(中には樹上で)静慮した姿であり、二人以上、組になって組織(集団)的に研修・話題にするものではありません。

坐禅による「悟り」は 自からが自からを啓発・自覚するものです。少し独り坐禅をしはじめるとわかりますが、一呼吸ごと、同じ状態の呼吸はアリマセン。眠っている時も、食事の時も、スマホに夢中の時も・・自分の身体(呼吸)は《同じ状態》と云うことがないのです。体にせよ心(思い)にせよ・・常に変化(諸行無常)し続けている自分に気づかれるでしょう。それから、右手は左手の為に、足は働くために、口は食事をして胃腸は栄養を届け、心臓や呼吸は、止まれと云っても、黙々と、アナタ(自分)のために、ほんの少しの栄養(報酬)で働き続けています。ことに3分間イス坐禅など、他人の為にも、自分の為にもならぬ無功徳(無価値・役立たず)な行いに文句ひとつ言いません。髪の毛や爪や、垢や糞尿など、もともと自分でありながら、淡々と新陳代謝して自分から分かれて行きます。

独りひとり・・自分の呼吸から、坐禅に入るのが純禅のはじめです。

寺僧(師家)の教導や禅の本から、悟りに到った禅者など、私の知る限り(釈尊以来)ひとりもおられない・・といって過言ではありません。

      *釈尊・・釈迦牟尼世尊、お釈迦様、ゴーダマ・シッダルダのこと。

これから元服の書で「やさしい坐禅の仕方」を紹介します。

併せて はてなブログ 禅者の一語「碧巌の歩き」で禅語録「碧巌録」意訳を・・また「禅のパスポート」で、第2次大戦中に活躍された素玄居士(高北四郎)「無門関提唱」の絶版・復刻/一部意訳をしています。

おりおりに ご覧いただければ幸甚です。

禅は、独り一人に存在(無位の眞人/本来の面目)しており、これを自覚するのに・・例えば「コッン」とテーブルを叩く(故・鈴木大拙翁 発言)・・そこからワープ(参入・発見発明)する安心/禅による生活です。

これからの世界は、よきにつけ悪しきにつけ、電磁的社会・文化の中で宇宙を目指すか、愚かにも地球と文明を破壊するか・・どの道を選択するかワカリマセン。

しかし、私の願いは、将来・・遠く火星や木星土星を目指す、アストロノートのヒトリが、東西南北のない・・無重力の宇宙船の中で、ぐるぐる遊泳しながら独り坐禅をしている禅者の姿です。

どうぞ価値観なき「無功徳」の禅を、寂寥の内にアナタもなさってください。

   有(会)難とうございました。