元服の書㊲ 子供に坐禅を教えたいのですが・・

小学の子に「坐禅」をさせたいのですが・・ 

中学高校生とその親御さんたち~第2の人生を歩む方の・・問いに答えて書いています

まず、お母さんに対して厳しく言いますが・・無理です。

母親のワガママな願いを、子供に押し付けてはなりません。

お子さんが、おいくつなのか・・ワカリマセンが・・スマホやTV、ゲーム、PCではなく・・面白く関心を持つ遊びやスポーツなどさせて、一心に打ち込む姿を見守ってあげてください。

坐禅にせよ、瞑想にせよ・・基本は眼を半眼にしているか、閉じているか・・の違いですけれど・・私の友人知人100人の内、僅か3分間ポッチの独り坐禅を、10年間・・続けることができた人は・・1人か2人・・いるかどうか疑問です。ナカナカ簡単なようで難しいのです(息するのは どなたも気にしてませんが、意識すると、トタンに苦しくなります)

とりわけ欣求宗教ではない禅・・無功徳(役立たずの達磨)禅は、寂寥(せきりょう・孤独)を感じる人でなければ続けられません。

貴女が瞑想(坐禅)を、どれだけの深まり(禪境)で体験されているか知りません。けれども母親だからといって、どんな出来事でも、我が子まで道ずれにしてはなりません。

時に・・子に学び、教えられることが多くなった今は電磁的競争社会です。

例えば、幼児のママゴト遊び・・夢中で遊びます。夫役の男の子は、妻役の女の子ほど、アドリブの効いたセリフと仕草はできません(社会に出て働く男のイメ―ジが湧きにくいのです)。

妻役は、日頃の実際の家庭での生活を真似て、ママゴトと同じような生活を演じているか、または、かくありたい・・とする想いがそのままに、自由にイキイキと表情されている様子です。

 

映画やCM制作者や出演者の間で「子供(ジャリ)と犬猫には勝てない」とよく言われます。動物や子供たちの演技は、素直でアリノママ・・表現ではなく、心(情)が自然と表にでてくるものだから【表情】に引き付けられ、注目されるのです。

この純真な生活行動・・こそ、現代の大人たちが「表現・造作」ばかり作為的にすることで見失ってしまった【人間らしさ】でしょう。

 

最近 見かけなくなった・・公園のカクレンボで・・「ご飯ですよ」・・と母親が呼びかける風景・・ご飯を犠牲にしてまで遊びたい・・そんな遊び心を・・私たちは、何時、何処で消滅させてしまったのでしょうか。

 

今年は、2度目の日本でのオリンピックの開催です。

若い・・といっても、まだ少年少女としか言えないような子供が天才的な特訓、教導を受けて、脚光を浴びる時代です。

ソンナ優勝とか・・金メダルとか・・勝て!負けてはならぬ!の大人の競争、比較検証の社会を、進歩とか未来社会とか言ってソソノカスのは いったい誰なのか・・教えてほしいと思います。               

 

いや・・それよりも・・価値がありますとか、金や権力が得られますとか・・アナタは「何のために生きるのですか」とか・・お為ごかしに宣伝利用されるのはゴメンです。

 

千年前の白拍子の歌謡に・・【遊びをせんとや生まれけむ・・戯(たわ)ぶれせんとや生まれけん。遊ぶ子供の声聞けば、わが身さえこそ、動(ゆ)るがるれ】

梁塵秘抄」リョウジンヒショウ(1180年頃、平安末期の今様)

「人は遊びたいから生まれてきたのだ」とする興趣の湧く處・・千年前・・夢であった「遊び社会・・他の人が楽しく・・役立つように働ける社会」の実現こそ 行政に限らず、私達(独り一人)が 努力していくことだと思います。

しつけは大事ですが、親子もろとも、モットもっと、おおらかに暮らせる社会でありたいと願っています。

話が横道にそれました。(大事なことですから次回に繋ぎます)

独りイス坐禅は、余分なことを思わず、いつの間にか、数息(観)を忘れて(スウソクの)呼吸をしている・・仕事や勉強中とか、通勤中とか・・生活の中で、そんな【息する・・字は・・自然に心が・・落ち着くと書きます・・そんな呼吸の】状況に進化(シンクロ)なされるように・・。

有(会)難とうございました。