前代未聞・・首相主導のゼネスト?要請!

元服の書 NO42    

中学・高校生とその親御さんたち~第2の人生を歩む方の問いに答えて書いています

大変だ!前代未聞・・首相が小中高の先生・生徒に「ゼネスト」要請?

知人に、この4月、海外事業部に所属していて、イヨイヨ西欧(某国)に転勤する家族がいます。幼い姉弟を抱えての夫婦の出国の心配事は、日本人の入国が拒否されないか・・コロナ・ウイルスに感染した国の子供ということで、差別やイジメに遭わないか・・ということだそうです。

この3月当初、安倍総理の独断的な学童の全国一斉休学の提案は、どうやら国民説得の裏付けを欠いた施策のようです。インフルエンザの100万人規模の非常事態・・学童学級閉鎖の従来の体制から見たら、唐突で異常な判断と言えないだろうか。昨年秋、消費税UPを断行し、4月に中国から国家主席国賓として迎え、オリンピックを開催する予定の、日本の首相としては、歴史に名を遺すにちがいない栄誉であろう。しかし、リーマンショック以来の株価の暴落や、現在ですら尖閣諸島の領海侵犯を繰り返している中禍の国から、国賓を迎える是非を問われ、さらにオリンピックの中止も検討せねばならない(首相として最悪の事態を想定した時)一番手っ取り早い学校閉鎖を、卒業・入学・試験・就職の重なる3月に実行したのでないか・・疑われるのです。

このように推察する理由は、コロナ・ウイルスの正体が明確に判定できない今、インフルエンザ40万人(罹患1週間計)の学級閉鎖の処置行動を、わずか千人に満たない(罹患40日間計)の時期に実行して(一時収束したように見えたにしても)近い将来、再燃するであろう確率は高いとみるからです。

武田邦彦先生のブログ http://takedanet.com/  ご覧ください。勝手ながら、先生のデーターやご意見・・科学者としてのバランスの取れた評論・至言をもとに、私の意見をアレコレ構成しております。

また、そうした発言の前に国民を安心させる具体的な施策が大事でしょう。

私は・・何の役にも立たない(ゴリヤクなしの)イス坐禅を提唱するに過ぎない老人ですが、1カ月以上休めと(首相として国民に)提言する以上、学者や企業や労働者や公務員や幼い子を持つ主婦など、あらゆる国民の大半が・・ナットクする、論理的な医学数値を盛り込んだ事由説明が大事だと思っています。そうした裏付け抜きに、総理が責任をもって休むことを提言する・・というのは、チョット過大に云えば、小中高の先生、生徒に、首相がゼネストを要請、指示するに等しい?・・行為だと思うからです。まして閣議で決められたことでないとスレバ、口で言うだけの無責任宰相になりましょう。ナルホド総理は拉致問題にせよ、北方領土にせよ、アベノミクスにせよ・・何らの成果を出せない・・責任ある交渉をしていません。国民を納得させる実行力のある政治家ではなかったのです。全部、蕎麦屋の釜の中でした。(湯=言うバカリの意)

仮に、一時、学校閉鎖でコロナ騒ぎが沈静化したとしても、初夏以降・・何時、再燃するか解らない日本へ、オリンピックに、観光にと諸外国の人々が来てくれる訳がありません。ソンナ期待をする事より、まず、外国で意向打診の調査することが先決です。政府が、日本の歴史が始まって以来の、ゼネスト?並みのことをするのなら、貿易や国防、社会生活の総ての分野で、外国の信用を失う覚悟が必要でしょう。

日本の「和をもって貴し」となす国家の至言が失われます。

どうぞ学校の一斉休学の必要性を、国民が納得するよう、具体的に説明してください。

私が、日頃、口先よりも行いが大事というのは、まず、マスクや消毒液、それに検査機器の充実が出来ているかです。いつでも、どこででも、ふんだんにマスクや(アルコール)消毒液が売られており、せめて韓国なみに検査機器が充実してあり(15分で結果判明)、入院看護体制も安心・・と云うのが、首相としてなさねばならぬ国民への第一の責任だと思います。

こうした行動なくして、どうして国民と世界の信用を得られるでしょうか。

オリンピックが1年後の実施になっても、安心と安全のための努力の結果であれば、世界は納得してくれます。中国は原因を作った中禍です。自から国賓としての日本訪問と尖閣の領海侵犯は遠慮するのが道義というものでしょう。

次に、NHKの分割民営化を提案します。公共放送の名が泣いています。民放が視聴率を上げるために、しのぎを削っているのに、NHKは、店頭からマスクが消失していることすら放送せず、韓国に先取りされた検査機器(15分で結果判明)の紹介や、日本の医師会・それを取り巻く業界、政界、官僚の利権を暴こうとしない・・何が国民の為の「公共」なのか・・いかがわしい組織になりはてました。

それでいて、給料は、民放テレビ、官僚、議員より上ではどうしようもありません。この中禍(コロナ)事件で、公共放送らしい仕事は、どれだけなされたのでしょう。何もありません。もし、国会(与野党議員)が放送法の改正でNHKを解体できないのなら・・受信料を自動引き落とししている私達二人に一人が、都合により自動引き落としを解約して支払うのを辞めることにすれば・・それでNHK(1万人)天国は、アッという間に崩壊することでしょう。受信料を払わないことで税務署(税金)のように罰則はないと聞きます。次の選挙で、立候補の一人一人にアンケートして、NHK分割民営化(一部国営)の賛否を問い、民営化に賛成の議員に投票すれば事は済みます(これは、消費税UPの代わりに受信料無料化の提案でもあります)

それから、マスクや消毒液や、トイレペーパーや、紙おむつの買いだめはやめましょう。

私が花粉症(アレルギー)だからお願いするのですが、アチコチ薬局やスーパーを尋ね歩いてもありません。くしゃみや鼻水がでても、コロナでないか・・と周囲の人から疑われるありさまです。ふんだんに販売させるのが政治や自治体の役目ですが、庶民同士、買い占めなどするのは止めましょう。

恥ずかしいことです。

前号に続いて、首相のゼネスト?とマスク話になりました。

             有(会)難とうございました。

◆マスクと消毒液があふれかえるほど出回る日本に・・それが政治・行政の責任です!

元服の書 NO41・・2020-2-21 改稿しました。    

中学・高校生とその親御さんたち~第2の人生を歩む方の問いに答えて書いています

電磁的(スマホ)社会のこれから・・?

人は、前を向いてしか歩けません。

紀元1990年頃の日本では、PCとテレビ・・それにケータイがどうなるか・・電磁的媒体(メデア)は、文化と社会の希望でした。

過年、映像文化と活字文化のせめぎあいがあり、テレビは国民総白痴化が始まると警告する評論家もおりました。

あれから・・たった3~40年・・現在は、スマホ(デジタル5G)とテレビの4K~8Kの買い替えの時代です。

100年もたたないうちに、ハイカラなサングラス・・【メガネ】にPCやスマホ、TV機能は云うに及ばず、地図表示や、読書・・メガネのフチには、☏や♬、相互の民族同士の通訳機能をも利用した装置一式が内蔵される便利なメガネ型機器が出回って、国境が何故、必要か・・と問われる時代になっているでしょう。

また万一・・そのグラス型機器の「文明開化」に失敗する社会であるならば、反対に核戦争や地球寒冷化で、人類は・・よくて絶滅危惧種。わずかの日本人が南洋でバナナを食べる縄文人に先祖返りしていることでしょう。

はたしてIT化は文明の進化をもたらせてくれるのでしょうか・・

IT化を急ぐ先に、いったい何があるのか・・コロナ・ウイルスの騒ぎで、市中からマスクと消毒薬が消えました。マスコミが行政の対応と責任をシッカリ追及しなかったせいであると考えます。

頭脳(知性)と、格差社会の暴走の気配・・恐ろしさを感じるのは私一人でしょうか。

*人間一人を、ビフィズス菌に例えれば、100憶人=箇なら、僅かスプーン一杯分です。戦争にでもなれば、独裁国や共産国に限らず、民主主義を標榜する欧米ですら、無人型の兵器や、ドローン・アンドロイド型戦争に突入して、血を流すのは、平凡で貧しい愚かな民衆だけ。支配者・指導者階級のみ人間としてサバイバルする・・そんな国民(とりわけ母子)が犠牲になる国は、いったいどこなのか・・まず筆頭の亡国の民は・・専守防衛とか・・この平和の国に攻め込む国は無い・・とする日本があげられましょう。

今、すこし悲観論に傾いている事由は、中禍(中国のわざわい)新型コロナ・ウイルスの防疫体制のまずさとマスク不足?の現状です。

ウイルス感染の有無を15分~30分で検出する小型の機器が、杏林製薬で開発・発売されているという事実・・産経新聞2/14FRI-M版・・どうして政府や厚労省は、6時間も10時間もかかる従来の検査法を、モタモタ取り続けているのか。役人や医者・・行政関係者の怠慢を問いたいのです。それにマスクが日本中の薬局から消えた?・・現象を、いずれ出回るだろう・・とする、NHK他報道の無責任ぶりを問いたいものです。

マスクは、罹患者に有効で、健康な人がするのは、やらぬよりマシ程度だといいます。それが売り切れて、病院関係者でも買えないという珍現象を作ったのは、マスコミ・・とりわけNHKの報道不足、マスコミによる啓蒙のなさです。

かって・・阪神大震災の時、コンビニやスーパーから、水とホカロンが店頭から消えました。(筆者も、震災の翌日、西宮から徒歩で現地にはいったが、明日はもっと持ってきてください・・と希望されたのは【水とホカロンと(100円SHOPの)懐中電灯・電池】でした。

京阪間の店にないので、知り合いのお宅に押しかけ強盗のようにして、もらい受けて罹災者の方に配った記憶があります。               

NHKなど、戦後のドサクサの時はともかく・・公共の名を使い視聴料金を取るのはおこがましいと思います。放送法を改正して、民営化(一部国営・税金化)すれば十分と思います。

スマホが・・庶民生活や、災害・事故の時の為になる・・情報や機器の活用がなくて・・何の文明・文化の発展でしょうか。

まずは・・マスクの買いだめをやめること・・町中にマスクと消毒液があふれるようにしてください。一刻も早く製造、普及させる日本であってください・・お願いです。

有(会)難うございました。 

 

坐禅は、一人独りに備わっている「心の免疫」である!

禅とは?・・シリーズ     

  元服の書 NO40   やさしい坐禅の仕方⑷

中学・高校生とその親御さんたち~第2の人生を歩む方の問いに答えて書いています

息(呼吸・坐禅)は・・心の免疫づくり

赤チャンが誕生する時、力の限り泣きます。誰から教わったのでもない、この世に生まれて、初めて息をするのに産声をあげるのです。 

赤ちゃんが生きる第一の働きは、息(呼吸)をしたこと・・息(イキ)は「生きる」という「自(おの)ずから心を」生(しょう)ずる・・と書きます。誰もが、当たり前にやっている息が、坐禅の一番、大事な出来事なのです。

坐禅は、まず・・息を数え、息と姿勢を整え、眠らぬよう目を半眼にして行います。昔は、数息(息を数える/呼吸)を何万回と数えたり、南無阿弥陀仏と口の中で祈念したり、ヨガの姿勢にしたり、滝に打たれたり、いわゆる集中する修行を集団でしたのですが、無心とか三昧とか、・・ナカナカ人工的な難行苦行は成功しません。

現代でも寺僧の跡継ぎを養成する専門道場が、トマトや苺の温室栽培もどきに、形式重視の坐禅研修をして住職の資格を与えています。

佛教を生業にする僧籍でない一般人は、自宅や仕事・職場、学校の合間に独りで行う・・リラックスした正当な坐禅をなさってください。

「禅」を建物とすれば、チャント「玄関」=数息・・呼吸から入るのです。

*玄関・・禅語・・最初の関所・・入口の意。

知識や迷いや欲望など、身に着けた思惑、造作を忘れ、捨て去る時・・最後に残るのは「呼吸」と「心臓」の働きです。

思考を思考することの出来ない人間が「天地同根」を大覚できるのは・・?

頭脳(思考・感性)は、本能から発達した「言葉や文字」によって思考しています。つまり、産まれた時からの、母親や兄弟や学校などの教育と社会環境で学んだことを、比較し分別して、わが身の利害、損得に利用、判断している訳です。

では、自分と他者を区別する「免疫」のメカニズムはどうなっているのでしょうか。自他を分別するには、自他共通の土台がないと区分できないはずですが、何を自己とし、何を異物として認識するのでしょうか。それにアトピー性皮膚炎とか花粉症は、自己免疫の過剰反応だといわれますが、どうしてソンナ間違いが起こるのでしょうか。

不思議です。

*この免疫の考察は、医学者や生物学などの学者、先生にお任せします。

私は、身体と同様、精神(心)にも「免疫作用」があると思っています。

これを、心(霊性)の免疫と呼びますが、それぞれの人が、一人独り、自己参究する・・坐禅の数息(呼吸)から始まり、分析、区分できない矛盾の公案から・・突然、頓悟(飛躍)・・見性/自己同一/透徹・・の自覚(境地)にいたる・・それでいて、ハッキリ、普段の生活を大慈にしながら・・禅ニヨル生活を、淡々と営んでゆく・・そんな境地を、悟りと言い、この心の免疫を体験(体得)した悟者を禅者というのである・・と思うのです。

つまり頭脳の神経回路が、普段の思考回路とは別に、公案を拈弄するうちに直観(霊性)的な共感回路として創られ、結成するのでないか・・文字を書けなかった米つき恵能が、突如 頌(悟りの詩)の代筆を頼んだり、梅の香りで大覚したり、竹に石の当るカチンと云う音で見性したりする禅者の・・大悟する状態は釈尊以来、独りごとに さまざまで不思議な魅力を持っています。

禅を海外に紹介された、故・鈴木大拙先生(仏教学者・禅者)は、白隠慧鶴の「毒語注心経」・・般若心経の毒舌的解説の書・・の不生不滅の項の一節・・手臂不向外曲(手臂 外に向かって曲がらず)の一語で悟られた・・と、大森曹玄著(株)春秋社発行にあります。

手首やヒジは、内に曲がっても、海のタコではあるまいし、外側には曲がりません。この当たり前の、誰でもわかっている「不自由な自由」の事実に、どうして禅機(悟り)がヒラメキ・・一瞬の内に「天地同根・真空妙用」が体観できたのでしょうか。

後年・・アメリカで「ZEN」に入門するには、どうしたらよいのか・・の問いに、哲学的仏教的解説を加えられることなく、サラリと・・机をコツンと叩かれて「ココからどうぞ」と答えられたそうです。どうして、コンナ音一つでZENにわが身が投入され、公案が透化されるのでしょうか。

不思議です。この悟りの実態を、もっと脳内革命として研究する禅学者が出てきてほしいものです。

禅を「心の免疫」というのは、身体の免疫(細胞)が、他と自己とを、どんな仕組みで判断、区別してしまうのか・・極めて単純、自由闊達な答えがあると思うのです。それには・・理屈や造作抜きに、無功徳の達磨禅・・役立たずの数息イス坐禅を、独り行なうこと・・分別・意識・好嫌・感情や自利他利の損得が及ばない・・ココロのTPO状態でのみ、禅機・発見・悟りといわれる「心の免疫作用」が機能機作する・・と今のところ思っています。

心の免疫は、体の自己免疫同様、独り一人に備わる無功徳な働きですから、頭脳(の認識)に関与しない・・数息坐禅の実行で体得してください。

よくわからない免疫のことを、禅の場合に当てはめてみました。

有(会)難うございました。 

坐禅の仕方(3)◆この話・・独りイス坐禅に最適な公案です!

元服の書 NO㊴

中学・高校生とその親御さんたち~第2の人生を歩む方の問いに答えて書いています

      禅のパスポート 素玄居士提唱 無門関NO29 復刻・意訳    

    非風非幡(ひふう ひはん)第二十九則 

     【本則】六祖 ちなみに・・風、刹幡(せつぱん)を颺(あ)ぐ、

         二僧あり、対論す。一(ひと)りは云く「幡(はた) 動く」と。 

         一りは云く「風 動く」と。往復して かって理に契(かな)わず。

         祖云く、是れ風の動くにあらず、是れ幡の動くにあらず、

         仁者(じんしゃ)が心 動くと。

         二僧 悚然(しょうぜん)たり。

【本則】素玄居士 提唱

幡(はた)の動くのは、お前さんたちの心が動くのだ・・とは頗(すこぶ)る禅的だ。遉(さすが)に六祖じゃ。

大庾嶺(だいゆれい)の大将が、世の難を避けていたが、禅、興隆の時に臨(のぞ)み、山から下りた際の話である。

禪ではモノに即することなく、心は又その大敵じゃ。

風幡(ふうはん)に即せざるも、心が残っているから心で風も幡も動かしている、心に眼をつけて眼の敵(かたき)にするのじゃ。

肚(はら)がドッシリと坐っていると心奴(め)動き出ぬ。

心がヒッ込んでいると禅機、活発じゃ。撃石火(げきせきか)閃電光(せんでんこう)の活作略(かつさりゃく)をする。

ここが禅の生々たる流露(りゅうろ)じゃ。

素玄云く 帝銀事件で予審判事と検事とが互いに不事実を強調している。言の長き事六尺、語軽きこと三斤。

【無門曰く】(この・・無門曰くと、頌に曰く・・は意訳です)

風や幡や心に絡みつかれては、祖師(禅)は見えてこない。

では恵能の真意をどこでみるか。もしも、その真意を、はっきりと見るならば、二人の求道者は「鉄」を買って、それが「純金」だったことで、大儲けしたことになる。

六祖恵能は大変 苦労なさった方なので、ツイツイ本音を漏らして禅の大事を安売りしてしまった。

   【無門曰く】是れ風の動くにあらず、是れ幡の動くに非ず、是れ心の動くに非ず。

         何のところにか祖師を見ん。

         もし、この者裏(しゃり)に向かって見得して親切ならば、

         まさに知る、二僧、鉄を買うて金を得たり。

         祖師は忍俊不禁(にんしゅんふきん)、

         一場(いちじょう)の漏逗(ろうとう)なることを。

【頌に曰く】風も幡も心も、全部、たった一つの判決文で、決済をすましてしまう。言葉や文字を追っかけていては、総てが虚妄で災いのもとになる。心が動くと言えば落語のオチとなるぞ。

  【頌に曰く】風幡心動(ふうぱんしんどう)一状に領過(りょうか)す。

        ただ口を開くことを知って、話堕(わだ)することを覚えず。

【附記】帝銀事件・・1948年1月、東京都豊島区の帝国銀行、椎名町支店に顕われた男が、伝染病予防のためと言って青酸カリ溶液を飲ませ12名を毒殺。現金を奪った事件。犯人とされた平沢貞道は犯行を否認、1955年死刑確定。再審請求がなされて刑の執行がなされないまま1987年、95才獄死した。

坐禅で数息が出来てくると、素玄居士の提唱が少し見えてきます。提唱と云うのは、自分なりの見解(けんげ)がシッカリあって、生き方に迷いがない禅者の語りです。坐禅は息(呼吸)が大事で、数息することが一番、禅にふさわしいと思います。

数息の坐禅が身につくと、次第にどんな生活行動でも、自然と数息(呼吸)をしている自分が、自覚できるようになってきます。姿勢正しく、静かに物事に対応できるのです。

ただ、これは坐禅ではないし、当然、禅(ニヨル生活)でもありません。

自分の、どこから湧いてくるのか・・解かりませんが「坐禅」や「禅」によって不安な気持ちを解消したい・・とか、禅語録に登場する禅者の言動が、どこか生死を超えた、超然としたものを感じて、ナントカ理解、納得したいとか・・

こうした思いが募ってくるのが、人であると思います。その時の気持ちは、本や知識や、教導されることの煩わしさ・・誰にも相談したくない「孤独」や「寂寥」に包まれているのです。

さて・・ココから、禅語録の「公案」・・の、どの則の話題か・・数息坐禅をする人、それぞれを、ニッチもサッチもいかないようにしてしまう、不思議な搦め取られる「禅者の一語」が誕生してきます。

寺僧の専門道場では、老師・師家に相見して、公案・・例えば「隻手音声」とか・・「趙州無字」とか・・禅語の一節を、厳そかに与えられました。

私は、この僧堂の修行、密室の参事のあり方こそ、禅を衰退させた元凶であると確信しているので賛成できません。

ある程度、独りイス坐禅で、数息できるようになったら、次に、自分の関心がある禅語の一語を、独り坐禅で拈弄(ねんろう)なさるよう・・拈弄とは、理解不明な「禅者の一語」を、数息のように・・数息の代わりにして、溶(解・説)けない飴玉を、口の中でグルグル溶かし切るまで、嘗め回す状態をいいます。

公案は、どの則であれ解読不能です。哲学者であれ、宗教家であれ、神様、佛様、ノーベル受賞者・・誰であれ・・論理や分析、思考、意識、造作、判断、因果、結果・・経典・文字、説明・・一切キリ・・ソレこそ、なんの役にも立たない価値なき・・

「ZEN」が、禅者の行動で簡潔に書かれています。

いわゆる「悟り・見性・透化・大覚」とかは、坐禅公案を拈弄する・・それぞれの人が、霊性というか、直観というか・・それぞれの禅機(ヒョッとしたTPO)で、決して心理学的なものではなく、突然、体験(頓悟)するものです。

悟りを青い鳥のように追及したり、銀河帝国のフォース、ヨーダのように思いこんだりしてはなりません。

この則に登場する恵能は、山猿と蔑(さげす)まれる土地の出身であり、文字をかけない米つき行者でした。求道者として寺に入っても、長い間、米つき・・手作業の脱穀ばかり・・人に悟境の詩(頌)を書いてもらわないと、自分の気持ちを訴求することすらできない有り様でした。それでも、独り一人に禅がある。独り、ヒタスラの米つきが彼の「坐禅」だったのです。

昔は、中国や日本でも、求道者は達道の禅者を求めて行脚しました。師とするに足る禅者かどうか・・禅語録をひも解いて、問答して師の見識を査定したのです。そして、的確に求道者を見抜いて、垂示してくれる禅者に就いて、その「禅ニヨル生活」を学んだのです。(先生が生徒に試験されていた)

師も弟子も、それぞれ自給自足。アバラ小屋(禅庵)の周辺に、てんでバラバラに野宿して、師の挙動から禅を体得しようと努力したのです。原の白隠など、腐った味噌を農家から貰ってきて、具のない味噌汁に仕立てたところ、碗の中から、ゾロゾロ、ウジ虫が湧いて来るので、それを箸で一匹づつとって逃がしてやってから汁を飲んだ・・という逸話があります。また、ある求道者は、托鉢に出た時、悪ガキに鉢の中に馬糞を入れられ、これとて有難き施こしであるとして食して死んだといいます。

この公案の拈弄にいたる方は、少なくとも、私の意訳しつつある「禅者の一語・碧巌録」や「禅のパスポート・無門関」など、おりに読みこなされていると思います。

禅者の効能書きは、あまり語りたくありません。

数息が出来るようになられたら、お気に入りの公案、気がかりな公案のどれかを、ご自由に「拈弄」してください。

坐禅は、一人独りが行うものです。

禅は(昔は寺僧の揺籃を得ましたが)宗教・哲学・心理学ではありません。

はてなブログ「禅のパスポート」無門関・・ご覧ください。

はてなブログ「禅者の一語」碧巌録は・・この素玄居士提唱「無門関」復刻・意訳より、初心の方には取り付きやすいと思います。数息坐禅から、公案拈弄に入って・・坐禅する時、自己の禅境(地)をかえりみる一助となさってください。

(注)この素玄居士提唱「無門関」は、不許転載です。禅は宗教に非ず・・と喝破された方ですから、とりわけ寺僧の教導・教材になさらないでください。 

 

坐禅で大事なことは何ですか?

禅とは?・・シリーズ」やさしい坐禅の仕方⑵ 元服の書NO㊳

中学・高校生とその親御さんたち~第2の人生を歩む方の問いに答えて書いています

坐禅で一番大事なことは息の仕方ですか?

それとも坐り方ですか?

公案を拈弄(ねんろう)することですか?

何が大事・・と問われれば、呼吸です。

     ただ独り(イス)に坐って、ただ息をすることです。

        これを役立たず(無功徳の達磨)坐禅といいます。

お寺の坊さんになる修行なら ともかくも、現代の青少年に、坐禅の坐り方・・結跏趺坐(けっかふざ)とか半跏趺坐(はんかふざ)とか・・をさせて、イヤになって止めてしまう例があります。アメリカの青年が禅寺にきて坐禅した。

それが・・わずか数分で「足が死んだ」と叫んで道場を飛び出し、戻って来ませんでした。

まったく愚かな教導です。

足の組み方が間違っていたにしても、イス禅や寝禅したりしても、全部・・坐禅の内です。

むしろ問題なのは、坐禅や瞑想は本などを参考にして、自分一人でできるのに、わざわざ知人・友人を誘ったり、何か資格や免許のあるかのような仕組みの・・教導を求めたり、指導料をとったり、取られたりすることを、当然とする習慣が良くないと思います。

坐禅や瞑想で、迷いや不安感がなくなり、集中できて時間を忘れた・・と言われるかもしれませんが、三昧(ざんまい)の境地など、別段、誰から教えられなくとも、面白い(楽しい)事や、何か役に立つ事をしている時は、誰でもソンナ心境になることができます。

職人の仕事や茶華道などの芸事に限らず、アスリートや、幼児のママゴト遊び・・パチンコ、賭博だって三昧の境地に入って出来るのです。

 

坐禅や瞑想は、もともと三千年前から、インドが発祥の地です。

要は「独りで呼吸を整える」事が大事です。

また、息という字は「自(おの)ずから」の「心」と書きます。おのずから・・とは、貴方自身が、計らいや造作しない、妄想のない状況です。終日働いていようが、遊ぼうが、坐禅・瞑想しようが、寝ていようが、自然(じねんと呼びます)のままに「数息(呼吸を数える)」が生(な)されれば・・道を求める者、まず初め、形を忘(わ)する・・の境地でしょう。

ありていに言えば、心臓や呼吸が、頼みもしないのに勝手に動いている・・このことに、誰かの教導がナンデ要(い)るのでしょうか?

まるで「青信号!皆で渡れば怖くない?」

心的自己免疫過敏症と言うべき出来事です。

 

私は、眼を閉じる「瞑想」をすると、かえって妄想したり、眠くなるので、眼を半眼にしての独りポッチのイス坐禅をお奨めしています。息は1呼吸10秒程度「ひト~ツ・ふタ~ツ・・むぅ~ツ」・・と数え、計3回繰り返す。合計18回、約3分間ポッチの数息(スウソク観)でOKです。これを寝る時、起きる時、トイレの時、電車や信号待ちの時、働く前の時、授業の前や、スポーツの前、休憩時間ETC・・おりおり気づいた時にやってごらんなさい。

3分間独りポッチのイス坐禅は、やらねばならぬ・・とやっては長く続きません。

フト・・「あ、そうだ」と気づいた時に無理せず行うので充分です。

貴方の心が「あ、そうだ」と気づく・・

これが大事な「禅」への入り口(玄関)です。

玄関・・禅語・・初めの関所の意。他、普請、作務、造作・・など禅語。

何べんも何べんも、何の効果効能がなくとも、気づいたら、すぐにしてみることです。

3分間・独りの場・数息坐禅のTPOを弁(わきま)えましょう。

【附記】熱帯のインドで発生した坐禅(瞑想)は、涼しい木陰の大地、石上に、独り坐って「静慮」しました。

釈尊は六年にわたる入山。苦行してやせ細り・・ヨウヨウに下山。スジャータの山羊乳(施こし)を受けました。そして菩提樹下、体調を整えなおして、安らかに坐禅され・・明星の輝きをご覧になって大覚(見性・悟り)したのです。

心体ともども(コンデション)が、ベストでないと、正観できないとされたのです。また、赤道直下、日夜ともに暖かかければこそ、大地に直に独りが坐す・・坐禅が出来た訳です。

日本のように雪が降る国で「足が死ぬ」ような・・我慢大会の修行は、坊さん養成道場に任せて、関わらぬようにしましよう。

坐禅は文字通り・・人が土の上に、バラバラ(独り)に坐る姿です。屋根のある土間に座る「座禅」・・新聞や本で紹介される「座」の字は、本来の坐禅にふさわしくありませんので、私は採用しません。

もともと・・坐禅も瞑想も、三千年ぐらい前(仏教以前)に、数字「ゼロ」を発明した熱帯のインドで行われた整体静心の方法でした。

釈尊は、大悟の後、仏教(悟者/覚者の教え)を行脚、布教されましたが、禅については教外別伝(不立文字)として、独り・・迦葉尊者に付託されたのです。文字でも言葉でも表現、解説できない「ZEN」は、海路、ダルマによって中国にもたらされました。

(一説に彼は仏教宗団の誰かに毒殺されたといいます)

中国の禅者たちは、はじめ剃髪もせず、道者と呼ばれて、世の為、人の為、働いておりました。禅には「作務(さむ)」・・住む寺を普請(土木工事)したり、農耕、牧畜したり、生活手段(生業ナリワイ)として働いた・・ことが特筆されます。共産主義の「働かざる者、食うべからず」ではなく「一日、作(な)さざれば、一日食らわず」百丈懐海(720~814)の如く、自主的に、働かないのなら食べないおこう・・とする労働の尊さを大事としたのです。

その後、日本に伝播した禅宗は、すっかり宗教、教団に取り込まれて、今は観光禅に落ちぶれてしまいました。釈尊、迦葉~達磨~以来、一休、良寛など、ひとり独りの坐禅をもって発露したZENが、寺僧の生業と化してしまったのです。

現代は、商いや仕事をしながら、宗教に関与しない禅を求めること・・独り坐禅をすること。

これからのAI・・電磁的社会では、働く独り一人がバランスのとれた心体ともに免疫力を持つことが大事でしょう。体の免疫のことは学者の先生にお任せすることにして、心の免疫は「無功徳(役立たない)達磨禅」・・独り坐禅が担当することになる・・と思います。

               有(会)難とうございました。

 

元服の書㊲ 子供に坐禅を教えたいのですが・・

小学の子に「坐禅」をさせたいのですが・・ 

中学高校生とその親御さんたち~第2の人生を歩む方の・・問いに答えて書いています

まず、お母さんに対して厳しく言いますが・・無理です。

母親のワガママな願いを、子供に押し付けてはなりません。

お子さんが、おいくつなのか・・ワカリマセンが・・スマホやTV、ゲーム、PCではなく・・面白く関心を持つ遊びやスポーツなどさせて、一心に打ち込む姿を見守ってあげてください。

坐禅にせよ、瞑想にせよ・・基本は眼を半眼にしているか、閉じているか・・の違いですけれど・・私の友人知人100人の内、僅か3分間ポッチの独り坐禅を、10年間・・続けることができた人は・・1人か2人・・いるかどうか疑問です。ナカナカ簡単なようで難しいのです(息するのは どなたも気にしてませんが、意識すると、トタンに苦しくなります)

とりわけ欣求宗教ではない禅・・無功徳(役立たずの達磨)禅は、寂寥(せきりょう・孤独)を感じる人でなければ続けられません。

貴女が瞑想(坐禅)を、どれだけの深まり(禪境)で体験されているか知りません。けれども母親だからといって、どんな出来事でも、我が子まで道ずれにしてはなりません。

時に・・子に学び、教えられることが多くなった今は電磁的競争社会です。

例えば、幼児のママゴト遊び・・夢中で遊びます。夫役の男の子は、妻役の女の子ほど、アドリブの効いたセリフと仕草はできません(社会に出て働く男のイメ―ジが湧きにくいのです)。

妻役は、日頃の実際の家庭での生活を真似て、ママゴトと同じような生活を演じているか、または、かくありたい・・とする想いがそのままに、自由にイキイキと表情されている様子です。

 

映画やCM制作者や出演者の間で「子供(ジャリ)と犬猫には勝てない」とよく言われます。動物や子供たちの演技は、素直でアリノママ・・表現ではなく、心(情)が自然と表にでてくるものだから【表情】に引き付けられ、注目されるのです。

この純真な生活行動・・こそ、現代の大人たちが「表現・造作」ばかり作為的にすることで見失ってしまった【人間らしさ】でしょう。

 

最近 見かけなくなった・・公園のカクレンボで・・「ご飯ですよ」・・と母親が呼びかける風景・・ご飯を犠牲にしてまで遊びたい・・そんな遊び心を・・私たちは、何時、何処で消滅させてしまったのでしょうか。

 

今年は、2度目の日本でのオリンピックの開催です。

若い・・といっても、まだ少年少女としか言えないような子供が天才的な特訓、教導を受けて、脚光を浴びる時代です。

ソンナ優勝とか・・金メダルとか・・勝て!負けてはならぬ!の大人の競争、比較検証の社会を、進歩とか未来社会とか言ってソソノカスのは いったい誰なのか・・教えてほしいと思います。               

 

いや・・それよりも・・価値がありますとか、金や権力が得られますとか・・アナタは「何のために生きるのですか」とか・・お為ごかしに宣伝利用されるのはゴメンです。

 

千年前の白拍子の歌謡に・・【遊びをせんとや生まれけむ・・戯(たわ)ぶれせんとや生まれけん。遊ぶ子供の声聞けば、わが身さえこそ、動(ゆ)るがるれ】

梁塵秘抄」リョウジンヒショウ(1180年頃、平安末期の今様)

「人は遊びたいから生まれてきたのだ」とする興趣の湧く處・・千年前・・夢であった「遊び社会・・他の人が楽しく・・役立つように働ける社会」の実現こそ 行政に限らず、私達(独り一人)が 努力していくことだと思います。

しつけは大事ですが、親子もろとも、モットもっと、おおらかに暮らせる社会でありたいと願っています。

話が横道にそれました。(大事なことですから次回に繋ぎます)

独りイス坐禅は、余分なことを思わず、いつの間にか、数息(観)を忘れて(スウソクの)呼吸をしている・・仕事や勉強中とか、通勤中とか・・生活の中で、そんな【息する・・字は・・自然に心が・・落ち着くと書きます・・そんな呼吸の】状況に進化(シンクロ)なされるように・・。

有(会)難とうございました。

 

 

【犀(さい)の角(つの)のように、ただ独り歩め】・・ブッダのことば

 年末・年頭 所感 

はてなブログ・・禅者の一語(碧巌録意訳)/禅のパスポート(素玄居士提唱「無門関」復刻意訳/禪・羅漢と真珠(禅の心、禅の話)

・・この奉魯愚(ぶろぐ)は、2019年12月28日~2020年1月5日間は、一休さんの「門松は冥土の旅の一里塚、目出度くもあり目出度くもなし」にあやかって、菜根譚(さいこんたん)花看噺で通します。

半開(花は半開を看るべし)菜根譚 洪 自誠

花看半開   花は半開、清楚を看るべし・・

酒飲微酔。  酒はホロリと酔うほどにすべし・・。

此中大佳趣。 此の中にこそバランスのとれた風流がある。

若至爛漫モウトウ もしも酒乱泥酔の輩と一緒の花吹雪なら、

便成悪境矣。   花と酒 ともどもに最悪・・お断りだ。

履盈満者    えいまんの(みちたりた)者は 

宜思之。    今が看脚下だぞ。

       *モウトウ・・酉に毛。酉に匋と書く・・酒に憑りつく、アル中の意。

本年は・・はてなブログ計23149回の閲覧(アクセス)と☆86をいただきました(2019年12月28日19;30PM現在)

☆を沢山いただきながら、私がPCの使い方が未熟なため、お礼やご返事もままならない点、お許しください。

また、禅や坐禅のご質問には、ナニブン、禪は宇宙の中で役に立たない価値なき出来事ゆえに、貴方ご自身で見性(自覚)されること・・のみが解決法です。

ご参考に、碧巌録や、終戦前、真っ当な無門関を提唱された素玄居士の復刻・・各則の見解(けんげ)頌(禅機・禅境)など、禅者の風流な生活(行為)を紹介している次第です。

また、千年前の禅者と面談できるよう意訳に努めています。

ご覧になった禅語から【!・・?】と感じられた一語を 独りポッチ(3分間)イス坐禅で、思い返し、考え返してください。(これを拈弄/ネンローと言います)

禅の公案(問答)は、いずれも、異次元から答えられたように矛盾に満ちており、論理的心理的、哲学的科学的な正解はありません。これが正解だと言えば言うだけ、書けば書くだけ、間違いや誤解が増えるだけなのです。

釈尊ですら・・生後7日に生母を失い、ヤソーダラー(妻)との間に、結婚13年目に生まれた男児に「ラーフラ」(サンスクリット語で 障り。悪魔の意、漢字で羅睺羅(らごら)と名付け、子捨て(家出)しました・・その後、独り山に入って、6年に渉る苦行の後、菩提樹下、明星の輝きを見て悟りにいたる・・ソンナ苦悩、行脚の生活が背景にあります。

当時(2500年前)の平均寿命は30才前後。縁なくば、死んでも不思議ではない年齢でした。

後に羅睺羅は、仏弟子となったと伝えられています。

その因縁、由来はつまびらかではありません。

(山折哲夫著「ブッダは,なぜ子を捨てたか」集英社新書

更に1500年前、仏教伝来の最後を飾って、はるばるインドから中国に渡航して禪を伝えた菩提達磨にせよ、その後、禅語録に登場する中国の禅者たちは現実的な中国の風土に育まれて釈尊の・・

「犀(さい)の角(つの)のように。ただ独り歩め」

中村 元訳ブッダのことば スッタニバータ・・と道(い)われた「禅ニヨル生活」を歩んできたのです。

「禅」は独り一人にチャントあります。宗教ではアリマセン。

寺僧や教本、教導に頼ることなく、独りでチョットの時間でも 無価値で役立たずの「坐禅」をなさってください。

          有(会)難うございました。