妙好人(みょうこうにん)「浅原才市」(1851-1933)と、禅者との違いについて、お話ください
娑婆が、そのまま極楽になり、凡夫が、このまま佛(覚者さとりのひと)だと云う鑑覚(かんかく=悟り)の、著しい例は、真宗の「妙好人」なるものに見出すことが出来る・・と、「鈴木大拙の世界」・・燈影社刊「このままということ」の項で、妙好人は、禅者とまったく変わらない悟境の人たちである・・仏教学者であり、禅者の故・鈴木大拙は述べています。
*如今鑑覚(にょこんかんかく=百丈)・・ただ・いま・・を体覚する・・悟覚の意。
この石見の国(島根県)は、才市翁の他、不思議に、多くの妙好人を輩出していると、その著作で書かれています。
一向一揆の加賀(金沢)出身の鈴木大拙翁(1870-1966)が、世界に紹介した他力本願の真宗信徒が、はたして「禅による生活」をなす自力悟道と、まったく共通の境地にいたる・・とは、驚きであり、昔からナカナカ納得しがたい出来事でもありました。
この娑婆世界から極楽に生まれる
早道は外にない、
やうぱり(やっぱり)この娑婆世界なり。
娑婆の世界もなむあみだぶつ、
ごくらく世界もなむあみだぶつ。
*彼は、南無阿弥陀仏と一体になっていることに気付かずに居る。
そこに妙好人の不可思議な存在がある。
少し長いが、いくらか引用しないと、その境地がわからぬ・・以下略)・・
かねてから・・「禅」は、「欣求的=宗教ではない」と主張する・・ようになった一つの理由は、この妙好人の「悟境(地)」が、禅境(地)と同じ・・欣求・祈願のない・・「対象の無い境地」に溶け込んで一体化している・・生活であることでした。
学識や寺僧・導師や宗教経験など仏道・求道のTPOの一切合切が関与しない「ナムアミダブツ」=安心の世界がここにあります。この文字、漢字もよく知らない下駄職人の悩み多い暮らしが、そのままに、明るく、安心(あんじん)に一変する・・妙好人は、浄土真宗系の人だけに発現した、素晴らしい悟道の生活そのものです。
(私の、勝手な推論ですが、おそらく、親鸞もまた同じ境地の方であったことでしょう)
一般の方が、よく「禅」について、誤解されるのは、まるで、悟(さとり・覚)の境地を、お釈迦様の坐像のように、悟り澄ましたイメージで持たれることです。
これは大変な誤解です。
(私は、よく禅語録に出てくる「佛(悟道の人=覚者)とは何か」・・の問いに、仏壇の釈迦如来像を思い浮かべる・・先入観・誤解を払拭するため、総て「佛(道)とは何か」を「禅とは何か」に入れ替えて、意訳しています)
悟りを得ての境地、境涯は、まったく平生の姿、日頃の行い・・食べること、働くこと、トイレに行くこと、寝ること・・暮らしの総て・・に、変わることはありません。
(暑い時は暑いし、寒い時は寒いのです)
ただ、その人の内面・心理は、いつも明るく、素直に、ピチピチ、テキパキと躍動していて、今、ソノことを為す・・のに、全身全霊をかけています。
例えば、禅者が見る・・混雑の街頭風景は、例えて悪いのですが・・通行人が、足の無い幽霊(今時の、まるでスマホに執り憑かれている若者)のように・・フワフワと頼りなく動いて見えるのです。言うことも、為すことも、他人の影響をうけての言動ばかりで、信念を持って、自発的な生活している・・風には、とうてい見えないのです。
妙好人と言われる人(禅者もまた)は、どうして、ピチピチとした新鮮で、詩的な発言ができるのか・・「不思議に思う」・・その点そのものに「答え」があります。
こうした禅語録・公案の一つ一つ話題・内容が違っても、例え千年前の禅者の生活・行動であろうと、妙好人であろうと、達道の人の悟境は、道を歩く姿一つ、ご挨拶一つでわかります。
その達道の禅者の見分け方・・の公案を附記しておきましょう。
*無門関 第三十六則 路逢達道(ろほうたつどう)
五祖云く 路に達道の人(禅者)に逢わば、語黙(ごもく)をもって對(たい)せざれ。
且らく道(い)へ。何をもってか對せん。
●戦前、禅は宗教ではないと説いた素玄居士は、この則に・・
「片脚を曲げて立つ」と頌しています。
後日、はてなブログ「禅のパスポート」で詳細紹介します。
*妙好人については、母を養うため、焚き木を売り歩いていた、文字を知らず、米搗きの田舎猿とさげすまれた・・南宗禅六祖・・・曹渓慧能の禅機(投機の偈)に近しい印象をもちます。
また盤珪(ばんけい)の「そのまま・不生禅」や、生涯、山居独坐した抜隊(ばつすい)の「写経禅」も同様です。
折に触れて紹介していきたいと思います。