瞑想・ヨガ・・坐禅=独りポッチ禅のちがい

米国発瞑想法「マインドフルネス」と坐禅の違いを教えてください・・

瞑想で非行再発防ぐ・・女子少年院で導入・・以前、産経新聞の記事でストレスを減らし感情をコントロールする・・そんな記事、私も見たことがあります。

眼を閉じ、椅子に坐り、後ろ手にして、その手に小さなヌイグルミやフィギュアを持ち、手(触覚)のみに集中させるプログラムのことでした。

これは1979年、米マサチューセッツ大のジョン・カバットジン名誉教授が仏教の瞑想法を応用して開発した。「今、この瞬間に意識を向けること」や「気づき」といわれる「呼吸瞑想」ゆっくり足の感覚を確かめながら歩く「歩行瞑想」など、一つことに集中するのは、ストレスの低減や、感情衝動のコントロールに効果があるとされる。米、グーグルやアップル、金融大手などの他、スポーツ界でも、集中力UPが検証されており、脳科学の研究も始まっている。そんな記事でした。

集中している状態を禅では「三昧」ザンマイといいますが、いいことですね。

日本では、昔から、写経とか、書道とか、茶華道弓道、柔剣道など、瞑想以外に「道」といわれる心・技・体の修練がいろいろあります。

職人や匠人(たくみ)の伝統的な作品は、すべて、この集中力が昇華したものだと考えます。

ただし、この三昧の状態を、禅の悟りとするのはまちがいです。

「悟り」は、生活の行い・・そのものの中にあり「坐禅」は玄関に立った状態ですから、母屋にどっかと座るまでは安心してくつろげません。

ですから・・瞑想法など、人から教えられ学んで行う心身修行、苦行ではなく、出来るだけリラックスして、楽しく面白く瞑想オタクも結構・・続けてください。

そして、その上で、宗教でも、哲学でも、倫理でも、医学でも、解決のつかない「人生への問い=真人(しんじん)=真実の人間とは何か?」に突き当ったら、そこからが、貴方ひとりだけが一人で行う、誰にも学べない、教えられない三分間「独りポッチ坐禅」に、自分で自分が入門なさるといいでしょう。

注意すべき点は、瞑想は、姿勢を正して目を閉じますが、坐禅は、眼を半眼にして行います。瞑想の時の「何か手に物を持つ」ことや、ヨガの不自然な体形での集中法はお勧めしません。

そして、ひとりポッチ禅は、千年前の禅語録「無門関」「碧巌録」など、寺僧の先達が修行に提唱した語録の「?」と思う一つの公案だけ、思い返し、練り返し・・解決のない・・役立たずの問題として考えるのです。

道元さんや一休さん良寛さん、おそらく、比叡山法然さんや親鸞さんなど、坐禅をなされたことを、アナタも、独りポッチで、すぐにやってみましょう。

フト、人生に寂寥(せきりょう)を感じられたら、坐禅なさったらよろしかろうとお奨めします。

 

この役立たずの奉魯愚で紹介する「碧巌録」や「無門関」の意訳、どこからでも流し読みしてください。

モトモト・・無門関は、門のない関所の意です。

*お奨めする「独りポッチ禅=三分間ひとりイス禅」は、この昔からの禅の最重要禅語録「碧巌集」ですら、余計な知識として、昔、焚書された経歴がありますから、参考に読み散らして忘れよ・・とする次第です。ただ、納得できないアナタの「疑団」だけは、坐禅の集中の縁(よすが)として、拈弄(ねんろう)なさることです。