◆元服の書 ③ 悩むなら悩む間の3分間、独りポッチ禅でもしてみるか・・

元服の書 ③ *昔(11歳~15歳頃)の成人式にちなみ、中学・高校生の問いに答えて書いています*

この禅語録(禅者の一語/禅のパスポート)意訳・・独りポッチZENの参考にしてほしいだけ・・どうぞ、仲間をつくらず、批評をせず、独りポッチの坐禅の礎にしてください。

 

坐禅を、集って行うのはお薦めません。釈尊であれ、達磨であれ、盤珪良寛であれ、独り一人、それぞれの禅機から悟りにいたっています。よく禅寺(僧堂)で師家方の指導で、集団の雲水さんの坐禅を見ますし、一般の方々の坐禅会や、写経会などありますが、私は、繰り返して言いますが、お勧めしません。

どうしてか?・・禅は、独りだけの坐禅の自覚(直観)でなされるものですから、誰かの指導とか、教示とか、知識とか、仲間とか・・周囲へのこだわりがあればあるだけ、妄想(迷い)が湧きます。まして社会は、基本的に、国家、会社、社会そのものが利権であり、家庭の夫婦、親子ですら、動物的本能に根差した、自己利権を根に持って生きている動物です。欣求宗教、哲学と言えど、個人と社会の関わりあい・・葛藤(かっとう)軋轢(あつれき)を解決できるものではないのです。制度や仕組み(社会)の中に生きていると、どことなく落ち着いた気がするものですが、スマホをピコピコしている間ダケで、決して本当の「安心」にいたりません。

まして、坐禅は、それを行うことで集中力が醸成されるとか、意思力がつくとか・・何か効用効果が出てくるとか・・そんなご利益(ごりやく)を期待しても、実際の役にたちません。

もし、何か成果があるとすれば、それは禅ではないのです。肉体的、精神的鍛練や、社会的な保護の中にあるだけにすぎません。

むしろ、何の効果効用を期待しないし、できない独りポッチ禅であればこそ、アナタ独りの本当に大事な行いなのです。

タッタ3分間、独りポッチで、ゆっくりした1呼吸10秒程度の数息で18回・・ヒト―ツ・・フターツ・・と数えるだけの坐禅・・目を半眼にしてイスに姿勢を正して坐るだけ・・寝る時の寝禅、トイレの禅、お昼の休憩禅、通勤電車中の立禅・・出来る時に行ってみることです。何かに悩んだり、腹が立ったり、苛立ったり、気に入らないことが起こったり(思春期はとりわけチャンス)そんな時こそ、アナタの心は、タッタ3分で良い、椅子やトイレに坐ろうと、芝生や布団に寝ようと、タッタ呼吸18回のZENをやってください。簡単でも、ナカナカできませんよ。

出来ない時でも、失敗したな・・の想いは捨て去ること。

寝禅など、慣れれば、すぐに寝入ってしまいZENにならなくてよいのです。それでいいのです。コダワリが一番、禅に良くないのです。テレビやスマホ・・映像や音楽、雑音・・お線香や念仏・・みんな「3分間独りポッチ禅」には要りません。

釈尊(仏教)は、その教えを広める前、長い間・・独り坐禅をされて、暁の明星を看て大覚されました。

禅は、哲学や宗教でありません。禅は、何時も、どこにでも独り一人の中に、チャンと・・あります。

(昔は、圧政を逃れた寺僧の生業ナリワイの中で継承されましたが、今や、観光禅になりはて、禅モドキの利権になりました)

損得ないのなら、無駄を承知で、3分間だけ、やってみようか・・と思う・・そこにのみ、本当のZENがあるのです。

気づかないだけですから・・。(次回、盤珪さんの「不生禅」を紹介します)

折あれば、千年昔の禅者たちの生きざま語録・・はてなブログ「禅者の一語」「禅のパスポート」ご覧ください。