◆元服の書⑧ 孤独ということ! 7/2修正追記

元服の書⑧ 

*昔(11歳~15歳頃)の成人式にちなみ、中学・高校生の問いに答えて書いています*

「孤独」と云うこと・・

「独りポッチ(禅)」について・・

6月29日 若者からの問いに7/2追記して、私(禅者)の意見を書きます。以下「孤独」について・・「若い頃、孤独感や坐禅をどう思っていたのか」・・のお尋ねがありました。

私は京都から、明治大学に入るために東京に出ました。戦前から、父が鎌倉の鈴木大拙翁(仏教学者、禅者)に師事していたご縁で、円覚寺続燈庵(焔魔堂の弓和尚 故・須原耕雲老師)に寄宿して、お茶の水まで、横須賀電車で通学していました。チョウド60年安保騒動(デモで東大の樺さんが亡くなられた時)で、全く、頭デッカチ・・禅の本を読み漁るだけの生意気な盛りです。そして、中年の時期は、仕事にかまけ、独りポッチ禅は、寝る時の催眠作用に利用するような、いい加減さでした。どうやら本気になったのは、碧巌録や素玄居士の無門関提唱の意訳をし始めた・・65才を過ぎたあたりから・・ですから、禅は年季が入っているからとか、集注心や命懸けの修行をしたから・・といって、悟れる代物じゃないですね。これは禅のパスポート/素玄居士の無門関提唱・・意訳に、ハッキリ出てきます。・・以来10年~を過ぎて、今なお第2稿あたりでウロツクありさまです。碧巌録、無門関の意訳は脱稿するのに、あと3年~5年ぐらい・・下手すりゃ生涯無理であの世になるかもしれません。その時はごめんなさい・・と思っています。(どうぞ、今の内に読んどいてください)

禅は「色即是空」といい、唯我独尊、無功徳とか、本来の面目とか、無心とか・・独坐大雄峰、平常(心)是道、日々是好日、天地同根とか・・孤独とか・・イロイロ言いますが、有名な禅語の一語を、論理的哲学的に解釈して解かったつもりでした。

でも、皆さん・・若者には、これだけはお願いしておきます。本を読まれますように・・。棺桶に両足が入る年になって、学生時代からの禅語録を再読すると・・赤線を引いたところ、ことごとくが大間違いであることに気付くのです。

「悟り」の文字は「吾がココロ」と書きます。

人生に「?」と思ったことの解決は、何十年たとうと、あなた自身、私自身の解決でないと「安心」できません。その安心の地図(本)が先達の禅語録です。語録の表題(タイトル)のことごとくが・・「孤独」の一字で収まります。

禅者の遺偈・・すべてが「無」の一字で事足りるのです。

心頭滅却すれば火、自ずから涼し(快川紹喜かいせん じょうき)恵林寺天正十年四月三日信長に反逆し焼殺された偈(心境詩)も、死に臨んで朦々淡々(モウモウタンタン)六十年、末期(マツゴ)にクソを晒(サラ)して梵天に捧ぐ(一休宗純)も・・どんな時であれ坐禅は独りポッチ・・唯我独尊一字で完結、圓融していると覚悟しています。

若い時こそ、本を読むべし。本は心の食べ物です。そして・・役立たない「三分間独りポッチ坐禅」こそ、大事な胃腸の消化作用です。

(社会的な問題として取り上げられる「孤独感」については、社会学者や心理学者、宗教学者などに任せておきます)

私の場合、一番大事な言葉・・釈尊の「唯我独尊 ユイガドクソン」と自覚された・・その「孤独」についてです。

釈尊は、菩提樹下の悟り(ひとりポッチの坐禅)の後、アチコチ行脚されて、いわゆる「仏陀の教え=仏教」を、説かれました。

釈尊の悟り=「禅」は、言葉や文字で言い表せない・・拈花微笑(ネンゲビショウ 無門関 第6則 世尊拈花)として、一人ひとりの坐禅(禅による生活)に根差しています。禅はインドの菩提達磨が中国にわたり、そして日本に伝来しました。

禅が、さも宗教的に見えるのは、寺僧による生業(ナリワイ、組織的な生活手段・方法)であったからで、そうした寺僧の揺籃期がなくては、キット禅は途絶えたことでしょう。

だだし、現代に至って、観光禅化したり、国際化したりして、独りひとりにあるべき、純禅の発見発明はなくなりました。

以下の事例に挙げた禅者に限らず、あまたの先達が、独り・・ひとり・・の風雪の時代に、禅は滅びました。そして、また、宇宙のどこかで、新たに花開くこととなりましょう。

  • 大愚良寛(タイグ リョウカン)は「悲登利」ヒトリ あそびぞ われはまされると自画像に自賛して、良きかな道 うたた寛(ヒロシ)の人生を謳歌しました・・「うらを見せ おもてを見せてちるもみじ」彼は世間からの逃避ではなく「乾坤(宇宙で)ただ一人」の世界に徹した禅者でしたから、素直な遺偈(いげ)を遺しています。

    *遺偈・・死に際しての最後の言葉・詩文などの意。

  • 博多の仙厓義梵(センガイ ギボン)は、洒脱な禅画を得意とした庶民の中の禅者です。かねてから仙厓は・・人生は「独り生まれて、独り死んでいく・・「生まるるを死ぬるはじめと我は知る、始め有る身の終らましやは」・・と「独りの禅境」に徹してこその 禅者の一語を残しています。
  • 日本人なら誰でも知っている、あの一休(宗純 そうじゅん)さんは、イッパイ飲み屋にも、女郎屋にも足を踏み入れた風狂の禅者ですが・・「行脚こと畢(おわ)る。拄杖子(しゅじょうす)を折り六月の雪に焼く」・・人生の長旅(88年の生涯)の杖をおって、夏に降る冷たい雪に焼き捨てよう・・と道(い)われました。

*一休狂歌「門松はめいどのたびの一里づか、馬かごもなくとまりやもなし」「生まれては死ぬるなりけりおしなべて釈迦も達磨も猫も杓子も」遺偈「須弥南畔(シュミナンバン この人間社会で)誰か我が禅を會(エ)す。虚堂(キドウ)来たるも半銭に値(アタイ)せず」

*ここに挙げた、いずれもが、絶対的な時間・空観・・「独り」を道(い)い当てた禅境(地)なのです。

*道と書いて「いう」と読みます。単に口で喋るのでなく、生活の中で行う・・実行する姿そのものを「道う」と書いたのです。

*禅者の遺偈については、古田紹欽著「禅僧の遺偈」春秋社を参考にしました。

「禅」は、坐禅して深く「独りポッチ」で沈潜する作業(心の働き)です。昔、アメリカで流行したZENのように、麻薬的な心理状況でもなければ、茶華道などの趣味教養や論理・哲学・宗教・倫理でもありません。人間の社会的な生活を尊重しながらも、それに関与するものではない・・また「求道、欣求」する・・とか、難行苦行の修行で得られるような境地でもありません。

ただ、ココロに湧く「寂寥感」を友として何の役にもたたない・・たったの3分間「独りポッチ」坐禅を行う・・【孤独】そのものです(参照・・碧巌録「聖諦第一義」第1則)

自分一人、試行し錯誤し・・独り、自分(行い)に迷いながら、ようやく自分だけで発見発明して、安心にたどり着く独行です。

禅機(悟りの発明=キッカケ)や禅境(地)は、独り一人・・それぞれに深浅がありながらも、自覚する前から、それぞれに身についています・・から、ひとり坐禅でのみ自覚できるのです。

寺僧の教導を受けたり、本や講演・提唱など、二人以上の団体、教師、友人知人と集って学習して得られるものではありません。

(語れば語るだけ、文字にすればするだけ、迷いが増え、執着心が増えてきますので、できるだけ、独りの条件を整えて坐禅なさることです)

私が意訳している、千年前の禅語録「碧巌録」や「無門関」には、どのページ、どの則を開いても「独り」・・何にもコピペされないお前さんは何だ?(何似生 カジセイ・・何に似て生きているのか?)・・唯我独尊の自分とは何だ?の問いかけと、その答えが満載です。

例えば・・無門関「倩女離魂 セイジョリコン」第35則。「達磨安心 ダルマアンジン」第41則。

碧巌録「百丈野鴨子 ヒャクジョウ ヤオウス」第53則、「道吾一家弔慰 ドウゴ イッカチョウイ」第55則・・などの公案をひも解くだけで、円周率の計算のように・・言葉・文字の限界、思考の臨界点に行きつきます。

も一度、道(い)いましょう。

「弧独」とは、色即是空・天地同根を実体感する・・独りポッチ(禅)の意で、ただ・・寂寥感を道ずれに行脚する「禅による生活」なのです。 

会(有)難うございました。・・PCでキーを叩くと「愛が問う」と浮かび出てきました。