◆女の人で悟った人はいますか?

元服の書⑭ 女の人で、悟りを開いた方はいますか?

昔(11歳~15歳頃)の成人式にちなみ、中学・高校生の問いに答えて書いています

A:います!数少ない・・それだけに女性の見性・大悟の徹底ぶりは、達道の禅者を寄せ付けないほどの実力者となります。

 

坐禅や瞑想は、女性の方には、大変、関心度が高く、茶華道など趣味を通じてや、観光(京都・鎌倉)で禅寺を探訪されたり、お仲間と写経や精進料理の食べ歩きなど、よく研究し、知っておられるのに驚きます。

ただし、大方こう言っては失礼ですが、坐禅に深みがありません。(役立たずには、関心がうすく、考慮は苦手ですね) 

以下・・この奉魯愚の、極めて、独善的と思える答えの仕方ですが、お許しください。

まず、女性の一般的なことですが、ZEN・瞑想に関心はあっても、この奉魯愚は「役立たずの独りポッチ坐禅」を推奨します・・と言うと、それでもうTHE END!です。

「ゴリヤクなし」と聞くと、もう訳もなくNG・・OUTです。

キット何か自分に役立つ、得になる情報を、お仲間とやり取りしないと【面白くも楽しくもない】のでしょう。

女性の場合・・関心が持てるのは、面白いか・・または自分に役立つか・・この2つに一つです。ですから、古今(釈尊の時代から)役立たずの坐禅でしか、悟り(大覚・見性)に至らないため女性の禅者は、禅語録でも数名の伝記が残っているだけです。

 

昔、女性は三界(過去/現在/未来)に家無し(安定・定住の處なし)・・と言われました。

執着心が強く、強欲な鬼婆が多くおりました。でも実際は、心情が優しくとも、暮らしが苦しければ苦しいほど、女性につらく当たる社会です。

現代でも、制度や風習から、筋力と立場の弱い女性は、人間として優位な五感の内の4感(視覚、聴覚、触覚、嗅覚)をフルに働かせて(権力と名誉欲、暴力に勝る男性に、柔よく剛を制すように)賢く、ふるまっています。・・が、世界中の女性はキット我慢の限界にきていることでしょう。

 

*我慢は仏教用語です。自分が慢(マン)ずる・・うぬぼれたり、わがままになったり、他の人を思いやれない状況です。意外と、人のうわさ好きな、女性の(感受性が豊かな)方に、嫉妬心や、やっかみが多いのです。

*武術の「武」の字は「戈(ホコ=ヤリ)を止める」・・と書きます。

剛柔流という沖縄の空手がありますが、昔、サトウキビの独占を図った薩摩に植民地化され、武器をもてない農民(男女)が、身を守る武術として伝えられたのが空手でした。

*女性が優れているとする4感(視/聴/触/嗅覚)は、その情報が記憶力に結びついて、生活に応用できる能力をいいます。

例えば英会話、通訳。音楽。伝統文化の伝承。緻密な仕事の持続、継続力。育児、看護力など。男が敵わないと思う・・浮気の発見は、4感の情報集約に第六感のピンとくる直観が働く作用でしょう。感受性が豊かですが、感情的でもあります。

*男の優位な感覚は、2万年前からの、獲物狩りと戦争(力)のみ。

つまり、命がけで獲物をしとめる代わりに、そのステーキのおいしさを判別できる舌の先・・味覚だけ。このことは、世界のシェフ・コック、板前、料理人の99%が、男性であることが証明しています。

確かに、女性が薦めるうまいお店は、男の私が「おいしい」と感動した例はホトンドありません。(舌の先=味蕾の数が違うのでないかと思います)

また、魯山人など、食器にまでのめり込む食通は男だけ。

五つ星を探り歩く人たちは・・やはり客ふりの男性のようです。

  • 神に祈れば「天国」に・・佛に祈れば「極楽」に救われる宗教とちがい、禅は「自分とは何だ」・・と、ただ限りなく自心を追求する坐禅と、その禅による生活(行い)・・Living by ZEN 鈴木大拙 著・・です。

面白くも、何か役立つような出来事でもありません。

そのうえ、厄介なことに、在る・無しや善悪、愛憎、損得、好嫌、生死、分別、執着、比較、欣求宗教、論理、哲学、文字や言葉・・つまり頭脳的、論理的に考察したり、好き嫌いやコダワリ(分別・造作)をしないこと・・つまりは「役立たず」に成りきって、河原に転がっている「タクワン石」になって坐禅する・・だけ。宮沢賢治の雨にも負けずに・・「皆に木偶(でく)の棒と呼ばれ・・」に成りきれないのですね。

また、歌人与謝野晶子の短歌「やは肌のあつき血汐にふれも見で さびしからずや道を説く君」と、女性から憐れに見えるのが、男の生きざまです。♬お手々つないで~🎶・・よりも、独り歩きしたい・・男の生きざま・・トドノツマリは、独りポッチ坐禅なのです。・・とは言え・・

 

優れた女性の禅者は、確かに存在します。

例えば・・中国 劉鐵磨(リュウテツマ)・・鉄製の磨臼(ヒキウスのような物腰の)劉婆さんのこと・・潙山霊祐(771~853)の禅院の山麓に庵住した女性禅者。碧巌録に登場。傳不明・・これらの方々の逸話は、またの機会にご紹介します。

現実生活を男以上に、ありのままに洞察でき、子供を産み、育て、家族ともども感性豊かに、人間として生きる女性は、逆に、社会の協調性や慈愛心から、たったの3分間でも、独りポッチ坐禅に集中できない傾向にあります。

情愛(本能的感性)に富めば富むだけ、生存、存続の意識が働きますから。無心から遠くなるのです。

ですから、起床、就寝前や通学、通勤時など、数息(1呼吸10秒程度)18回・・だだ・・息を数える行禅をなされるようお奨めします。その効果・効能は、くれぐれも期待しないでください。

ただし・・もし女性が見性・大悟した場合の徹底ぶりは、達道の禅者を寄せ付けないほどの、気高い見識を持つ禅者となります。

有(会)難うございました。   

 

備考・・後日紹介する資料

  • 徳山宣鑑が龍潭崇信を尋ねる澧州路を行脚中、茶店(餅屋)の婆さんとの點心問答。
  • 劉鐵磨(リュウテツマ)潙山霊祐の禅院、山麓に庵住した女性禅者。

*日本の史下に記録される女性禅者・・禅文化1982JAN・103 町田瑞峰「白隠門下の女性禅者の消息」

白隠門下 おさつ婆さん(1727年 白隠47才・庄司お察16才 頓悟・結婚・孫)

②杉山政女(富士市 1730年代 白隠46才記 坐禅苦心談)

③惠昌禅尼(白隠年譜 白隠64才記中 1748年記載 禅行記事)など・・