至道の禅語⑶ 解打皷(かいたこ)とは?

至道の禅語⑶ 解打皷(かいたこ)とは?

中学・高校生の・・求道の問い(禅語碌の至言の意味)に答えて書いています

Q:解打皷(かいたこ)とは?

碧巌録 第四十四則 禾山 解打皷(かざん かいたこ)に由来する禅、公案のタイトルです。

禾山無殷(かざん むいん)に、求道者が達磨禅「廓然無聖」(かくねんむしょう)の眞意をたずねると「解打皷」・・「太鼓をしっかり叩く稽古をしなさい」と答えたことに由来します。カイダクと読みますが、昔から「かいたこ」を澄んで呼びます。

この求道者、手を変え、品をかえて質問しますが、禾山老師の答えは、どんな問いにも「解打皷」一辺倒です。

これは、3分間独りイス禅を少々行ったから解かるといった禅の公案ではありません。詳しくは・・はてなブログ 禅者の一語 碧巌録第四十四則(意訳)を読んでください。

注意すべきは、達磨問答の聖諦第一義とか、タイコ叩きに執着しないこと。自分の仕事や、日常の出来事・・一つひとつが、甘いか、辛いか、酸っぱいか・・

騙されるなよ・・どこからか君を呼ぶ・・

「ホ―タル来い・・こっちの水は甘―まいぞ!」に・・

【解打皷】・・太鼓を叩く稽古をしなさい・・の意。

禾山(大智院)無殷(かざん むいん 891~960)、始め福州(福建省)雪峰(山)義存(76才)の侍童となり、908年 雪峰(象骨老師)示寂の後、910年、筠(いん)州(江西省)九峰道虔(きゅうほう どうけん)に師事。

禾山は、六祖恵能に次ぐ青原下七世・・石頭→薬山→道吾圓智→石霜慶諸→九峰道虔→禾山無殷(達磨より十三世、祖位の禅者)

禾山の師・・九峰の逸話を記しておきます・・千年昔の禅者、求道の姿は命懸けでした。

そうした禅者の生活の一コマがピヨンと浮かび出てきます。

石霜が遷化の時、全山あげて第一座(名不伝)に跡を継がせようとしたが、九峰ひとり猛反対した。

「石霜七去の話」・・先師の意を領得した者だけが当山の主たるべし・・「休しさり、歇(けつ)し去り。一念萬年に去り、寒灰枯木し去り、古廟香炉にし去り、冷湫々地にし去り、一條の白錬(びゃくれん)の如くにし去る」・・

しばらく道え、これ、那辺(なへん)の事を明かすや・・と。

第一座は「先師の意は、大悟のあとに、なお悟臭あり」(一色邊;イッシキヘンのことを明かす・・)としたが、九峰はキッパリと否定した。

そこで第一座、大悟の証明に、坐脱立亡をして見せる・・と大見得を切って香をたくことを命じたのである。

命がけの問答である。

居並ぶ大衆、注目の内に香炉に香がたかれ、第一座は粛然とその場で坐亡した。

九峰は、生けるが如き第一座の屍に、断然と言い放った。

「坐脱立亡はなきにしもあらず。首座は先師の意、いまだ会せざることあり」・・と。

このように峻烈な九峰に随侍(師事)してきた禾山である。

後日談がある。

ある時、九峰は、黙々と作務(さむ 畑仕事)する禾山に問う「独り、のらりくらりの毎日をすごす。お前さん、いったい、どのような境涯を目当てに修行しているのか・・どうだ?」

禾山「真っ暗な夜がカラリと明けても、眼が見えない者は、やはり目が見えません」と答えたという。

太鼓を叩いても、本音でナカナカ為(な)らないものだ。