至道の禅語⑹ 毎日が平穏無事、幸せになるよう努力する・・の(誤)意?

至道の禅語⑹ 

日日(是)好日(にちにち これこうじつ)とは・・?

「毎日が、平穏無事、ミンナ幸せになるよう努力したい・・」など、あまりにも禅の解釈・誤訳にあきれます。

中学・高校生の・・求道の問い(禅語碌の至言の意味)に答えて書いています

A:雨が降ろうとヤリが降ろうと・・日日好日と道(い)えますか・・?

     この禅語 出典は碧巌録(第6則 雲門日日好日)にあります。

      【本則】挙す。雲門 垂悟して云く

       「十五日 巳前(いぜん)は 汝に問わず。

        十五日巳後(いご)は 一句を道将(どうしょう)し来たれ」

       (衆 對なし。自から代わって云く)日日是好日

意訳します・・

人里離れた廣東省韶州、雲門山の破れ寺で恒例、毎月五のつく日、雲門文偃(うんもんぶんえん)は求道者を集めて垂示した。

今日は15日。

今迄、何んとか生き延びてきた・・昨日までのことは問わない。

本日、今朝の時点、それぞれの修行の境地を述べてみよ。

(求道者たちは自分の境地を答えられず、沈黙、静寂した)

雲門は求道者の「禅による生活」・・その心構えを問うたのだが、一同、答えられず、沈黙したので、自らの禅境(禅者の一語)を吐露してみせた。

(昔は、師が質問したり、語録の提唱を行ったりした場合は、必ず、自分の禅機・禅境(地)を示衆、発現しました)

【雲門曰く】「日日是好日・・(雨が降ろうとヤリが降ろうと)何事であれ、今の今・・ことごとく好日好事である」・・の意。

現代では、密室の参事として、師家は秘密めかして、自己の禅境を語らない。真に実力のある露堂々な師家・老師が居なくなったと言えましょう。

つまり禅宗の寺僧に「禅」が亡くなったのです。

禅はもともと宗教ではありません。

独り一人が、見性(自発体覚)する一大事です。

遠慮なく言葉や文字に拘泥しないで雲門の「好日」を・・「乾屎橛」(尻拭きヘラ)、あるいは「餬餅」(こぴよう)に置き換えてみてください。相互に意味が、納得できるでしょうか。

*禅のパスポート、無門関提唱、素玄居士の頌をご覧ください。

第21則で雲門は「禅」のことを乾屎橛(カンシケツ・クソカキベラ)と言い、第77則では餬餅(こぴょう・ゴマをまぶした餅まんじゅう)と言っています。

詳しくは 「はてなブログ」禅者の一語(碧巌録意訳)/禅のパスポート(無門関 素玄居士提唱・絶版紹介)参照ください。

「毎日が、平穏無事、ミンナ幸せになるよう努力したい・・」など、あまりにも禅を無視した解釈、誤訳に、あきれて言葉が続きません。

【附記】雲門文偃(うんもん ぶんえん 853?~949?)・・雪峰義存の弟子。のち、五家七宗のひとつ雲門宗の開祖。

時代は、唐、武帝による仏教大迫害の災難期である。4~5万の寺が壊され25万~30万の僧尼が還俗させらせた会昌の役に直面した苦難の禅者。

生ぬるい平穏な生活の人には、想像すら出来ない過酷な、明日をも知れない中の・・今日の朝の・・いまの今の生きる境地・・「禅者の一語」なのです。

当時は、打ち首や餓死など日常茶飯事であり、禅を守る寺僧(求道者)は、遠く虎やコブラの住む深山に遁れたが・・例えば百丈の「獨坐大雄峰」碧巌録第二十六則は、虎が徘徊する深山連峰の大雄という山の事であり(比叡山ほどの千メートル程度の)道なき道を分け入り、滝があり孟宗竹に覆われた山中のことを云ったので、まるで日本の【富士山などの霊峰の事】だと勘違いしてはなりません。

どの公案、禅語録も、深山の破れ禅院での、命がけの求道者たちの師弟問答の姿を思い描いて、この至言の禅語、解釈意訳を読んでいただきたいと願っています。

農家で捨てた腐った味噌を、托鉢でもらってきた求道者が、鍋に入れて味噌汁にしたところ、ウジ虫が、はいずり出てきたので、それを箸でつまんで外に逃がした・・とか、悪童のイタズラで、托鉢に馬糞を入れられ、それを食して死んだとか・・日本でも室町期の戦乱、飢饉の狂雲一休の頃・・ソンナ・・千年の時をまたぐ業苦の時代です。

まるで地獄ソノママのような社会を・・「好日、好事」とする覚悟ができるでしょうか。

私は、役立たずの3分間・独りポッチ禅を提唱していますが、とても、そんな暮らしを「好日」として覚悟できる心得でも、環境でもありません。

ケレドモ・・「ひどい出来事が起こっても、より良い【好日】となるよう、努力しましょう」・・などと解説、誤解されては・・たまらんです。

前に紹介した「平常心是道」も、ウジ虫のわく味噌汁を啜(す)する覚悟のある「平常心」です。

日本(語)は、思考の素(言語)から崩壊してしまい、漫画や仮想空間が思考置換している・・バーチャル(電磁的想像)社会になってきた・・と思います。

これは、キット新聞の発行部数(漢字活字文化)が激減していくこと。世界的に漫画(アニメ文化)の蔓延とスマホの依存症で、静慮する時間を失なった由来によるのでしょう。

どうぞ脚下照顧(きゃっか しょうこ)してください。

有(会)難とうございました。