◆元服の書㉔ 文字がないと文明が亡びる・・本当ですか?

元服の書㉔  

◆「ココロクバリ」を漢字で書いてください。

中学・高校生の・・求道の問い(禅語碌の至言の意味)に答えて書いています

Q:文字を手書きできないと文明が亡びる・・って本当ですか?

A:チョットおおげさですが、あながち嘘と決めつけるのは早すぎます。漢字文化は、漢字の発明から現代まで約6千年。知識や情報の保存、伝達に、文字や活字を発明して発展してきました。ところが、紀元2千年を機にデジタル化(PC・AIやスマホ)の在り方が問われています。国と国、会社や社員、家族同士でも電磁的通信手段で映像交信でき、便利で楽な自動化(ロボット)時代が急激に進捗(しんちょく)して混乱しています。

日本や欧米で、深刻なスマホ依存症が発生したように、過度なデジタル化に頼る社会は、危険で、注意しないと知らぬ間に人間が絶滅危惧種になりかねません。

何故か?・・大事なことは「人間、考える葦である」(哲学者パスカル)・・「考える」のは、人間の頭脳が「言葉・文字」を駆使して比較・判断しているからです。

 

ここでは「看る」を取り上げましょう。この字は「手と目」で成り立っています。いわば人間の五感すべてを活用して・・例えば、赤チャンの面倒を看る・・とか、看病するとか・・禅語「看 脚下(照顧脚下の意)」など、温かい手を添えて見守る意味の字体です。

もし「倒れている人を観てください」と文字に書かれたとしたら、観察するか、写真にとるか・・そんな意味になりますし、たとえ遠くで見かけて119番した方があれば「観る」ではなく「看て」判断し電話したのだ・・が正解でしょう。

自分が「考え、思う」そのこと・・お互いの意思、感情の疎通手段である「言葉・文字」は、出来るだけ当用漢字に限定せず、より多くの漢字と語意を共用(教養)する社会であってほしい・・と思います。

昔、ある小学校の理科の教室でコンナ話がありましたね。

「固体と液体・・氷が溶けたらどうなりますか?」

女の子が、嬉しそうに手を挙げました「ハイ・・氷が融けると、春になります!」(この答、私は正解にしたいですが、理科の勉強での正解は「水」です)

(京都弁の「オーキニ」は30種位の感謝度合いがある表現だそうです)

つくづく漢字と平仮名を交えた日本語こそ、世界のどの国にもまさる「繊細で多様で、情緒ゆたかな」言葉・文字を誇れる国だと思います。ところが、若者だけに解かる専用の言葉が増えてきました。彼らに言わせると、だんだんKYでウザイ人が増えてきたことになります。

さて、はじめに戻りましょう。

ココロクバリは「心配」と書きます。

シンパイの漢字が書けないなら、ココロクバリも出来ないことになりませんか?

「配慮」とは、おもんばかり(智慧)を配る(他の人に施す)の意ですが・・車中、老人に席を譲る人の優しい「配慮や心配(気配り)」・・抜きに・・出来る行為でしょうか?

先ほどの禅語「看 脚下(かん きゃっか」・・手と目で足元を看よ・・の意味ですが、見たり/観たり/視たりでは、絶対、禅の「如意(にょい)」による【行い】に添いません。しかも外国語(英語)などでは「如意」とか「般若空(はんにゃくう)」とか、「無功徳(むくどく)」とかにピッタリとマッチする言葉・文字がありません。

外国の方が禅を学びに日本に来ても、公案「隻手音声(せきしゅ おんじょう)」とか「釈迦 拈花微笑(ねんげ びしょう)」とか「達磨 廓然無聖(かくねん むしょう)」とか「趙州 無字(じょうしゅう むじ)」とか、文字の比較、相対的な意味にこだわって、ナカナカ「如意」を理解できません。この漢字すら意味不明で書けないのです。

「無=空=如意(如去如来)」の字体は・・「牟・嘸・巫・懋・舞・无・・」など、無のつく熟語・・有無/絶無など123の語彙(角川 新字源)に展開していて・・到底、理解しきれないほどの、東洋の「情緒的思惟」のイメージがあるからです。                       

こうした情緒あふれる日本語が、急激に電磁的(スマホ)社会にあって、わずか千か二千の当用漢字の語彙(ごい)を学校で教えるにすぎないことになりました。つまり千か二千の文字でしか思考・・情緒できない国になろうとしているのです。現代語は、世界に通用しないカタカナ英語と、仲間にしか通じない言葉を造語して成り立ちつつあります。

また、マスコミもそれをあおり、日本語(その伝統文化)は、絶滅危惧種になってしまったというのは過言でしょうか。

近い将来・・本や新聞の読めない人の為に、ルビを振る漢字を習字する国語の時間が設定されるかもしれません。【香を聴く】の意味とは?・とか・・【漢字の熟語】出来るだけ「かんじ」で書きなさい・・と、小学校の国語テストに出題される時代が来るかもしれません(漢字・幹事・監事・莞爾・官寺ほか113・・PCで記載されています、大人でも10種 まともに書けるかどうか?)

文字をチャント手書きして、その意味を認知できない人々の・・デジタル化社会を想像すると・・思考や情緒まで亡失(失望)されて、本や新聞を・・見(看・観・視・診)る・・ことが、ホントに絶滅する(のでないか)と心配になります。