◆雑感⑴ ゴルフパターと阪神大震災

Qトランプ大統領が来日、安倍首相とゴルフしたとか・・

「ゴルフ」はされますか・・? 

昔、会社の接待ゴルフはしました。今はしません。

そのゴルフの初めて・・を教わったN.Kさん。

戦前からの生粋ゴルフ道の方でした。

 

昭和52(1977)年・・私が関西で独立、創業して以来、事業などで教導いただいたN-Kさんが2002年お亡くなりになった。

香典返しに戴いたC社の10万年間1秒も狂わない太陽光発電の腕時計が17年たった・・現在も正確無比に時を刻んでいます。

地震と云えば、私にとって、阪神神戸大震災が忘れられません。

平成七(1995)年1月、阪神神戸大震災でN-Kさんのお宅は全壊しました。東京で会議をしていた私は、翌日、阪急西宮駅から、全壊した家やビルや倒れ掛かる電信柱を潜り抜けるように、神戸方面のN-Kさんと娘さんや、他、数名の従業員の安否を確認に、壊れた家の間を歩き回りました。関係先のどなたも無事でした。N-Kさんが姫路に避難されるまでの1週間ほどは、寒いガレージで暮らされて、水かお茶と、ホカロンと懐中電灯を要望され、ツイデニご近所にもさしあげました。イザ大変な災難に遭遇すると・・ジュースやパンなど、数日、口には入らないのでしょう。TVやエアコンやピアノが、隣の壁を突き破って、飛び込んできた・・暗闇に屋根の雀が瓦に当たって全滅した・・ベッドで寝ていた人は、どなたも、おそらく70CM位は、飛び上がったのではないだろうか・・東灘区のご近所でも死者が出て、市役所前では、段ボール製の棺桶が組み立てられていくのを、救援に行ったはずの私も救援のパンをもらい齧りながら眺めていたのを思い出します。

どうにかこうにか大阪の事務所に戻ると、普通の会社員姿の人々が行きかい、夜のネオンがまぶしくなって、薄汚れた(ボランテアの)私が、異次元から辿り着いたように思われる・・時差現象にトマドイました。

 閑話休題(それはさておき)・・

N-Kさんは、戦前からの芦屋ゴルフ場会員です。事業を始めたばかりの生意気な私が、初めて接待ゴルフをすることになり「ゴルフの仕方」を教えてもらった方です。積年、貿易関連の仕事をされ、娘さんが私の会社に勤めることになったのがご縁でした。東灘区にお住みでゴルフ練習場が近くにあるから、練習して後、芦屋ゴルフ場に連れて行きます・・と云うことで、早朝、お伺いしました。練習用のクラブをお借りして、練習場に出向いたところ、そこのマネージャーが、借りてきたクラブ(パター)を見て顔色をかえて言いました。

「チョットお待ちください。もしかして、そのクラブ・・竹製ではありませんか?」・・見れば、力を入れて振りまわして、地面に打ち当てればペキンと折れてしまう代物です。出来るだけ力まずにスイングする練習にと、竹製のヤワイのを貸してもらったのだ・・と思っていましたが・・「トンデモナイ、これは戦前に造られた貴重な品です。できれば、ここの応接室に飾っておきたい位の逸品です。こういっては失礼ですが、よくド素人の貴方にポンとお使いなさいと貸されましたな。貴重なクラブです。大事にされて、当方の練習用クラブをお使い下さい」と云われて・・ナルホド・・ゴルフは、イギリス人のド根性=ジェントルマン・スポーツであると、初めて、身に染みて得心できた次第です。

 

芦屋ゴルフ場は、コースのどれも距離が短くホールイン・ワンが狙えるように見えましたが、グリーン(のアンジュレーション)が、微妙で、ホールまでの たった1メートル・50センチが、往ったり来たり・・バンカーにつかまって8回も空振りして、もういい加減ギブ・アップしたら・・とキャデイさんの声がかかっても「Never give upでやりなさい」と、N-Kさんから厳しく言い渡されました。

決して安易な「OK」はしてもらえませんでした。でも、ようやく、コロコロと2メートルほど転がった時でも・・タッタ1本の7番アイアンだけで、グリーンまで通しで対応しても、その慈眼は変わりませんでした。

私は、以降、ゴルフの接待で、相手の方にも自分にも下卑た応対や、いい加減なOK・お世辞のゴルフはしたことがありません。

N-Kさんに学んだ戦前からのゴルフ道・・を自分なりに踏襲できたのが自慢です。

あの日、記念に芦屋ゴルフ場の帽子を買っていただき、裏にマジックで、ファースト・スコア138とマジックで書いて、初心の心構えを忘れないようにしています。

私にとって「ゴルフ」は、紳士の真の「遊び」だと思います。

来日したトランプ大統領も、国賓として迎えた安倍首相も「Golf time is GOLD」・・ゴルフ道と武士道が、実は一緒の事なのだ・・の思いを持たれたかどうか・・。