【犀(さい)の角(つの)のように、ただ独り歩め】・・ブッダのことば

 年末・年頭 所感 

はてなブログ・・禅者の一語(碧巌録意訳)/禅のパスポート(素玄居士提唱「無門関」復刻意訳/禪・羅漢と真珠(禅の心、禅の話)

・・この奉魯愚(ぶろぐ)は、2019年12月28日~2020年1月5日間は、一休さんの「門松は冥土の旅の一里塚、目出度くもあり目出度くもなし」にあやかって、菜根譚(さいこんたん)花看噺で通します。

半開(花は半開を看るべし)菜根譚 洪 自誠

花看半開   花は半開、清楚を看るべし・・

酒飲微酔。  酒はホロリと酔うほどにすべし・・。

此中大佳趣。 此の中にこそバランスのとれた風流がある。

若至爛漫モウトウ もしも酒乱泥酔の輩と一緒の花吹雪なら、

便成悪境矣。   花と酒 ともどもに最悪・・お断りだ。

履盈満者    えいまんの(みちたりた)者は 

宜思之。    今が看脚下だぞ。

       *モウトウ・・酉に毛。酉に匋と書く・・酒に憑りつく、アル中の意。

本年は・・はてなブログ計23149回の閲覧(アクセス)と☆86をいただきました(2019年12月28日19;30PM現在)

☆を沢山いただきながら、私がPCの使い方が未熟なため、お礼やご返事もままならない点、お許しください。

また、禅や坐禅のご質問には、ナニブン、禪は宇宙の中で役に立たない価値なき出来事ゆえに、貴方ご自身で見性(自覚)されること・・のみが解決法です。

ご参考に、碧巌録や、終戦前、真っ当な無門関を提唱された素玄居士の復刻・・各則の見解(けんげ)頌(禅機・禅境)など、禅者の風流な生活(行為)を紹介している次第です。

また、千年前の禅者と面談できるよう意訳に努めています。

ご覧になった禅語から【!・・?】と感じられた一語を 独りポッチ(3分間)イス坐禅で、思い返し、考え返してください。(これを拈弄/ネンローと言います)

禅の公案(問答)は、いずれも、異次元から答えられたように矛盾に満ちており、論理的心理的、哲学的科学的な正解はありません。これが正解だと言えば言うだけ、書けば書くだけ、間違いや誤解が増えるだけなのです。

釈尊ですら・・生後7日に生母を失い、ヤソーダラー(妻)との間に、結婚13年目に生まれた男児に「ラーフラ」(サンスクリット語で 障り。悪魔の意、漢字で羅睺羅(らごら)と名付け、子捨て(家出)しました・・その後、独り山に入って、6年に渉る苦行の後、菩提樹下、明星の輝きを見て悟りにいたる・・ソンナ苦悩、行脚の生活が背景にあります。

当時(2500年前)の平均寿命は30才前後。縁なくば、死んでも不思議ではない年齢でした。

後に羅睺羅は、仏弟子となったと伝えられています。

その因縁、由来はつまびらかではありません。

(山折哲夫著「ブッダは,なぜ子を捨てたか」集英社新書

更に1500年前、仏教伝来の最後を飾って、はるばるインドから中国に渡航して禪を伝えた菩提達磨にせよ、その後、禅語録に登場する中国の禅者たちは現実的な中国の風土に育まれて釈尊の・・

「犀(さい)の角(つの)のように。ただ独り歩め」

中村 元訳ブッダのことば スッタニバータ・・と道(い)われた「禅ニヨル生活」を歩んできたのです。

「禅」は独り一人にチャントあります。宗教ではアリマセン。

寺僧や教本、教導に頼ることなく、独りでチョットの時間でも 無価値で役立たずの「坐禅」をなさってください。

          有(会)難うございました。