◆磨いたら磨いただけの光あり。性根玉でも何の珠でも・・山本玄峰老師(無門関提唱 大法輪閣発行)

元服の書 NO47(表題 6月27日改題)  

中学・高校生とその親御さんたち~第2の人生を歩む方の問いに答えて書いています

「独り接心」・・とは、どんな事ですか?

禅の寺僧は、集団で修行します。その坐禅・・接心の最中でも、皆が寝静まった夜間、独り本堂の廊下や、月影の映える庭さきの石上など、思い思いに、集中して夜坐(やざ)を行うのです。釈尊や達磨や禅を伝燈した祖師方と、心を接する坐禅・・これを「ひとりせっしん」とか「獨接心・どくせっしん」と言います。

何か特別に坐禅を重大視するのでなく、普段の生活(行住坐臥)の中に、背筋をまっすぐ、呼吸をシッカリ坐禅したなら・・これを「役立たずの禅」とか「無功徳の禅」とか言いますが、少しづつ身についた「(坐)禅ニヨル生活」が自然に始まりましょう。           

釈尊の昔から「独り坐禅」をするのが本当です。イヤ、本当でも嘘でもなく、心底、孤独にあって、坐禅し、それを日常の生活の中に行禅する・・そのことを身に染みて体得・自覚するだけ。

これが白隠のいう因果一如の世界です。

ダイヤ原石は、ダイヤでしか磨けない・・

昔、金剛石といったダイヤモンドは、あまりに堅いので、原石を磨こうにも、ダイヤでしか方法がありません。

(原石はドンヨリとした乳白のガラス玉状です)

白隠坐禅和讃の冒頭に「衆生ほんらい佛(ホトケ・・覚者)なり。水と氷の如くして・・」とあります。科学的に云えば、空に浮かぶ雲も、川の流れも、海に浮かぶ氷山も、全部【H2O】温度変化によって状態が変わるだけです。経典にある「煩悩即菩提」・・の「即」を例えれば「H2O」になるでしょう。

ある理科の先生が生徒に聞きました・・

「氷が融けたら何になりますか?」

水や水蒸気に変化するH2O・・自然科学の勉強でした。

先生が期待した答えは「水になります」です。

ところが、この問いに、ハイ!と手を挙げた女の子が、嬉しそうに答えました。

氷が融けると・・「春になります・・!」

学校の試験で、先生が採点した点数は「難点!?」だったか知りませんが・・行雲あり、流水あり、雹雪ありの禅では「満点」の答えです。

この少女の答えにこそ・・「世の中は桜の花になりにけり」(良寛)もあれば、行雲流水の求道者も禅の参究に努めることが出来ますし、「鉄鉢の中へも霰」(アラレ、山頭火)の行禅に生き抜く禅境(地)もあるのです。

話を戻します。

科学的には、ダイヤも炭も、炭素の塊だそうで、原子の配列が調っているか、グチャグチャかの違いだけだそうです。どうやら、この配列を整える、ジンワリとした圧力装置が、イス坐禅の長い年月の坐法だと思います。

(とりあえず、そうしておきましょう)

3分間独りイス坐禅は、まず、ガラス切りにしか使えぬ「屑ダイヤ」づくりです。この価値なき、役立たずの屑ダイヤで、おのれを磨くのです。その磨くという「坐禅行動」がなければ、真のダイヤモンド原石は輝きません。

氷が融ければ春が来る・・幼い少女に宿った小さなZEN・・が、将来、その人に、どんな「禅ニヨル生活」をもたらすのかワカリマセン。アナタも私も・・自分の中のダイヤモンド原石を、独り接心で、磨いてゆきたいものです。

まさか自分が、そんなダイヤに例えられるほど価値あるものではアリマセン

・・と云われる方・・

ドコカの宝石店のショウ・ウインドウを飾る、価値あるダイヤを夢見てのことでしょうが、私が云うのは「無価値」=役立たずの、誰もが持っている「心」のダイヤ原石のことです。屑ダイヤ(独り坐禅・接心)で自己錬磨した人にしか、理解できない・・輝きの・・唯我独尊(この宇宙で、たった一つのDNAを持つ)比較するべきものがない(無価値・・だからこそ、比較できない最高最上の)ダイヤです。

大事なことは、自分の原石(ダイヤ)を磨けるのは、無価値で役立たずの独りイス坐禅・・屑ダイヤだけということ。損得ぬき、好嫌ぬきで1日1回、3分間・・独りイス坐禅で少しずつ研磨してください。

何時かある日・・自分が宇宙最強の硬度を持つ、ダイヤの輝きに包まれていることに気づかれるでしょう。

さらにヒトコト。          

「ZEN」が欣求宗教であることを否定します。

けれど私は、決して無宗教ではありません。

(ただし、ココからは哲学や宗教論、心理学などになりますから、ここで打ち切ります)

◆ダイヤは屑ダイヤでないと磨けない・・と知ったのは。30歳の頃です。

たまたまアフリカ・キリマンジャロの麓(タンザニア)で、水が悪いせいか、24時間~暑いせいか・・あまり美味しくないコーヒーを飲み、サファリ・ツアーの途中のことでした。ガイドの男から、ダイヤモンドの原石を買わないか・・と小指の爪程の原石を見せられ、日本円で5万だったか言われました。ギザギザした石ころの隙間に、小さくキラリと輝く・・ダイヤと思える原石でした。しかし、1カ月あまり、旅してきたケニアタンザニアで、ダイヤの採掘をしてる・・と言う話は聞いたことがなく、帰国途中の宿で、こっそり見せられたこともあり、この件は丁寧に断りました。

帰国して、友人の宝石商に尋ねると、ダイヤの研磨は日本で出来なくて、北欧の国の独占作業であり、ましてダイヤは屑ダイヤで磨くので、原石を密輸入しても、原石のまま、如何ともしがたいとの話でした。買っても光らすことができないのです。この想い出を、自分を磨く屑ダイヤとしてまとめた訳です。

◆もう一つの笑うに笑えぬ想い出は、学生時代・・鎌倉円覚寺に寄宿、坐禅していた頃・・夏休みに、同郷の友人から「ソボシス。スグカエレ」の電報を受け取り、我が老齢のお婆ちゃんが亡くなって、その情報を、親類に先駆けて電報してくれたのだ・・と思い、急ぎ東京の親族一同・・3~4軒に通知。行けないから香典をもっていってくれとか・・弔電を打っておくとか・・早々に富山に行ってみると、お通夜の・・棺桶の中にいるはずのお婆ちゃんが、ニコニコ顔で出迎えてくれました。

何のことは無い、死んだのは友人の祖母で、大急ぎで帰る友人が「カエル」の「ル」の字を、あわてて「レ」の字にして出した誤字電文で、罪はアリマセン。私が慌てず確かめれば、無事で済んだのです。死んだはずのお婆ちゃんは、生前に、ご縁の深さがわかる弔電や香典(額)を確かめられて嬉しい・・と言ってくれましたが・・直ちに折り返して、東京の親類一同様、謝りまわる夏休みとなりました。鎌倉で静かに坐禅三昧・・模範とする孫が、実はオッチョコチョイのアワテンボウ・・その後、十数年、本当にお婆ちゃんが亡くなった時、イノチの不思議さと深いご縁を想いました。一文字の大切さと、一日ごと看脚下の大事さをつくづく思い知ることになりました。

現代はスマホで情報をやり取りする時代です。電報文のようなメールのやり取りや、バーチャルな映像機器は、画一的で味気ない情報社会になると考えます。

また折々、私の失敗談をお話ししましょう。

有(会)難う ございました。 

 

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