「ア・ワ・ワのワ」・・赤子泣き、母はサッソク手当する・・キョトンと泣き止む・・ナントとっさの至芸を看てください!

元服の書 NO48  

中学・高校生とその親御さんたち~第2の人生を歩む方の問いに答え書いています

千年前の禅語録「無門関」や「碧巌録」・・何から読めばいいのでしょうか?

禅(ZEN)について・・変な言い方でスミマセンが 読まない方が・・知らない方が・・無難です。私の奉魯愚・・羅漢と真珠ですら読み捨てて、貴方自身の心の声にしたがって3分間「独りイス坐禅(接心)」をなさることです。

例えば、圓悟克勤(1063~1135 えんごこくごん)の撰述した碧巌録は、禅語録の中でも、もっとも僧堂の師家に提唱され、公案坐禅に必携の書であると云われています。この圓悟の弟子 大慧宗杲(1089~1163 だいえしゅこう)は、臨済義玄の棒唱看話(かんな)禅を標榜して、当時の中国、曹洞系の宏智正覚(わんししょうかく)の綿密な黙照禅と真っ向から対峙していました。いわゆる禅宗団体の勢力争いです。

大慧は 臨済宗、中興の祖ともいわれる禅者です。門下の僧(求道者達)が、禅語の文字解釈に埋没して、坐禅実究を疎(おろそ)かにするのに憤慨し、また、世間と遠離して立ち枯れ禅(坐禅するだけ)に居着く禅学者風(曹洞系)僧侶に反発して、禪宗全派のバイブルとも言うべき碧巌録を焼き捨てた・・大事件がありました。

 

もし大慧が、現代(2000年の後半)・・日本の禅宗を見たら、どうなるでしょうか・・近い未来には、宗教法人は解体され、僧侶は従業員として甲斐甲斐しく働き・・観光ホテル業と懐石料理店の、一大観光禅のフランチャイズ・チェーンが出現しているかも知れません。

それに心理・精神病の研究大学と病院施設に坐禅が取り入れられて単位取得の医学に変貌していることでしょう。

時に風狂一休宗純や正受老人・白隠慧鶴、月舟宗胡、信長に焼き殺された快川紹喜、大愚良寛や乞食の雲溪桃水など、時世の波間に現れた刮目(かつもく)の禅者はいますが、釈尊から達磨、大鑑慧能までの、純禅の系譜を調べても「乾坤(けんこん)ただ独り」・・に撤した禅者は極めて少数です。

 

口先だけの(蕎麦屋の釜の中・・湯yuuばかり)の学者(まなぶもの)は、禅に不要です。例え、一日に1回、3分間だけでも、数息の独りイス坐禅する者がいたら、キット千年後、月社会か、火星社会か、はたまた土星を開拓するために飛び立ったロケットの中で、坐禅するアストロノートがいることになるでしょう。禅を集団で修行する時代は終わりました。独り一人に、それぞれの禅がチャントあります。気づかないだけです。自覚できるのは、独りで無功徳(役立たず)の坐禅する人だけです。今の貴方に、いくら言葉や文字(本)やスマホやPCが、迷いや誤解、妄想(悩み)のもとになっていることであると説いても、絵にかいて見せても、それが、さらに迷う原因を作って、コダワリとなるのです。知ったかぶりの碧巌録や無門関・・その語録の逸話(則)はその登場人物たちの禅機(悟りのキッカケになる出来事)禅境(地)を劇場での観劇に仕立て上げているにすぎません。禅で言う「無」や「空」は、つまずいて「アイタ・タ・タ」という、そのどこが無であり空なのか・・自覚できない輩には、説明のしようがないのです。

この電磁的情報社会は、禅を紹介する・・とりわけ「独り坐禅」を広める絶好のツール・媒体です。眼に見えない電磁波が、一人独りに、地図や処方箋、効能書きを与えてくれます・・けれど、南極で北斗七星を探したり、絵に描いたモチを食べようとしたり、ただの処方箋を頭痛薬にしたりしている現代人・・いわゆるスマホ(情報)・文字(風説)依存症にならないよう、つねに「看脚下」足元を見るではなく「看」ルに・・注意してください。

 

サテ・・何から読めばいいのか?の質問には「何も読むな!何も言うな!」が答えです。独りイスに黙して坐るのみ。

あるいは、いささか穿(うが)ち過ぎですが・・竜安寺の手水鉢・・【知足】の【吾】レ+【唯】ダ+【足】ルヲ+【知】ルの「口」に 手洗いの水が溜まっているのにご留意ください。

                          有(会)難とうございました。

 はてなブログ 禅者の一語・・碧巌録 意訳中

はてなブログ 禅のパスポート・・無門関 素玄居士提唱 復刻解訳中

はてなブログ 羅漢と真珠・・独り3分間イス坐禅の仕方、禅の心禅の話