●形でもない・色でもない・・3分間のイス禅スレバ、悟れるか?

羅漢と真珠   

坐禅すれば「禅」を理解できるか?    

・・悟れるか!

答えは「NO」です

唯の独りポッチで行う・・3分間イス坐禅です。美容や健康・精神統一をはかる、効用効果(造作)坐禅ではアリマセン。

いくら禅・坐禅に「何か」を期待しても、得られるものは何もなく・・禅(覚)者にはなれません。

どうしてか・・お話しします。

以前、磨塼作鏡 マセンサキョウという禅語録に出てくる中国唐代の馬祖道一と師の南嶽懐譲の「瓦を磨いて鏡となす」坐禅修行をして悟りを開く・・そんなことは不可能だ!という問答を紹介しました。

電磁的社会のアナタは、釈尊菩提樹下、悟りを開かれたとか・・達磨が遠くインドから支那(中国)に船旅をして、禅を伝えたといわれる逸話など、知識として知っておられるでしょう。でも、「禅」を理解する・・という大間違いのもとは・・釈迦が「坐禅」をして悟りを開かれ・・その釈迦(正覚・禅・解脱)の教えが「仏教」だと思われている・・そもそもの土台から間違っているのです。

これは「禅」と「仏教」が混同された歴史的社会(教団宗派の揺籃期・・禅(個人)と欣求宗教(組織)が明確に区分されていないことが原因でした。

ありていに言えば・・仏陀(ゴーダマ・シッダルダ)の悟りと、その教え(大悲大慈の欣求宗教)と混同してしまったのです。

禅は、仏陀が悟りを開かれる以前、すでにバラモンの教えとしてあり、無常を観じられたシッダルダは、妻子を捨て家出して独り坐禅をなさいました。やがてブッダガヤで、暁の明星を看られて、悟りたる人=覚者・・つまり仏陀(禅者)の一人になられたのです。

この禅(静慮・大覚・悟り・解脱)は、求道者の独り一人が、自己の心の中に問うべき「?」であるのに 大悲大慈のために「欣求(ごんぐ)仏教(宗教)」として集団(寺僧ニヨル組織的な)修行でなければならないとして「宗教」を仕立て上げ、布教して回り教団(組織の)勢力ご中国へ、日本へと伝播してきたと考えています。

たしかに、仏教の中でも一番遅く支那に渡来した達磨の禅は、激しく為政者(皇帝)から迫害を受けたり、日本では朝廷(天皇)の庇護を受けたりしました。釈尊から数えて2500年ほど・・ダルマから1500年ほど経過した、アナログからデジタル(電磁的)社会になった今日まで、禅は寺僧(宗教)との間に、親離れ子離れができていない・・と考えられます。

このことは「禅」が「欣求宗教」ではないとした昭和初期の素玄居士(高北四郎著 提唱無門関 ・・絶版中)の著作にも明らかです。江戸時代中期の盤珪永琢の「不生禅」には、禅を世界に紹介した禅者・佛教学者の鈴木大拙博士も注目されていました。この不生・庶民禅に宗教的禅(マーケテング・・組織禅)の悪臭はありません。

 

古くは釈尊菩提樹下の大覚(見性)以来・・唐代の禅者達の語録に、仏像を焼いて暖を取ったり、悟りの証拠である師から貰った衣鉢や机など捨ててしまったりする禅者がおうおうに語録に登場します。

お経をトイレ紙と吐き捨てる禅者・公案が語録にあります。当時・・禅者は真っ裸の心、全く素直で正直でした。

寺僧の教導(共同)利益、存続発展の生業(ナリワイ)は、微塵も窺われません。

 

あるいは・・「南無釈迦じゃ娑婆じゃ地獄じゃ苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃというが愚かじゃ」とか・・梵天に乾いたクソを捧げるといって遷化した、日本の一休さんや、また、乞食の生涯・・雲溪桃水(うんけい とうすい1612~1683)。その友・・孤高の禅者 大愚宗築(たいぐ そうちく1584~1669)・・あるいは武士から身を禅に投じた無教団の石平(山)道人=仁王禅の鈴木正三(1579~1655)。いずれもが江戸初期~中期にかけての民間、庶民の「禅ニヨル生活」を説いたアウトサイダーな純禅・居士禅の方々が沢山、輩出されました。

 

後の別章で紹介する不生禅は・般若心経の「不生不滅」の一句「不生」で、すべてがととのう・・と喝破した盤珪永琢(ばんけい ようたく1622~1693)など・・の面々は、1580年代から1690年代、日本の各地で、宗教(的)でない禅者として「禅ニヨル生活」を庶民に説き示した純禅の人たちです。

 

あるいは・・良きかな愚の如く 道、転(うた)た寛(ひろし・・)の独りマリをつく大愚良寛(1758~1831)と、まったく禅を忘れて禅境画を揮毫した仙厓義梵(せんがい ぎぼん1750~1837)は、たった8年の年違いで、両者は自由気ままな禅者同士・・どこかで、日本の同じ空気を吸っていたはずです。

近くは「鉄鉢の中へも霰(アラレ)」と謳った山頭火(1822~1940)・・これら列挙した禅者達は、宗教・教団的な臭みは(みごと純禅とともにある生活に)脱臭されているといって間違いなかろうと思います。

 

禅を、誤解を恐れずに言えば インドで発見された数字【0】ゼロを、六道輪廻の人生観に別個の超越する浄土(極楽)を設定して欣求する教団組織として体系化したのが仏教全般の概念でしょう。インド仏教は、さすが実際的実利的な中国(支那)の地に合って、言葉にも、文字にも現わせない「禅」を、根本(素・元・玄・宗)に据えた教え・・仏(仏陀=正覚)者の教えとして「禅の宗・モト」と名付けたハズでした。ところが、中国への進出に遅れて海路、ノコノコやって来た達磨禅を、すでに開拓を終えた他の仏教教団が、仏教全体の素(モト・宗)とは認めませんでした。

【禅】これを例えば・・としておきます・・数字【0】は、具体的・実利的な支那文化の中で「教外別伝・不立文字」とか「正法眼蔵 涅槃妙心 實相無相 微妙法門」とか・・訳が解らない漢文の「妙」とか「相」とか「空即是色」とかの、不思議な文字表現に取り込まれて、宗教(集団・組織)上の新宗派として成立していきました。

そして日本に伝播したのです。これは何事につけ、継続拡大をはかる、人間の社会的組織の保存・拡大の方法です。寺僧と欣求宗教は、ありていに言えば、常に市場(フィールド)に 信仰の需要を拡大するマーケテング(集団)活動なのです。

しかし、中国に臨済の登場する時代までは、禅は孤独な深山幽谷に隠れ住む求道者のみの純禅でしたので、これに同調(シンクロ)できるはずがありません。モチロン何事につけ「造作」を完全否定して、棒・喝をふるった禅者達の背後には、慈悲を隠れ蓑にした禅宗教団が枝葉を伸ばしています。ソレデモ・・よくぞまあ・・臨済宗黄檗宗曹洞宗の三宗派が、第二次世界大戦(1945)位まで・・どうにか昭和の年号~1989年が終わるまで息を繋いだ・・といえましょう。

そして21世紀・・世界がデジタル(電磁的)社会となり、コロナウイルスによるパンデミックでアタフタする状況になりました。

今こそ禅は宗教(観光拝観禅)からから脱皮して、親離れしなければ未来はないと考えます。

抹香臭い葬式とか政治政党に絡む教団仏教に宇宙時代(量子力学)の若者はついていけないでしょう。「ZEN」は、釈尊正覚の初めから今日まで、ズット~未来永劫~欣求の宗教「禅宗」ではアリマセン。

坐禅は(禅ニヨル生活をする・・行)禅ではありませんから、私は、坐禅をするなら、効能書きのない、役立たず、無功徳(無価値)の・・独りイス禅(初心の方には数息坐禅)を推奨します。サア坐禅でもスルゾ・・と根をつめて、足の痛い苦しい三昧(集中)に成ろうと努力しても 絶対に「悟り」は開けず、むなしく労力を費やす・・無駄と言うべきでしょう。

心理的異常(魔境)を醸成するような・・お寺の坊さんが跡継ぎ資格を取得するための専門道場や僧堂の修行など、もはや卒業するべきです。確かに、身も心も安(やす)んじるには、無価値で効能のない(TPOの)坐禅が大事です。しかし、おやりになれば、正直・・人は3分程度で、どんな人も集中する糸が切れてしまいます。紹介しているイス坐禅でも 多少の知見や省悟、覚悟ができたにせよ、世事・雑用に追われてしまえばどんな達道の師と言えども、後は空(無)の禅境は消え失せて・・必ず妄想が湧いてきます。釈迦も達磨も修行中とは、このことを言います。悟後の修行、30年とも言います。

しかし わずか3分間の【isuzazen】といっても、僅か3分間程度の坐禅に足が死んだと外国人に言われる僧堂の接心と、どんな修行の違いがありましょう。3分間で充分じゃありませんか。足が痛いのを我慢して、無理やり結跏趺坐して、脂汗を浮かべて「嘸~ム~」力んで「悟り」が得られるものなら、千年前の馬祖とその師、南嶽懐譲の磨塼作鏡(マセンサキョウ)など、何のために語録として後世(現代)に残っているのですか。あえて誤解を承知でいいますが、浄土真宗・・愚禿親鸞(禿げ頭のしんらん)上人は、息を引き取る間際に、1回、南無阿弥陀仏と祈りなさい。阿弥陀如来の救いがあると言われている。人生、最後は、弥陀の本願におまかせしようと思います。

釈迦(釈尊)や達磨や臨済や趙州や、千年ぐらい前までの禅の求道は、独り一人に備わっている「ZEN」・・般若心経の「色即是空」の「空(無)」を・・独り一人が自覚自悟することでした。

それこそ・・今も変わりないのです。

ですから、釈尊は明星禅・・達磨は壁間・無功徳禅と言い、六祖恵能は「本来無一物」禅。臨済の禅は「無位の真人」禅、または「無造作の禅」といい、趙州は無(字)禅、喫茶(去)禅といい、一休は風狂禅、盤珪は不生禅、鈴木正三は仁王禅、雲溪桃水は「乞食禅」。あるいは白隠は隻手禅・・良寛さんは「(焚くほどに風が持て来る)落ち葉禅」・・山頭火は「鉄鉢に霰(アラレ)禅」あるいは「濁りつつ澄む禅」・・釈宗活老師は「両忘禅」。山本玄峰老師は「性根玉」禅。世界に禅を紹介した鈴木大拙翁は少し理屈を入れて「禅ニヨル生活」禅。久松真一先生は「絶対無・主体禅」素玄居士は裸(心)禅・・私は、「役立たず(無価値)の独りポッチ禅」を提唱して、現代の若者に推奨いたします。

イヤハヤ日本に伝播して1500年の宗教・寺僧による観光拝観禅を、庶民の独りポッチ禅・・不生禅・・達磨・無功徳禅・・にスウッチさせるのは至難な出来事です。ですが自分を大変身させるほど難しいものはないと心得て、無価値な禅の紹介から始めます。

【附記】もともと「正法眼蔵」という言葉は中国で作られた偽経「大梵天王問佛決疑経」(だいぼんてんのうもんぶつけつぎきょう)の拈華品(ねんげぼん)第2に、お釈迦様が摩訶迦葉(マカカショウ)尊者に法(禅)を伝えられた時の言葉の中に出てくるといわれます。

*参考 西村 惠信 著 抜粋「臨済録をめぐる断章」(自己確立の方法)発行・禅文化研究所

*私は仏典に出てくる すべての法や佛の文字・表現をすべて「禅」と書き改めて読みます。聞きます。いずれにせよ文字や言葉は「名月蘆花 君自(みずか)ら看(み)よ」です。あてにしたら北極を目指して、南極にたどり着くような大間違いをしでかします。 

次回は「悟り=大覚」の真相・・親離れVS子離れ・・コロナ終焉こそ「坐禅の正機」など2年有余の無沙汰を打ち破る・・奉魯愚を出して、出版につなげます。何を寝言を言っているのだ・・と獅子吼する禅者・・一人でもよい・・火星や土星に向かう船の、無重力のイス坐禅を行う・・アストロノートの出現を祈ります。

                        有(会)難とうございました。

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