元服の書 NO62
*中学高校生とその親御さんたち~第2の人生を歩む方の問いに答えて・・*
窓あけて
窓いつぱいの春山頭火(1882~1940)
新年を寿ぐのも 程々の老いとなりました。
何かの折のお手紙はさておいて、勝手ながら
賀状を取りやめて 今にいたりました。
令和4年1月3日 馬翁+20 加納泰次
PCやスマホの使い方も 幼稚園なみの馬翁が、何の役にも立たぬ禅語録の意訳を試みております。読者の方から100個以上の☆印をいただきながら、その方のブログを拝見もせず、ご返事も出せず、出さず・・どうぞ、お許しください。私は、師を持たず、本を読まず、寺僧の教導を受けず・・の独り接心(坐禅)を提唱しております。これが釈尊や達磨禅の根本だと思います。もし、興味あって、ご参画なさる意思があれば、決して、二人以上の、組織・集団に加わらず、独り坐禅に撤してなされることだけが、入門の条件です。言いふらすことも、有料なこともありません。寝る前や起きてすぐの3分間、ひと呼吸10秒程度の呼吸を18回。目を半眼にしてなさってください。それだけで充分です。この山頭火の禅詩も素晴らしい公案です。窓を開ければ、開けた分だけ春が飛び込んでくるのか?窓を開けなければ春はないのか?窓を閉めればイキナリ冬になるのか?春は☝でつまめないのか?花の香りは春ではないのか?・・春を自分と置き換えて、心を開いてみれば、開いた心一杯の自分(私)ではないのか?閉じた心に、自分はないのか?・・などなど・・思いは頭の分泌物と言われた方がいますが、迷うことが悟りでないのか?煩悩即菩提というではないか?と、自分の中の自分に問い詰めるのが・・坐禅です。といっても、頭は「考える」ことを「考えられません」ので、同じところを回っているようですが、あわてず騒がず、3分間坐禅してみてください。ほんの少し、自分が変わっていることに気ずかれましょう。
自分を発見できるのは自分しかいないのです。
有(会)難うございました。