元服の書㉑ 役立たずの(造作しない)独りポッチ坐禅・・

坐禅は・・寺僧の教導を受けないと出来ない修行ですか?

中学・高校生の・・求道の問い(禅語碌の至言の意味)に答えて書いています

A:違います。どうぞ「独りポッチ」で、イスなり寝起きの前後なり、3分間でもOK・・大事なのは・・肩の力を抜いて、覚悟して始めることです。

坐禅することを、まるで習い事や学校の教育実習のように思ってはなりません。

同じ青春の悩みごとを持つ友達と一緒に・・とか、瞑想やヨガに関心がある仲間と一緒にとか、自分一人では心もとないのでとか、お金を払えば、辞める時も勝手次第だから・・とか。

そんな配慮や思惑(計らい・造作)は「坐禅する」ことの邪魔にこそなれ、一切無用です。

釈尊以来・・禅は、生まれつき独り一人に備わっている「尊うとさ」を、哲学や論理ではなく「ココロから発明、発見する生活行動」です。これを「悟り」といい「見性」といいます。

そのためには、誰彼から教導されるものではなく、だだ、自分だけ(の独り)に徹して坐禅して、自分が自分で納得(自覚)するしか方法がありません。

坐禅の仕方が解からない・・坐禅中の思考の変化がわからない・・悟りの境地が知りたい・・どうぞ自分で大地に立っているように・・自然と呼吸しているように・・何もかも独りで工夫、自習してなさることです。甘えなさるな!

貴方はイスに座ったことがありますか⇒あります⇒それなら椅子に坐ってどうぞ。

質問⇒手足、姿勢はどうすればいいのですか⇒肩の力を抜いて、リラックスして・・ただ、背筋はのばして、アタマのテッペンから吊り下げられているように・・そして眼は半眼(薄眼)にして2メートル下位を見ます。理由は眠らないように・・です。手足は自然にどうぞ(熟睡している時の呼吸や手足はどうなっていますか・)

質問⇒1日何分ぐらい何回ぐらい坐禅すればいいのでしょうか⇒1回3分ぐらい。1呼吸 約10秒として【吸う息は短く、吐く息は長く・・ヒト~ツ・フタ~ツ・・ム~ツと数えます】6数×3回=18回ぐらいで3分間です。2回でも3回でも・・寝床禅では、すぐに眠てしまうことがあつても、それはかまいません。

質問⇒坐禅の間、何を考えたらいいのですか、それとも無念無想ですか⇒呼吸数を数えなさい(数息観)・・まず寝起きの時など、1日1回でも顔を洗う如く・・3分間、やって見ることです。禅語録の公案はどうか・・とか、余計な考え事や無念無想になりたいなど気安く言うべきではありません。一呼吸10秒程度。

ただ呼吸数を数えて(数息)計18回で約3分です。

質問⇒注意するべき点を教えてください⇒他人や本やPCに頼らないことです。何の役にも立たない(損得のない)坐禅を覚悟して・・たかが3分ぐらい坐禅する事が簡単だと思ったら大間違いです。

2~30年間、独りポッチ3分間ポッチのイス禅を毎日心がけて、どうにか少しまともにやれたかな・・が実感です。

 

釈尊(ゴーダマ シッダルダ)は、紀元前486年4月8日、釈迦族の王子として生まれ、妻(ヤシュダラ姫)子(アゴラ)ある身でしたが、無常を観じられ29歳出家、虎やコブラにいる深山に独り断食(一日胡麻を少し食べられて)6年間の坐禅行をされました(苦行の釈迦)。ただし正覚は得られず、やせ衰えられて山を下りられました。大河のほとり菩提樹下、スジャータという牛飼いの娘の施し(牛乳)をいただいて蘇生されたのです。

「ナルホド、求道(坐禅)は、身心のコンデションを整えてこその坐禅でなくてはならない・・」と、執着(欣求)しない禅定(生活)を心掛けられたのです。

そして供養を受けながら35歳・・暁の明星を看て大覚(成道)されたのです。以来、禅はインドから中国へ・・そして日本へ・・寺僧の揺籃をうけながらも、次の世代の「独りひとり」に大覚されてきたのです。「悟り」が代々、師弟に伝法された訳ではアリマセン。途絶えたことも多々ありましたし、寺僧によらず、薪売りや渡し守など、庶民の中に道人として見性した人が、少なからずおられます。

現代社会のように働きながら、自由に坐禅できる環境ではありません。宗教寺院での集団生活や念仏禅など僧堂修行は厳しく行われました。でも、師家の鞭撻があつても、悟りのタネは独り一人のTPOで自然(不意)に発芽するのです。そして、その種による独り一人の発育(禅による生活、実践長養)があってこそ、真夏の日陰を施せる大樹となるのです。繰り返します。禅は欣求(宗教)修行して見性できることではありません。

禅語録や指導書、私の意見などはホドホド、参考になさるだけにして、どうぞ体調を整え、思惑(造作)を忘れて「独りイス禅」をなさってください。一番良くないのは、集中しなければならないとか、足や体が痛い・・そんな形にこだわる坐禅(瞑想)です。

宮沢賢治の雨にも負けず・・ではありませんが・・みんなに木偶の棒(でくのぼう)と呼ばれる・・出苦の忘の坐禅をしてください。

有(会)難とうございました(12月22日/24日 加筆改記)