元服の書㉖ 尾畠春夫さん(スーパーボランティア)は、本当に「雨ニモマケズ」の主人公のような人物ですか?

前号、元服の書㉕で、スーパー ボランティア 尾畠さんは「禅者」です・・と書いたが、どうも禅者らしいイメージがつかめないようで、質問がありました。

2019年2月21日 ABCTVのワイドスクランブル「尾畠さん(79)の歩き旅 第11弾」昨日の大井川・金谷峠・・静岡県島田市時点でのルポルタージュが紹介されていました。まだまだ先の九州まで遠いのに、はや引いているリヤカーの引手が破損して修理している話・・「物はイロイロ工夫して大事に使わないといけない」・・周囲には、その姿を見守るその町角の人々がいた。何か悩みを打ち明けている主婦の方に、人生のアドバイスの一コマ・・「地球の人口、何十億の内の私は、たった一人だけ(の遺伝子をもって)生きていると思えば、ホトンド悩みごとは消えますよ」要約すると、こんな話をされ陽に焼けた顔をほころばせ、元気に行脚されている。

このテクテクリヤカーを引いて行脚されるほこりまみれの姿に、私は宮沢賢治の「ほめられもせず、苦にもされず皆にデクノボウ」と呼ばれる主人公がダブって見えてくるのです。

人の行いの重きこと・と・人の言葉の軽きこと!

昔、幽霊と人間について・・の問答を父としたことがあります。

故郷、富山での「禅境画・書」の個展のおりでしたか・・ラジオ放送の取材で大学時同期の今村さんがディレクターで来られて、あとお茶を飲みながら、禅の話をしている時でした。

会場の窓から忙し気に行き来する人を眺めて父は「どうだ?(足はあっても)幽霊だな」という。

私は答えない。箱根山、駕籠で行く人、担ぐ人、そのまたワラジを作る人・・単に世相を述べた想いだけでした)

たしか、こんな会話をしたと思う。道を歩く人が、まるで足のない幽霊に見える・・坐禅の後の印象話だった。今なら、差し詰め,胡子無髭(こしむしゅ)無門関第4則をひねくり回して、興を添えればよかったと思う。

故・加納白鷗(父)は、はじめ、高岡の臨済宗 国泰寺派本山 江南軒勝平大喜老師に参禅し大魯の居士号を、また、次いで仏教学者・禅の故・鈴木大拙に師事し、白鷗の居士号を得て、京都で作陶・禅境画・書の芸業をなす清貧の作家だった。私、泰次の名は、国泰寺のタイジに因み大喜老師に名付けられた。大学の頃、鎌倉円覚寺、続燈庵、故・須原耕雲(弓和尚)に寄宿。鞭撻を得たので、対山の松が岡東慶寺に、鈴木大拙翁を尋ねたことがある(大魯老居士惠本と書かれた昭和22年発行の「神秘主義と禅」初版本を大事に持っている・・校正が無茶苦茶でなっていない・・と父が附記していてオモシロイ)

また大喜老師の弟子、勝平宗徹さんが南禅寺の師家になられたご縁で、当時、管長の柴山全慶老師を訪ねて、雑誌「禅文化」に掲載する写真を撮影したことがあります。年端もいかぬ若造の私相手に丁寧なお手紙と一行書を書いていただきました。

当時(この頃)の・・達道の禅僧・禅者は、禅語「天地同根」・・そのままの禅による、漂々とした生活をしておられて、すがすがしい清風に吹かれているようでした。

閑話休題(ソレハサテオキ)・・

なにを言いたいかと云うと、禅者とは・・観念論や、宗教・哲学、イメージ(想像、言葉、文字)を飛び越えて、それらに束縛されることなく、無目的で無功徳、無価値で役たたずな、それでいて安心・誠実で、無口で、知らずに周囲を明るくする・・ソンナ「禅ニヨル」生活を常に行っている人のことをいうのです。

一休さん良寛さんなど、真の禅者(禅の臭みのない人)は・・おおらかで明るい笑顔のイメージだけを、それぞれ自分勝手にこしらえて、あてはめるような人たちではないのです。もう片方の現実には、普通の貧しい、明日食べる米もない、寝る布団もない、病気で薬もない・・無一物の暮らしでありながらも・・「平常心」=「日々好日」で居られる覚悟がある・・人なのです。(ですから・・次回の良寛さんは、世に知られた良寛さんではなく、出来るだけ人間臭く、暮らしぶりがわかるように・・例えば、コメやインキンたむしの薬をほしいと訴える手紙や、泥棒に取られるものとてない、寝ている破れ布団を差し出す良寛さんの「禅による生活」行いに重点を置いて紹介するつもりです)

私は、リヤカーを引いて、金谷峠を上る尾畠さんの後ろに、リュックを背負い、後押ししながらついてゆく若者の姿を見て、一寸(チョット)ほっこりしました。まだまだ日本には、求道者がいて、捨てたものではないナ!と思いました。

 

例え人生、独りポッチでも、手のあたたかな人の「看 脚下」・・大地を踏みしめての歩るきが大事です。

尾畠さんは仕事に追われ、スマホのトリコになって、自分の足で歩くことを忘れた幽霊もどきではありません。

かけがえのない尾畠さんだけの1日1時間を・・

大事に大切に・・過ごしておられるのです。

君は、チャント、温かい手や足(の禅)がありますか?

ソレトモ、私が手足を持つ(I Have)という英語表現に漬かりきった人ですか?

有(会)難うございました。 

*2月22/24日 修正加筆しました。

鈴木大拙 翁(1870~1966 世界的仏教学者・禅者)

●勝平大喜 老師(1887~1944 松江万寿寺・国泰寺管長)

●柴山全慶 老師(1894~1974 京都 南禅寺管長)

●加納大魯・白鷗居士(1914~2007 禅境書・画 作家)

●勝平宗徹 老師(1922~1983年 南禅寺師家・管長)