憲法違反ではありませんか?シリーズⅡ 「NHK」問題

NHKは・・個人の・・自由に報道を選択、聴取・閲覧する権利・・を侵害していると思います。

私の場合、民放の他に100チャンネルのケーブルTV、それにWOWOWに加入、WEBのNEWSなど有り余る視聴報道を満喫しており、全くNHKは不要です。そこで、法律で決めたのなら、放送法改正の国民投票を希望します。

国民が一律に、どうして税金でもない、見もしないTV視聴料を払わなければならないのでしょうか。見たい人はWOWOW同様、オンデマンドにしたらよいでしょう。

あるいは・・公共の名のもとに地震・台風速報、選挙・国会中継や、教育教養番組など・・これは税金による国営放送にして、紅白歌合戦、時代劇、ドキュメンタリィ番組などは分割民営化することで、情報を見る自由、見ない自由を確立してほしいと思います。年間@1万数千円(6千億円あまり)・・政府や総務省、議員、高給のNHK職員。民放放送局の利権のために「公共」の名で使われてよいのでしょうか。

憲法違反ではないか?と問いかけます!

わがことにあらずと、無関心の一般の庶民感情も問題です。     

一度、国民投票をしてほしい出来事です。

普段、当たり前と思っている常識・生活習慣・団体行動に、思いがけない慣性(ドウデモヨイ・・感性)の法則が働いています。良くも悪くも本能的に「現在の生活」保全、継続に安心して変化を嫌う「居着き=執着」が強い傾向です。

でも、国民が拉致されたり、国土越しにミサイルを飛ばしたりする国交のない国に、専守防衛の名のもとに、何もしない・・出来ない政府を黙認する・・そんな無関心で、いいのでしょうか。

見もしないTVに、年間1万円以上、天引き支払いをしなければならなかったり・・

そんな、情報を選択する自由がない、

法律の下にある「憲法」なのでしょうか?

自衛隊の専守防衛と拉致奪還は、憲法違反か・・

●空手に先手なし・・の極意とは・・

刀や槍で戦った昔でも、弓矢の攻撃に、飛んでくる矢だけ防衛するのが専守防衛だ・・という間抜けな戦いはありませんでした。  

弓を持つ部隊や、投石器を破壊してこそ防衛だ・・と言えます。         

殺人鬼の武器だけ捕獲して、犯人を野放しでは法治国家ではありません。無期懲役や死刑にして、二度と悲劇が起らないようにするのが、専守防衛・国防の自衛隊ではありませんか。

でも、北朝鮮からミサイルが日本の本土越しに、アメリカ、グアムに飛んでいく時代に、専守防衛の在り方が、70年前~50年前と同じでは、B29の空襲に竹やりで戦った日本と変わらない思考、対応です。

◆昔、私は、沖縄発祥 剛柔流空手をやっておりました。    

「空手に先手なし」・・先制攻撃を受けてから戦いを開始しても、負けない攻撃が基本でした(つまり防御手段が、即、攻撃になっている技=交差法)・・真の専守防衛は、日本の国土に、外国が攻撃を仕掛けたら、それを受けて立つと同時に、相手国が2度と攻撃できないようにする・・クロスカウンターを放つ事だと考えます。

(そんな覚悟が出来ない優柔不断な、ヘナヘナ政府と自衛隊じゃ、アメリカだって助けに来たくないでしょう・・ついでに言えば、拉致者の奪還を覚悟して、部隊編成できない自衛隊に、国民とその国土を守れるのでしょうか?)

憲法は・・拉致された国民を奪還するのを、違法とするのですか・・?              

◆昔、沖縄はヤマトンチュウ・・サトウキビの産地として、薩摩の植民地でした。農民や女性は武士たちの暴力から貞操や生活を守るため、素手や鎌、ヌンチャク(稲をうつ農具)で、刀と戦う空手を習得したのです。圧政に苦しむ農民の、武士への防衛=無刀取りや、眼玉、金的打ちなどの禁じ手=交差法攻撃は、型演武の中で見ることができます(か弱い女性が、命がけで刀の武士と戦った開手(平安)型演武などです)

◆沖縄は、基地が多く暴力事件の多いのは、さぞかし大変でしょう。その沖縄に対し、もっと協力発展の資金を、国及び他の都道府県が出すべきです。それとMP(対軍人・保安隊)を編成、配備して、アメリカ軍とその関係者を対象として、暴力や事故の予防・防止に率先、徹底して努めるべきでしょう。

◆これから・・戦争となる国は、巨大な共産党独裁国家尖閣を絶対に取って見せると・・あと50年でも100年でも虎視眈々と狙う共産党=独裁大国=中国です。それに隣接して、拉致と核開発を行う独裁国家北朝鮮です(背後には、引き分けといって永久に北方四島を返還しないロシアがいます)

将来、沖縄は・・アメリカ軍をグアムまで後退させても、自衛隊の精鋭が交代する事態となりましょう。何時までも、飛んでくるミサイルと、領空領海を侵犯した敵を追い払うことだけすれば、国土国民の防衛は大丈夫・・とする政府の思いは、今を機に払拭することです。

憲法を変えねば、何事もできない・・という前に、非常・有事や拉致奪還部隊の編成には、即、国民投票で決める覚悟さえあれば、何ほどの問題もないはずだ・・と考えます。 

◆千年も前の禅語録を意訳紹介している馬翁+12の老禅者が、法律や社会の問題に、どれだけ関与できるのか・・問いかけられます。

生死(老病死苦)は、医者と宗教/寺僧に任せておけ・・のご意見に反論して、生きる・・ことを人間として思う時・・法であれ、仕事や納税であれ、看病であれ、子育てであれ、正直に対応していく行政・生活態度こそ一番に大事なことだと自覚しています。

拉致事件で、国交のない国へ自衛隊の救出奪還に海外派兵することが、憲法に違反する・・出来ないこと・・とする政治・政府に、どうしても納得できないのです。最高裁は、北朝鮮拉致事件を、国家間の紛争とみる根拠を説明する責任があると思います。

拉致は卑怯な刑事事件です。欧米なら解決(救出奪還)に軍隊や自衛隊が出動することに異議を唱える国家はないと信じます。国家利権の紛争ではないのですから・・(これは前回の奉魯愚で発表しました)

私は、日本=沖縄は「空手に先手なし」の精神を、中國・朝鮮ある限り、永久に受け継がねばならない宿命の地・・だと思っています。

 

Q:坐禅はどのようにすればいいのですか?

Q:落ち着かない毎日です。

どこかで写経や坐禅・瞑想でもしたら・・と考えていますが、どうすればよいのでしょう?

●私は、一般人が、寺僧の指導による写経や坐禅会などに参加され、集って法話を聴かれたり、坐禅の真似事を数回なされる・・など、お勧めできません。

結局、興味本位でやるだけで、あとが続かないからです。

特に女性は、現実的で、何の役にもたたない、面白く(楽しく)もない、坐禅など、すぐに飽きてしまいます。

もし、無性、無心に「坐禅」でもしたいなぁ・・と思われたのなら「3分間独りポッチ禅」をお勧めします。

無料で、自宅や職場の休憩時間、通勤電車の中でも、寝る前でも・・いつでもどこでも、すぐにできるからです。

また坐禅する前に、この坐禅は・・何ら心理的な改善に、役立たないもの(無功徳)であること。悟りは求めても得られないこと。ZENは、神仏に欣求祈願する「宗教」ではないこと・・を承知しておいてください。

この坐禅は瞑想ではありません。目を閉じず、半眼にして、2メートルぐらい前を見て、姿勢(背筋をまっすぐに)ただし、椅子に坐るなりして、独り、静かにゆっくりと・・一呼吸10秒とすれば・・18呼吸で、3分間・・TVやスマホや、世間の雑音から離れて過ごしてください。

手は印を結ぶとか、結跏趺坐(けっかふざ)するとか・・ややこしいシキタリは要りません。肩の力を抜いて、雲のように湧いては消える・・思いや妄想に執着しないで、独りポッチ禅をなさることです(熟睡時、手足はどうしたか覚えていないでしょう)

●気が付かれたかもしれませんが、昔から坐禅と書いて、座禅と書きません。独りどっしりと大地にスワルことを言います。

●この呼吸を数える数息観(すうそくかん)のかわりに、念仏を唱えたらだめか・・とか、昔の禅語録の公案坐禅時の問題)解決をしたらどうか・・とか、昔、中国でも日本でも、念仏禅はありましたが、フッと気が付けば30分あまり、ポッチ禅をしていた・・そんな境地にいたれば、次のステージでしょう。

(マア3年~5年、数息観でやってみることです)

参考の禅語録は「碧巌録」・・禅者の一語(はてなブログ)で意訳中。または「無門関」・・禅のパスポート(はてなブログ)で意訳中・・のいずれかを、おりおり覗いてください。

千年前の禅者たちの言動に、何か「ン?ン?ン・・?」と、心惹かれる疑問が出た時こそ・・あなたの中に素直な「ZEN」が発動したのです。

どうせすぐにエンストするでしょうが、たった3分間・・されど3分間・・弧独に、やれるときになさってみることです。

手助けできる指導書、道標はありません。

●自分を安心せしめるのは、自分しかないことを覚悟するのが禅です。

 

このブログを読まれた方・・知人のどなたかと意見交換なさってください!

北朝鮮 拉致問題のお尋ねについて・・馬翁の意見です!

酷(ひど)いですね・・政治、議員の利権、退廃ぶり、目に余ります。辞職、くびをすげ替えれば責任が取れると思い込んでいる破廉恥ぶりや、マスコミの浮かれた報道ぶり・・昔、某評論家が「テレビは1億総白痴化」だ・・と喝破していました。

●まず、私の質問です・・国内で、もし女の人を拉致した奴がいて、それを認めたのに、警察が何もしない・できない政治(家)の国だとしたら・・あなたは安心して暮らせるでしょうか?(この日本の現実です)

外国(それも国交のない国)で、拉致を認めたのに、引き渡しをしない国があれば、自衛隊が堂々と要求し、引き取りに行くことが、憲法に抵触することでしょうか?

紛争に交戦権を放棄する・・といっても、勝手に、平和で温かい家庭にいる者を、密かに拉致して、バレルまで知らん顔をしていた・・しかも、自分の兄弟、親類まで暗殺する独裁、将軍様の国です(彼は、事の是非をバランスよく比較できる正常人ではありません)

 

●日本の国民とその主権を守る憲法の文言に、拉致まで、引き渡しを要求して奪還することができない・・と、どこに書いてあるのでしょうか?

拉致者奪還の問題を憲法自衛権のせいにする・・総理を筆頭に、政府や政党、その国会議員最高裁NHK朝日新聞他・・の、蕎麦屋の釜の中(湯うバカリ)の・・正義と国民を守る義務を放擲した言動を、選挙や責任・賠償、NHK(民放化解体)など、厳しく見守っていく必要がありましょう。

●提案です。まず国連演説で、まっとうな決意をした総理大臣が、拉致事件の実態と経過、これからの救出奪還行動を呼びかけ、大方の国の協力、賛同を得ることです。

*賛同の国々を通じて、拉致情報を募り、情報提供者の国際的な保護、亡命。国を挙げて生活・安全を保障してあげること。*自衛隊に、空陸海・救出奪還部隊を編成して、独りでも多くの拉致者、その情報、救出協力者を回収する作戦訓練を行うこと。事情によっては、フランスの外人傭兵部隊のような、救出作戦に特化した部隊編成を募ってもいいのでないか。*これら情報の収集、部隊編成、世界あて発信、報道、予算の要は、拉致救出担当相が、その完遂まで継続、超党派で一任される・・

こうした国の覚悟と、世界に発信、行動する日本に、中国やロシアなど、反発するとしたら、もう、貿易の相手国にさえしない方がいいでしょう。

もし、相手が穏便に、拉致者帰還を可能にするなら、救出奪還部隊は、速やかに解体しましょう。

●日本という国が出来てから朝鮮戦争の頃まで・・2千年あまり・・当たり前に持っていた、国家意識、平和希求の覚悟と民意は、いつ、誰の手によって弱体化、消滅してしまったのか・・テレビやスマホのせいだけにする訳にいかないことです。

また、核問題でも、世界で初めに2発の核爆弾を被ばくした日本が、2発の核爆弾を発射する権利を正当に留保している・・のでないか・・と思っています。国際的な法律、裁判官の意見を聞きたいものです(となっても留保する権利のみの主張ですが・・)

●私には、主義や憲法や国家を論ずる意図も関心もありません。拉致を、やむを得ないとして(胸にバッジをつけて)放置する国政、体制、総理大臣に・・ウンザリしています。政治や議員・役人が、社会の表に立つのではなく、庶民がイキイキと生活する日本であってほしい・・と願います。

 

女性たちにお尋ねしたい・・拉致された国民を奪還しない、できない国家政治に、私たちの安全・安心=生命を預けられるのでしょうか・・

♪・・男と女の間には・・深くて暗い河がある 誰も渡れぬ河なれど エンヤコラ今夜も舟を出す ROW&ROW ROW&ROW ふりかえるな ROW―ROW・・♪(黒の舟歌/作詞 能吉利人/作曲 桜井 順)

かねてから、板前や寿司職人、料理人など、どうして男性が多いのだろうと思っていた。外国でも、シェフは、ほぼ100%が男性である。

職業に男女同権が叫ばれているが、料理ごとは、日本に限らず昔から男性主役。それに、世界の女性たちが、異議を唱えないのは不思議だ。私は、生理学者でもないし、板前でもないが、おそらく・・五感の内・・味覚だけが男性優位に働く・・うまいものに満腹でも、更に食欲がわく、特殊性(DNA)があるのでないかと思っている。

 

太古の昔・・狩りをして、獲物を見つけ、あるいは農耕の肉体労働をして家族を養い、戦争では、率先、出撃して「おせん泣かすな・・馬肥やせ」と電報文のような手紙を残して戦死する・・命短き男性に、天は、視覚聴覚臭覚触覚の、生活保守に欠かせない4感は女性に与えて・・獲物を見たらヨダレが出るよう・・味覚だけを男性優位に仕立てたのでないか・・と考えます。(現に、イノシシ狩りに同行する紀州犬は、1週間前から、暗い檻に閉じ込められてリンゴ1個をかじりながら獰猛心を醸成させるそうだ。そうでないと野生のイノシシを見たら、シッポを巻いて逃げ出すという)男は人も犬も馬も、イザともなれば戦いに死する哀れな存在なのである。

こうした本能に基づく男女格差に対して、すべてに平等の意識・意義を強調する現代社会は。どこかイビツな、家庭観、結婚観・・平等感、幸福感、平和感、グルメ(食欲)感など、教育やマスコミで醸成、喧伝されているようです。どこだったかの料理(職人)が言ってましたが、プロは自分の味覚しか信じない・・味は手(触覚)から始まる・・遠くの素材を看(ミ)・・新鮮な香りを聴き、清品な器に盛って、お箸で心配を味わう・・これが唯一、男に与えられた特権であろうと思うのです。

(心配=ココロクバリと読みます)

 

ですから、万一の戦争の長(大臣)に、女性を就任させた(7月27日辞任したそうですが・・)総理の大臣選びに問題があります。私たちは選挙において、人を殺す場合がある兵役実務に女性を担当させたり、国会議員で自分の秘書に馬鹿やろう・・と怒鳴り散らす女性議員を選んだり、二重結婚や愛人浮気でマスコミに騒がれる議員を、これから重任させることに私は反対です。

それに女性の・・痴女(漢?がいるそうです)や児童、老人虐待など行為は、病的心理として気がかりです。真剣に解決を図らねばなりません。

 

女性たちにお尋ねしたい・・まず・・拉致された国民を奪還しない、できない国家政治に、国民の安全・安心=生命を預けられるのでしょうか・・

(私は、黒の舟唄の3番が好きです)

♪・・あれから幾年 漕ぎつづけ 大波小波ゆれゆられ 極楽見えたこともある 地獄が見えたこともある ROW&ROW ROW&ROW ふりかえるな ROW―ROW・・♪

これからの話は、男として戦争についての「ふりかえり」の話です。

話は飛びますが、昔、大戦の時、特攻隊や何百万の陸海軍兵士は「天皇陛下 万歳」と叫びつつも、本音では故郷の母を思い子女のいく末を案じて徴兵(赤紙)され戦い死んでいきました。

そうした戦争の出来事を、私は、映画の助監督時代、兵士の軍役、訓練、生活を知るために、それこそ撮影所の諸先輩から、ゲートルの巻き方、毛布のたたみ方、股下(コシタ=モモヒキのこと)走行転把(ソウコウテンパ=ハンドルのこと)軍隊用語・行軍・軍歌まで教わりました。

南京の虐殺など・・当時の市内は、一般市民の中に八路軍ゲリラが混じり込んでおり、誰が敵(兵士)で、市民やら判明できない混乱にあり、事前に逃げ出した多数の庶民がいて、その人口は10万人以下だったそうです。それを数日で20万人も皆殺しにしたなど、よく言えるものだと思います。(広島の原爆、東京の爆撃、焼夷弾で10万人を超える焼死者が出ましたが、それが、どれだけの大惨事なのか類推できましょう)もし、虐殺が事実なら、終戦時、勝利国の一方的な東京裁判やら、官民引き上げの際に、大きな問題となって提起されたはずです。

まして韓国の慰安婦(性奴隷)問題も、同様です。

韓国の性奴隷20万人とは?? 皇軍として、死して捕虜の恥ずかしめを受けないと誓い、軍律厳しい中の兵士たち・・家族を想い、飢えて戦死していった祖父、縁者・・南洋や沖縄から化けて出てきますよ。

これをねつ造、誤報道した朝日新聞の責任は、謝罪したから許されるものではありません。性奴隷?の銅像が立ち続ける限り、世界に、その間違いを発信し続ける義務があります。

●また、北朝鮮拉致事件・・旧皇軍なら、武士道の名に恥じず、国民を守るために、ただちに救出の部隊を送り込んで、無軌道な将軍の仕打ちに立ち向ったことでしょう。

憲法は拉致されてまで、奪還の武力行使を放棄する・・とは書かれてはおりません。もし国の交戦権では、拉致奪還を認めないというのなら、国民(世界の協賛)有志の寄付を募り、フランスならぬ外人傭兵部隊を編成して、立ち向かうぐらいの覚悟を持ちたいものです。情けないことに、どこか甲斐性のない・・日本の政治、政党に成り果ててしまったようです。

国民を守れない政府、尖閣竹島など国土を守れない・・そんな政治や党やヘナヘナ総理はいりません。また、ロシアの4島返還=引き分け論は、プーチン柔道の【永久の現状維持】の意味ですから、決してだまされないように。

とにかく、ろくでもない出来事に、政治家や軍隊・警察・官僚が、社会の表に出てくる時、碌なことはありません。辞職すれば責任を取ったことになる・・こんな軽いスーダラ節の国政、利権政党や議員は、もう30年ぐらい前に出番が終わったと思ったのですが・・モウ・・ホントに、たくさんです。あなた方・・日本を代表する日本の顔ですか。

年寄りの愚痴が出てしまいました。

 

◆昔・・袖すりあうも多少の縁!●今・・袖すりあうは痴漢の証し?

東京豊島区人口:285,000人/1㎢ ???

 グリーンランド人口:0.03人/1㎢ !!!

禅の修行をイメージすると、寺の専門道場でズラリ一列に並んで、警策を受けながら坐禅する雲水さんとか・・まことに規則正しくテキパキと雑巾がけする頭に鉢巻手ぬぐいのお坊さんたちの修行風景を、TV報道や新聞で目にすることがある。

これは、主に禅寺の坊さんになるための、いわば三年、五年の、資格取得、跡継ぎ養成のための修行だ。しかも、昔からの強制的、集中力鍛錬法とも言うべき、組織化されたシステムにのっとる坐禅ですので、私は推奨しません。

現代の日本には、残念ながら、一般人のための求道修行・・独りして正師を求める行脚の仕組みは無い・・のが現実です。

昔・・心ある禅の修行者は、仲間が寝静まった真夜中、夏は、やぶ蚊の飛んでくる・・冬は粉雪が舞い散る本堂の廊下などで、白い息を吐きながら、明け方まで、独り・・ヒッソリと坐禅(夜坐・やざ)しました。

こうした「独り」坐禅は、釈尊菩提樹下にせよ、面壁の達磨にせよ・・白隠や一休・良寛にせよ、真の禅者たちは必ず行なってきたことです。(今・・僧堂の修行=団体生活では、独立自主・・独り生まれ、独り生き、独り死す・・こころの奥底から「禅=坐禅が呼んでいる」・・ような、そんな生きることの根底を揺さぶる坐禅は失われました)禅は・・本来、役立たずの「独り」ポッチであり、坐禅は、わずか三分程度の心の集中・・その積み重ねにすぎません。まして、宗教でもないし、独りでも、集団(二人以上)で為したからといっても、功あるものではありません。

お寺で、早朝、一列になって、整然と廊下を雑巾がけする求道僧をみるとスガスガシイ気分である・・と言われることでしょう。

しかし、私には、歩調をそろえて、閲兵式に臨む北朝鮮の兵隊さんや、将軍様の前で、マス・ゲームする華やかな女子舞踊・・これだって、決して乱れてはおりませんので、禅でも軍隊でも刑務所でも違いがない風景であると思います。

それでは、いったい・・軍隊と禅堂生活との違いは何だろうか。

律(軍律、百丈清規など叢林・組織)にある限り、形式こそ違え、中身は、全体の行動に統一性を与え、自主性のない点で同じです。百丈懐海(ひゃくじょうえかい 720~814)は、組織化の悪弊に気づきながら、この点を覚悟して「一日為さざれば、一日食らわず」と、作務(仕事)の重要性を重視して禅林清規を制定したのです。

それは碧巌録二十六則「獨坐大雄峰」の公案・・禅は、独り自知・行ずるべし・・講話・意訳に詳細を記載する予定です。

●独りの時は、客と応対するように・・

客と接する時は、独りいる時のように・・振舞えますか?

私が「独りポッチ禅」で言いたいのは・・釈宗演の座右銘にある・・「独り居る時は、客と接する如く・・」「客と接する時は、独り居る如くせよ・・」の禅による生活・・その境地でありたい・・「独り」です。

現代人の「独りの時はワガママに」「対面の時はマニュアル通りに」装うジギルとハイドの2面的人格と行動は、どうも容認できません。

まして、公園のラジオ体操の音楽や保育園がうるさいとか、病院の隣のイビキがうるさいとか・・仏教用語でいう「我慢」できない=自分が慢ずる・・うぬぼれる人が多くなったことに、イササカうんざりしています。

*先日、ある大手病院の「病室での騒音について」意見(アンケート)に答えました。

隣のベッドのイビキやトイレの排水音にクレームをつける患者は・・個室に入るか、自宅で訪問介護を受けるべし・・死にかけの患者には、空襲・爆撃音でも、うるさいと云う人は少ない。むしろ、回復、退院の目安のついた人が文句をいう傾向がつよい・・と意見しておきました。

それと、一般論ですが、男性より女性の方が、感(受)性=五感本能=感情(執着)に長けているせいか、独り・・黙々と山登りや釣り、坐禅をする人は少ない。女、三界に家無しと言われる由縁(所以)も、これに起因するのでしょう・・それにつけても・・デジタル社会を「自己の利権的社会」と置き換えてもイイぐらい、ひどい厭嫌(えんけん)の社会現象です。平和と幸福の自己利権を振りかざせるのは、非常時の社会ではないからですが、平和にせよ幸福にせよ、お互い様のバランスというものがあります。マスコミで話題の政治や官僚、役人、芸能のスキャンダル・・には、上記、座右銘に続く、次の格言が役立つでしょうか・・?

【寝につく時は、棺を蓋うが如く、事に当たっては再思せよ】・・寝る時は、棺桶にフタをするように覚悟して寝なさい。また、何か行事には【あると思うな親と金。ないと思うな運と災難】と何度も思いめぐらせて行動しなさい・・の意です。

有(会)難うございました。(出会いがたいを・・あり得難いに重ねました)

また再会まで(中国語ではツアイチェン=サヨナラの意)

千年以上前から、禅は宗教ではない・・と言われてきた、禅者たちの教えが、デジタル時代になって、ようやく世界に開花しようとしています。折あれば、はてなブログ「禅者の1語」=碧巌録講話・意訳/「禅のパスポート」=無門関講話・意訳を検索してご覧ください。

 

【禅・・その忌み嫌うこと・・】とは・・

禅・羅漢と真珠   

「独りポッチ禅」に不要なできごと・・

  • 「瞑想」と称する妄想。主義・思惑・忖度(そんたく)。
  • 宗教・哲学的会話。論理的批評、常識的概念。
  • 組織・団体・何でも教導に頼ること。
  • 2元または1元論者と功利的生活行動。
  • 傍観者・スマホ(TV、バーチャル)依存症。
  • 素直でないこと。好き嫌いすること。
  • 独り(寂寥)を感じないこと。
  • 好奇心のない、無関心を装うこと。

 

あと、個人的なことですが、自筆の手紙が書けない・・とか、本や新聞(活字)を読まない・・とか、自分で考えるより、教わること(マニュアル)ですべてをすます・・とか、ご飯を食べたら、すぐに茶碗を洗えない・・掃除・洗濯・買い物を自分の手で出来ない大学出の男女・・そうゆう子供を育てた親の無責任さ・・にも、あまり近づきたくありません。

◆ひどいのは、「幸福とは何ですか?幸せを希求したいのです」など、ひとり一人の大事な生命の輝きまで、画一的な集団=社会の中で、評価・検証してメデアもろとも大騒ぎすることです。

 

◆「感性」「感情」は、もともと・・生物の「本能」でしょう。人間になって、初めて、祈りになり、愛や慈悲になり、宗教や音楽や絵画など芸術に昇華した心の作用です。

三日、飲まず食わずの人に、愛を語り、慈悲を語りしても幸せには思いません。「理性」「論理」とて同じこと・・

哲学や物理もまた、甘いものがなければ、バランスよく機能機作しないのが「頭脳」でしょう。

 

もし自分で米を作り、手前みそを醸造し、自作自炊する事ができなければ、せめて社会的動物として、他への奉仕、貢献(禅では作務、普請といいます)をもって、自認+他認する人であって欲しいと願っています。よく言うのですが、見る・・を「看る」人でなければ、蕎麦屋の釜の中・・だと断じています(湯うバカリでダメ)。

禅語「看 脚下」自分の振る舞いが看えているか?」目のご不自由な人が、手の触覚で物を感じられるような・・看です。

 

この禅にまつわる一連の奉魯愚(ブログ)が

「かくれんぼ・・ご飯ですよ!の声かかり・・」

ハッ!と、夢中から覚めて、夕餉の母親のもとに帰るような・・禅機となってくれることを期して書いています。

附言【3分間・独り・ポッチ禅】の将来・・

宇宙時代、木星土星か、宇宙船で旅する宇宙飛行士が、無重力の船内で・・独りポッチ禅をしている・・人間が仮決めした、空間時間の制約を放下して(捨て果てて)上下左右、東西南北、1日24時間、一切のオモネリに関わりなく「天上天下・唯我独尊」・・独りポッチ禅をなしている・・

それが夢であり、この現実社会でも、そのようになればよいと思います。          

                    有(会)難うございました。

千年以上前から「禅は宗教ではない」・・と言われてきた、禅者たちの教えが、現代、デジタル時代になって、ようやく世界に開花しようとしています。折あれば、はてなブログ「禅者の1語」=碧巌録講話・意訳/「禅のパスポート」=無門関講話・意訳を検索してご覧ください。