元服の書⑰ 食事と会話の切れ目が【縁の切れ目】・・

元服の書⑰ 無門関「女人出定」の文殊菩薩・・あんなテイタラクで、よくまあ七佛の師と言えますね?

 

Q:禅者の世間の対応・・

  縁の切れ目は「食事と会話」だけですか?

昔(11歳~15歳頃)の成人式にちなみ、中学・高校生の問いに答えて書いています

 

誰が言ったのか・・金の切れ目が縁の切れ目。至言です。

でも、私は・・お金より「食事と会話」の切れ目が縁の切れ目!であると思います。

夫婦にせよ、子育てにせよ、養老にせよ、一緒に食べる食事(例え貧しくとも手作りの)が無くなると、会話することがなくなり、心配(こころくばり)がなくなり、掃除や洗濯が杜撰(ずさん)になります。

酷(ヒド)く、セレブな場合、お金だけが強力なボンド役です。

でも家で作る食べる食事が無くなれば、離散傾向が高まります。

最近は、台所で包丁、まな板がない家庭があるそうです。近い将来、ドローンや無人配送車が届けに来て、自動的にBOXに入れられ、あとは、各自がバラバラでチンしての食事。水仕事や掃除、会話もない・・通知や請求はスマホ決済で・・財布やATM不要の家庭、社会になるでしょう。

通学、通勤・・それこそ何のために生きている社会でしょうか。

自分の家庭を振り返って・・家族とは何か・・どんなキヅナで結ばれているのか・・晩御飯や、あわただしい朝ゴハンだけの会話や団欒(だんらん)を思い返してみてください。

こうした暮らしの風潮を、NHKやマスコミ、政治・経済界は、平凡ながらも問題が少ない社会・・悪くはないから、いいではないか・・と放任、評価したふりをします。

何のことはない日本の「AI」社会は、人間としての「感動」や、孤独・・寂寥を知らぬ・・裸の王様社会だから、老人の自殺が年間3万人もいる事実に知らぬ顔です・・

勝手に皿の寿司を触っている回転ずしの子供連れのお母さんよ。

スマホを見ているバカリじゃダメだよ。子供に留意しなさい。

日本人なら、せめて家庭で1日1回、貧しく面倒でも母親の手作りの食事の味と会話を知っている子育てをしてください。

無表情のスマホの幽霊ビトよ・・目を覚ませ・・と言いたい。

 

現代の「生きている禅者」とは、どんな人でしょうか?

私の評価基準は、生活が利己的(利権目当て)でないこと。世の中の世話、人情、処世術は ことごとく「痘痕アバタも笑窪エクボ」の出来事だから・・マアマアと角を立てずに、自他共に喜べる行為で対応できる人。

イグノーベル賞 受賞者たち・・日本人12年間 連続受賞者

その他・・道に迷った幼児を見つけたボランテアのオジィサン

この禅・奉魯愚(ブログ)を看ておられる方がた宛てに「役立たない独りポッチ禅」と銘打って書いています。

いずれ「役立つ」とか「役立たない」とかの相対的効能書きは抹消する予定です。

有(会)難うございました。 

 

元服の書⑯ 坐禅は独りで、身心ともコンデションを整え、ゆったりと三分間なさってください

元服の書⑯ 

禅は「目黒のサンマ」ならぬ「役立たずの坐禅」に限ります

昔(11歳~15歳頃)の成人式にちなみ、中学・高校生の問いに答えて書いています

坐禅は瓦を磨いて鏡(禅者)にする方法(手段)ではない

坐禅している最中に「悟れる」?・・誤解です!

 

禅は「悟り/大覚、見性」を、第一の出発点にしています。

しかし、悟りが目的ではありません。悟りは、安心を得たい、迷った人の為の方便(方法)ですから、迷いがなくなれば「禅・坐禅」の講釈は不要になります。

自分の心が不安になり、イロイロな想いや、損得・好嫌(妄想という)に、どうすればよいのか・・解からなくなった時こそ、つまり、自分を見失った状態こそ・・そこに【見失なったと思った本来の自己】がチャントあることに気づく・・のが・・悟り・禅なのです。

何か、別の世界に、安心の境地があり、そこにたどり着く「安楽」の方法が坐禅である・・と思うこと。

それが大誤解なのです。

「役立たずの坐禅」とは、「何かの役立つ禅・坐禅」の反対側にあると思ってはなりません。役立たず・・とは、徹頭徹尾、何の「ゴリヤク」・・見返りがない・・損得、好嫌を忘れ果てた先の行い=ただ・・坐禅する・・行いにすぎません。

 

例えば、座禅して佛(悟り)になろうと修行する馬祖道一(ばそどういつ709~788)に、瓦を磨いて鏡にしようとする行いだ・・と、根本からの間違いを指摘した師・南岳懐譲(なんがくえじょう 677~744)の・・磨塼(ません)問答を紹介しておきます。

南岳懐譲の元に、求道者(沙門・後の馬祖)道一がやってきて、坐禅修行をはじめる。師は、道一の坐禅姿にうたれて質問する(伝灯録)

「お前さん・・坐禅して、どうしたいのか」

道一「覚者・・悟りの人に成ろうと思います」

師は、その傍らで、瓦を手にして石でゴシゴシとこすりはじめた。

道一「師よ、どうされたのですか」

師「瓦で鏡をつくりたいのだ」

道一「瓦が鏡にはなりませんよ」

師「では、坐禅して、どうして覚者になれるんだね」

道一「・・それでは、どうすればよいのでしょうか」

南岳懐譲「お前さん、心を落ち着けるために坐禅してるのなら、石仏にならないことだ。坐った仏像の真似なら、立像の真似もやらねばなるまい」

道一「どうすれば、真の禅定に入れるのでしょうか」

師「禅は、総てのタネを内包して、雨が降るのを待つ。やがて地が潤うと、芽が出(禅定の心)形なき花が咲く。完成とか破壊とかそんなものはない」

道一は、その禅機に触れて覚心した。

㊟この馬祖道一の禅のタネが全中国にの深山に展開して、現在の禅の大樹を形成しました。

とりわけ、中国から日本に渡来した禅は、寺僧による揺籃、教導しかない・・宗教集団、修行、師弟の鞭撻といった体系の中に伝統されてきました。それが、良くも悪くも、禅本来の・・それぞれ、独り一人の悟り体験をゆがめて、寺僧の集団修行の場、僧堂修行の温室栽培のような保護教育でなければ、悟りの資格、印可証明が出ない仕組みになって現代に至っています。したがって、さまざまな禅や坐禅の効用、効果がいわれ、修行の重要性と師弟継承(印可)の神秘的、密室的な方法論が取り沙汰されてきたのです。

しかし、語録に看る「悟り」体験は、僧堂、師家の鞭撻によるものではなく、自由闊達に、ヒョンなTPOで、突然、自分が自分一人で自覚される体験です。

釈尊は、1日胡麻を少々食べて苦行(坐禅)され、身体も心も衰弱されて河の畔に倒れていた時、スジャータという女性にミルクがゆをもらって蘇生されました。その後、釈尊は、深く人の生死を見極めるには、体調を整え、ゆったりとした心をもって坐禅することが大事だと・・独り、菩提樹下の坐禅をされて(・・のち)フト・・明けの明星をご覧になった瞬間、総てのモノが覚醒(仏性)を持っている・・天地同根のことを天地イッパイに溶け込んで・・直観されたのです。

これは、言葉や文字で表現できることではありませんし、教えたり学んだりして出来ることではありません。独り、ヒトリの「自分の自覚」によるのです。教育や社会文化は大地(環境)にすぎません。その禅・・種は、アナタ自身・・だけなのです。

 

例えば、世界に禅を紹介された禅者であり、仏教学者の鈴木大拙博士は、「臂(ヒジ)が、一方にしか曲がらないことに気づいて、悟りをえた」・・と、何かの書物で読みました。

外国の求道者たちが、どうしたら「ZEN」・・禅による生活に入れるのか?」と尋ねたら、テーブルを「コッン・コツン」とノックされて「ここから・・どうぞ」と云われたそうです。

 禅(坐禅)は宗教ではない・・とする純禅の教えは、達磨以来、そこかしこの禅語録(祖堂集・伝灯録・信心銘・参同契他)に記載されています。坐禅したから、悟りが手に入る・・そんな思いこそ大誤解であると、求道者に警告する禅者たち・・禅語録は、このことでイッパイです。

野狐禅で有名な「百丈野狐」の公案(無門関第二則)は、その禅の見識について、のっぴきならない覚悟=「独りポッチ=禅による生活」を物語る公案です。

馬祖、百丈の代に至って、達磨の面壁禅(純禅)と、行脚する義学者(口頭禅)の真贋が問われたことがよくわかります

*雲門(・・~949雲門宗開祖)の塵塵三昧(碧巌録第五十則)に登場する義学の僧は、華厳経から抽出した一文を担ぎ出して、アチコチの禅庵で寄宿、放浪していたとみえる。求道ギリギリ、発火寸前の心境の者に対しては、雲門の一語は鋭く突き放す・・「クソカキベラ」・・トイレ紙(無門関第二十一則 雲門乾屎)の答えが秀逸です。頭脳(思考)は、大変、利己的で、クソ(分泌物)の如く悪臭に満ちています。放下(思いに執着しない)ギリギリの絶句の一語です。

ところが、哲学、経典を擔ぐ、教育修行の、この頭デッカチの義学者には、グウの音もでない「飯茶碗」の一語で叩きのめします。

反対に、当時、文盲に近い、正直な求道者には、かえって「飯茶碗には白い飯」が、直截に・・素直に・・納得・透過(見性)されたようだ。

日本の妙好人たち・・讃岐の庄松さんだったか・・仏様はゴハン(茶碗)にあるぞ・・と言われたら、キット嬉しそうに茶碗をもって踊りだすことだろう。

スマホの幽霊ビトとなった現代人は、庄松に比べても、ヒドク劣化した民族になったと思います。

禅は「目黒のサンマ」ならぬ「役立たずの独りポッチ坐禅」に限ります。

 

元服の書⑮ あにハカランや百合1片・・

元服の書⑮ 仏陀は禅をどのように説かれましたか?

昔(11歳~15歳頃)の成人式にちなみ、中学・高校生の問いに答えて書いています

 菩提樹下、暁の明星を看て、禅・大覚(悟り)を開かれた仏陀(釈尊)は、その教え(仏教)の多くを例え話で説教されました。

ただし、言葉でもない、文字にも書けない・・「世尊拈花 せそん ねんげ」に代表される「禅」については、中国に伝わる碧巌録や無門関などの禅語録に、わずかに記載されているだけです。

釈尊は、あちこち行脚しながら、縁起による「諸行無常会者定離」の理(コトワリ)を、庶民にわかりやすく説かれた・・だけ・・なのです。

それが後の時代になって、仏陀の教えとして、仏教になりました。我れ かくのごとく これを聞きたり・・如是我聞(にょぜがもん)で始まる、壮大なお経は、その仏陀の例え話です。

長い説法の旅の間、釈尊は、独り一人が持っている「禅=煩悩即菩提」・・そのことを 身をもって示されただけで、教導することはなさいませんでした。

無門関 第6則 世尊拈花の公案は、ある説法の場で、花を一輪、クルクルと回して見せた出来事を、独り迦葉(かしょう)尊者のみ、その意味を大覚して微笑された・・逸話です。

釈尊は「正法眼蔵、涅槃妙心・・あるべきようにの禅の境地そのまま」を、迦葉に預ける・頼むぞ・・とイワレタのです。

「禅」は、インドの菩提達磨(ぼだいだるま)が、独り、海路、中国 広東にわたり梁の武帝と面談(520年?)。のち、嵩山少林寺で面壁坐禅して、わずかの弟子のひとり、慧可(エカ)に付嘱(ふしょく/頼むの意)されました。

 赤道直下、涼しい樹下、哲学(瞑想)を尊ぶ暑いインドの地から、寒暑春秋の地、実用実際を重視する中国に根付いた「禅」は、圧政、戦乱、宗教集団の利権から逃れ、新たに日本に移った「純禅」の求道者たちの手で育ちました。

 例えば原の白隠さん・・毒語注心経(大森曹玄著 春秋社版)・・意訳文

【経】如是我聞一時佛在・・コレガ オ経ト イウモノカ

 咄、誰か舒巻(じょけん)す・・馬鹿メ 誰ガコノ経 巻キ閉ジスルゾ 

 黄巻赤軸(こうかんしゃくじく)を求む・・反古ヤ紙屑 オ経トオモウ

 また百合一片(いっぺん)・・アニ計ランヤ 百合一ペン

 

     白隠は紙に記載された経文を有難がる者を叱りつける。

     いったい、生きた経を誰が開いたり閉じたりしているのか・・?

     ユリの根の・・実(じつ・み)を看よ。実は中にあるか・・?

     その切れ端の一片イッペンが、ことごとく花の実ではないのか・・と。

 

私は・・この「ユリの花」にチナンデ、聖書、マタイによる福音書6章「ソロモンの栄華もユリの花に如かず」の言葉が・・

(自己解釈ですが)釈尊の拈花微笑=般若心経の経意(こころ)と同義に想えてならないのです。

歴史書を読み漁ることをしなかった私は、浅学で、達磨以来の「純禅・独りポッチ禅」が、日本で・・大愚良寛一休宗純盤珪永琢、仙厓義梵、正受老人、白隠慧鶴、鈴木正三、素玄居士(順不同)など、十指程度の、先達の禅者によって大樹となったと知るにすぎません。他、仏教学者(禅者)鈴木大拙。松が丘文庫の古田紹欽先生、柳田聖山氏。あるいは、惜しくも神戸で爆撃の戦火でなくなられた井上秀天氏・・いや、まだ他にも野風行雲の禅境(地)に住した禅者が沢山いたと確信しています。

 また、無門関提唱 素玄居士が(意訳中)禅は仏教・・宗教ではない・・とする意見を克明に述べたのが、この第六則でした。

詳しい意訳は「禅のパスポート」を見てください(後日、追加補足をします)

まとめます。

釈尊以来・・達道の禅者は、すべて役立たずの「独りポッチ坐禅」で、独り一人に備わっている「禅」を発見発明しています。

「禅」の・・効能効果の在るものは、所詮、この世のご利益(リヤク)ごとにすぎず、自己本来の面目ではありません。

どうぞ、仏陀や経文、学問・教導に縛られず、もっと気楽に、何時でも誰でも自分独りで出来る「坐禅」をなさるように・・

 

◆女の人で悟った人はいますか?

元服の書⑭ 女の人で、悟りを開いた方はいますか?

昔(11歳~15歳頃)の成人式にちなみ、中学・高校生の問いに答えて書いています

A:います!数少ない・・それだけに女性の見性・大悟の徹底ぶりは、達道の禅者を寄せ付けないほどの実力者となります。

 

坐禅や瞑想は、女性の方には、大変、関心度が高く、茶華道など趣味を通じてや、観光(京都・鎌倉)で禅寺を探訪されたり、お仲間と写経や精進料理の食べ歩きなど、よく研究し、知っておられるのに驚きます。

ただし、大方こう言っては失礼ですが、坐禅に深みがありません。(役立たずには、関心がうすく、考慮は苦手ですね) 

以下・・この奉魯愚の、極めて、独善的と思える答えの仕方ですが、お許しください。

まず、女性の一般的なことですが、ZEN・瞑想に関心はあっても、この奉魯愚は「役立たずの独りポッチ坐禅」を推奨します・・と言うと、それでもうTHE END!です。

「ゴリヤクなし」と聞くと、もう訳もなくNG・・OUTです。

キット何か自分に役立つ、得になる情報を、お仲間とやり取りしないと【面白くも楽しくもない】のでしょう。

女性の場合・・関心が持てるのは、面白いか・・または自分に役立つか・・この2つに一つです。ですから、古今(釈尊の時代から)役立たずの坐禅でしか、悟り(大覚・見性)に至らないため女性の禅者は、禅語録でも数名の伝記が残っているだけです。

 

昔、女性は三界(過去/現在/未来)に家無し(安定・定住の處なし)・・と言われました。

執着心が強く、強欲な鬼婆が多くおりました。でも実際は、心情が優しくとも、暮らしが苦しければ苦しいほど、女性につらく当たる社会です。

現代でも、制度や風習から、筋力と立場の弱い女性は、人間として優位な五感の内の4感(視覚、聴覚、触覚、嗅覚)をフルに働かせて(権力と名誉欲、暴力に勝る男性に、柔よく剛を制すように)賢く、ふるまっています。・・が、世界中の女性はキット我慢の限界にきていることでしょう。

 

*我慢は仏教用語です。自分が慢(マン)ずる・・うぬぼれたり、わがままになったり、他の人を思いやれない状況です。意外と、人のうわさ好きな、女性の(感受性が豊かな)方に、嫉妬心や、やっかみが多いのです。

*武術の「武」の字は「戈(ホコ=ヤリ)を止める」・・と書きます。

剛柔流という沖縄の空手がありますが、昔、サトウキビの独占を図った薩摩に植民地化され、武器をもてない農民(男女)が、身を守る武術として伝えられたのが空手でした。

*女性が優れているとする4感(視/聴/触/嗅覚)は、その情報が記憶力に結びついて、生活に応用できる能力をいいます。

例えば英会話、通訳。音楽。伝統文化の伝承。緻密な仕事の持続、継続力。育児、看護力など。男が敵わないと思う・・浮気の発見は、4感の情報集約に第六感のピンとくる直観が働く作用でしょう。感受性が豊かですが、感情的でもあります。

*男の優位な感覚は、2万年前からの、獲物狩りと戦争(力)のみ。

つまり、命がけで獲物をしとめる代わりに、そのステーキのおいしさを判別できる舌の先・・味覚だけ。このことは、世界のシェフ・コック、板前、料理人の99%が、男性であることが証明しています。

確かに、女性が薦めるうまいお店は、男の私が「おいしい」と感動した例はホトンドありません。(舌の先=味蕾の数が違うのでないかと思います)

また、魯山人など、食器にまでのめり込む食通は男だけ。

五つ星を探り歩く人たちは・・やはり客ふりの男性のようです。

  • 神に祈れば「天国」に・・佛に祈れば「極楽」に救われる宗教とちがい、禅は「自分とは何だ」・・と、ただ限りなく自心を追求する坐禅と、その禅による生活(行い)・・Living by ZEN 鈴木大拙 著・・です。

面白くも、何か役立つような出来事でもありません。

そのうえ、厄介なことに、在る・無しや善悪、愛憎、損得、好嫌、生死、分別、執着、比較、欣求宗教、論理、哲学、文字や言葉・・つまり頭脳的、論理的に考察したり、好き嫌いやコダワリ(分別・造作)をしないこと・・つまりは「役立たず」に成りきって、河原に転がっている「タクワン石」になって坐禅する・・だけ。宮沢賢治の雨にも負けずに・・「皆に木偶(でく)の棒と呼ばれ・・」に成りきれないのですね。

また、歌人与謝野晶子の短歌「やは肌のあつき血汐にふれも見で さびしからずや道を説く君」と、女性から憐れに見えるのが、男の生きざまです。♬お手々つないで~🎶・・よりも、独り歩きしたい・・男の生きざま・・トドノツマリは、独りポッチ坐禅なのです。・・とは言え・・

 

優れた女性の禅者は、確かに存在します。

例えば・・中国 劉鐵磨(リュウテツマ)・・鉄製の磨臼(ヒキウスのような物腰の)劉婆さんのこと・・潙山霊祐(771~853)の禅院の山麓に庵住した女性禅者。碧巌録に登場。傳不明・・これらの方々の逸話は、またの機会にご紹介します。

現実生活を男以上に、ありのままに洞察でき、子供を産み、育て、家族ともども感性豊かに、人間として生きる女性は、逆に、社会の協調性や慈愛心から、たったの3分間でも、独りポッチ坐禅に集中できない傾向にあります。

情愛(本能的感性)に富めば富むだけ、生存、存続の意識が働きますから。無心から遠くなるのです。

ですから、起床、就寝前や通学、通勤時など、数息(1呼吸10秒程度)18回・・だだ・・息を数える行禅をなされるようお奨めします。その効果・効能は、くれぐれも期待しないでください。

ただし・・もし女性が見性・大悟した場合の徹底ぶりは、達道の禅者を寄せ付けないほどの、気高い見識を持つ禅者となります。

有(会)難うございました。   

 

備考・・後日紹介する資料

  • 徳山宣鑑が龍潭崇信を尋ねる澧州路を行脚中、茶店(餅屋)の婆さんとの點心問答。
  • 劉鐵磨(リュウテツマ)潙山霊祐の禅院、山麓に庵住した女性禅者。

*日本の史下に記録される女性禅者・・禅文化1982JAN・103 町田瑞峰「白隠門下の女性禅者の消息」

白隠門下 おさつ婆さん(1727年 白隠47才・庄司お察16才 頓悟・結婚・孫)

②杉山政女(富士市 1730年代 白隠46才記 坐禅苦心談)

③惠昌禅尼(白隠年譜 白隠64才記中 1748年記載 禅行記事)など・・

 

年に1回、たった1日の1440分の1だけ黙祷できた人・・手を挙げて!

元服の書⑬ 

8/15⇒1日のタッタ1440分の1だけ・・生かされてある社会に黙祷・感謝できた人・・を挙げて!

昔(11歳~15歳頃)の成人式にちなみ、中学・高校生の問いに答えて書いています

 

あり得がたい出来事を「有り難う」という・・

現代において「ZEN」に出会うことは、あり得難い低い確率です。確かに、本やPCで「禅」を検索、調べれば、イヤというほど案内は出てくるし、禅寺や茶華道、柔剣道、弓道など関連した項目は出てくる・・ケレドモ・・それではソノ内、坐禅の経験の有無はどうだろうか。

紅葉や桜の名所は・・とか、精進料理や、湯豆腐の、閑静なところは何処ですか・・とか「3分間独りポッチのイス禅」を提唱している私に問いかけてくる人がいた。

「役立たずの坐禅」をやれる人に教えましょう・・と言うたびに、こうしたガイド役はなくなってきたが、とにかく、子育ての母親がなっちゃいない。ここから字を小さくして、私の一般論です。

まず生涯の趣味がない・・新聞を読まない。料理と云えば食べに行くだけ・・夏休みの子供ずれに回転寿司は大流行である。

モチロン男の場合も同様で、TPOをわきまえないで女を追いかけまわすのも情けない。

便利になったスマホ(デジタル)社会・・ここ50年ぐらいの転換期の、ドサクサ時代の現象でしょうが、誠実な人付き合いをする方たちは、都会から脱出して田舎暮らしをされたがよかろう・・(と思えるような)時代です。

 

8月15日、天皇と共に、戦没者慰霊の黙祷の時間・・タッタ1分間。目を閉じて祈念できた人が・・この日本に・・何人いたことだろう?

タッタの1分間・・365日の内で、この日=1日の内の1440分の1の間・・自分が生まれた、この奇跡の出来事・・あり得がたい社会の人々のオカゲで、米粒一つ作れない自分が、生かされてある不思議に、感謝する黙祷、瞑想、坐禅・・何でもいい・・心から誰かに「有り難う」と言えた者が、どれほどいただろうか?

また、「禅」との出会い・・その出逢いがたき事のご縁をさぐって、有難うの言葉にWらせ、会い難きことを・・この奉魯愚の終りに「有(会)難うございました」と書いているが・・。

有(会)難うございました。PCで「あいがとう」と打つと、どことなく忠告めいたヒトコト・・「愛が問う?」と出てきます。

PS・・今回、何が言いたかったと言えば、難しく禅と文化、哲学、宗教を結び付け、ことさらに有難みを訴求することはやめて、今は、タッタの三分間程度の「坐禅」を、生活習慣に取り入れることを推奨したい。

一日1440分の3の時間を、何事にも役立たない、貢献しない、ご利益もない「坐禅」に費やしてほしいと思います。1分の黙想も出来ない人に、3分の坐禅が出来るのか・・と言われれば、ソレまでです。が・・感謝や冥福を祈ることが出来ない人でも、役立たずのままに坐禅はできましょう。 

 

禅・羅漢と真珠 ◆元服の書 ⑫ コピペ根性は捨てましょう!

元服の書⑫ 

 禅は、どこで学ぶか・・教えてください

昔(11歳~15歳頃)の成人式にちなみ、中学・高校生の問いに答えて書いています

 

世界中から「ZEN」を知りたくて、日本へやって来ます。私も坐禅を学びたいのですが・・どうすればよいか教えてください。

 

唐突にお答えします。

「禅」は、いくら、学習したり、修行したりしても習得できるものではありません。よく言われる「悟り=見性・透化・大覚」などの体験の仕様(TPO)は、すべて・・役立たずの坐禅や考えも及ばない公案粘弄(コウアン ネンロウ・・碧巌録、無門関などの禅語録の考察)と、日頃の生活態度、正直な仕事の年月など、ひとり独りで違うのです。

禅語録には、沢山の禅者が、偈・頌(ゲ・ジュ 悟りの漢詩、心境)を歌っていますが、同一の禅機(悟り)・同一の禅境(地)がありません。例えば、暁の明星を看て(これは釈尊)とか、大喝一声、耳が聞こえなくなってとか・・梅の香りをかいで・・お墓を掃除している時とか・・箒(ホウキ)で叩かれて・・とか、突き倒されてとか、風呂で体を洗っている時(これは私の場合)など、ひとり独り、突然、閃(ひらめ)いて体覚=直観するのだ・・と言えましょう。

ただ、ハッキリしているのは、禅寺などでの集団の坐禅会や瞑想会、写経や精進料理の観光気分では、純禅に程遠い出来事です。

大事なのは、独りであること。折々に、3分程度、生活の中で「坐(行)禅」をすることと、「公案」を読んだりして・・フト心のどこかから湧いてくる「?」・・疼きを意識することがベースになっています。

ですから、ガムシャラに、著名な寺僧(師家)の教導を受けても、あるいは相見師事して、僧堂接心で両足が死ぬほど(これは外人さんの表現です)難行苦行を続けても、大悟徹底はまず無理でしょう。禅寺の跡継ぎ予定の若者たちが3年ほど温室栽培のイチゴ(一悟)顔で飼育されても所詮、養殖もの。そんな資格を取りたくて坐禅する・・心の悩みや不安を解消したくて坐禅する・・為に、その仕方を教えてほしい・・学びたい・・では、見込み無しと、冷たく断言するより方法がありません。甘えてはいけません。アナタの心の奥底から湧いてくる悩みこそ・・その気にかかる心の疼きこそ・・アナタだけが解決できる・・アナタだけが対応できる・・大事な大転換の素(もと)なのです。櫱(ひこばえ)の大樹となる山河大地であると心得てください。

どうぞ、友人との語らいやスマホやパチンコなどで気を紛らわせないでください。それらしい先生や本(知識)や、誰かが楽し気にやっていることに魅かれてはなりません。何か誰かから教導を受けられるのでないか・・と思うこと・・それが一番の甘えなのです。コピペ根性は捨てましょう。

世界(欧米)に「ZEN」を紹介した禅者/仏教学者の故、鈴木大拙先生は、禅を知りたいという人に対しては、直ちに、その場のテーブルを叩いて(ノックして)「ここから入りなさい」と言われたそうです。

 

欧米の方は、英文で書かれた「Living by ZEN・禅による生活」を読まれるよう推奨します。日本の貴方には(あなたのお年を知りませんが)何の役にも立たない3分間独りポッチ禅をお奨めします。そのおりおりの坐禅に、矛盾した問答の答えようもない・・碧巌録と無門関の意訳の1則を眺めてください。禅語録のモトモトが、すべて矛盾した問いと答えですから、ナントカ論理(哲学)的な解を得ようとしてはなりません。味気ない飴玉をしゃぶるように、禅の問答を眺めてください。トイレや仕事前、寝る前など、ホンの3分間の役立たずの坐(行)禅です。

何の取柄や、効果もない、独りポッチの坐禅こそ純禅です。以前、質問で、両手は印を結ぶべきか、両膝におくべきか・・どうすればよいのか・・とお訊ねがありました。答えは・・寝ている時両腕、両手どうしていますか・・お好きにどうぞ。無理せず、気楽に・・どうせ、ご利益(ゴリヤク)のない、ただ坐りです。

(注)坐禅のザは座ではなく「坐」⇒土の上に、人がバラバラに・・独り、ヒトリ居る状況を言います。

電磁的情報社会であればこそ「独り」であることを自覚しなければ、祈りや生活がフワフワして夢のまた夢、実地立脚しません。

 

 

何が一番、素晴らしいこと?と、問われれば・・

大学以来の友人や知人から、独りよがりの禅語の意訳だ・・との指摘があり、反省して・・酷暑見舞いのハガキの禅語・・解訳いたします。

碧巌録 第二十六則 百丈 独坐大雄峰(ヒャクジョウ ドクザ ダイユウホウ)

      問う・・如何なるか 是れ奇特のこと。 

      丈云く「独り 大雄峰に坐す」

モウレツ熱暑のその時は、独りポッチのイス坐禅、3分間だけお勧めします。

不二(富士)山も、昔 訊ねたキリマンジャロも、ナンダ 洪州、丘如きの百丈山で 襤褸(ぼろ)着た禅者、(百丈)懐海の一語は 清風渓谷に満ちて値(あたい)千金・・

 

解説 日本の代表たる富士山や、昔、一杯のコーヒーを求めて訊ねたアフリカ、タンザニアキリマンジャロも、大雄山の名にふさわしい。

・・が・・ナンダイ、この中国、洪州の海抜千メートルにも満たない、岡如きの山の名が「大雄山」とは。

だが、しばし待てよ・・今から1300年昔、玄宗皇帝と楊貴妃の退廃した時代に、この孟宗竹におおわれた深山(5岳のひとつ南岳。幾段にも分かれた黄檗の滝もある)で、ボロをまとった一人の禅者が、高らかに「独りポッチ坐禅」を宣言したぞ。

宇宙の中で、最も「奇跡的無意味な出来事は、これ、このとおりだ」・・と。この禅者の一語。清風 渓谷に吹きわたって、値(あたい)千金。

  • 百丈懐海(えかい 720~814 中国江西南昌市(洪州こうしゅう)大雄山=別名 百丈山に禅庵を構えた禅者。弟子に・・臨済宗始祖 臨済義玄(りんざいぎげん)、潙仰宗始祖 潙山霊祐(いさんれいゆう)仰山慧寂(ぎょうさんけいじゃく)がいる。

彼の生まれたのは唐の玄宗皇帝35才の時、楊貴妃は1歳。

楽天「春寒く華清地に浴を賜う、温泉 水滑らかにして凝脂を洗う」長恨歌の時は、玄宗皇帝70才、楊貴妃36才。

国は乱れ、民衆は頽廃。ちょうどその頃、百丈懐海は、師の馬祖道一の元を辞して、独り 洪州の山奥、大雄山に禅居して長養していた。その折の禅問答。