元服の書②「喫茶去・・キッサコ」

元服の書② はたして卒業証書で「アンパン」は買えるか?

*昔(11歳~15歳頃)の成人式にちなみ、中学・高校生の問いに答えて書いています*

書写山(しょしゃざん)の写僧正(しゃそうじょう)、茶を点(たて)て飲みたくて・・お茶たちょ茶たちょ、チャットたちょ、茶たちょ、青竹(あおだけ)茶筅(ちゃせん)で、お茶たちょ、点(た)ちゃ】

江戸時代1725年頃こんな言い回しが歌舞伎で流行りました。

男女間の愛情や、性の問題・親子間・学校の虐待、いじめ・・禅の語録には、どのように解決するべきか書いてありますか?

結論=ありません。昔は皆、貧しくて助け合わねば生きてゆけなかったようです。

でもヒントは「イマ・・ココ」が大事と書かれています。

禅語「喫茶去」キッサコ(お茶でもどうぞ)にちなんでお話しします。

この茶飲みごと・・これは言うは易く、行なうに難(かた)きことです。

禅に・・「生死事大(しょうじ じだい)無常迅速(むじょう じんそく)光陰可惜(こういん おしむべき)時不待人(とき ひとをまたず)」の言葉があります。

覚者・釈尊仏陀)の教え・・宇宙で唯一つの遺伝子を持つ(唯我独尊)若い貴方にも、老病死苦は必ずやってくる。

しかし、努力していても・・どうして安らかで幸せな人生にならないのだろう・・愛や性の問題や、虐待、いじめ、試験・・など、あるいは、事故や災害など、自分一人では解決できないことが襲い掛かってくる毎日・・老病死苦の悩みは「今・・此処(個個)」に徹して生きることでしか救われない!・・禅は・・悩みや苦労を、そのまんま、ひっくり返して 安心やピチピチした生活にしてしまいます。

でも、これは言うは易く、行うことは大変むずかしい。

 

たいていの人は・・おそらく3~40年、禅に関心を持ち「3分間独りポッチ禅」を提唱している、この私を含めて、大悟徹底できる人はいないのでないか・・と思います。

いるとスレバ・・例えるなら釈尊やキリスト、親鸞さん位かな。

もし、路傍にお姿を拝見したら、そのオーラとやらに打たれてヘナヘナと坐り込み、薄らハゲジジイの私はボロボロ泣いてしまうことだろう(モチロンその他に尊敬する人はいっぱいいるが・・)

 

達磨(だるま)さんが、紀元520年頃、インドから中国、広東に海路、上陸して「禅」を伝え・・梁の皇帝(武帝)に語った・・その最初の言葉は・・ZENは「無功徳(むくどく)」である・・つまりご利益(りやく)、効能はありません・・だった。

ズバリ・・経文や書物は薬の効能書きにすぎない。いくら効能書きを読んで知識を増やしたところで病気は治らない(風邪をひいたら、温かくして寝ているのが治療に一番だそうだ)その病気が治ったら、薬も効能書きも、もう役立たずです。学校の卒業証書なんか、見せびらかしてもアンパン1個買えません。

 

このように、解かっていても心の問題はナカナカ解決できないのは・・どうしてか。

それは考えや想いに、比較や価値をつけすぎて、自分が自分を「裸の王様」に仕立て上げているからです。

例えば、餓死する子供が何万人もいて、それでいて、ICBMや核実験を繰り返す北朝鮮将軍様がうらやましい・・と思うのなら、この奉魯愚、役には立たないでしょう。

価値とは何だ?真実とは何だ? 

それは・・アナタが自分一人で見つけ出し納得しないと自分の身につかないのです。

学校の勉強の大半が、記憶させることが教育だと信じている先生がいますが大間違い。記憶や分析はPCやスマホの方が得意です。アナタは、そんな考えの、他人任せの勉強はほどほどにして、本当に自分が好きで、打ち込める勉強や仕事をしてください。

学問は、文字通り「学ぶ」こと・・と「問う」ことの相互作用です。学学=ガクガクばっかり・・問うこともできない・・問問=モンモンとした、息苦しい勉強は学問ではありません。ホントに「学と問のできる」良い先生を見つけて、イロイロ質問しながら楽しく勉強のレベルをあげてください。

好きこそモノの上手(じょうず)なれ・・ですヨ。       

◆般若心経の写経は、効能書きの筆写です。その時間だけ、集注して救われた気がしても、その後、チョット試験の結果が悪いだけで、もう世界が絶滅する位の落ち込みようです。

「無心」になる・・心の解決法(手立て)は、全く役立たずの「3分間独りポッチ禅」だけです。

言うは安く・・といいましたが、この外郎売り・・スラスラ3回続けて言ってみてください。

◆【書写山(しょしゃざん)の写僧正(しゃそうじょう)、茶を点(たて)て飲みたくて・・お茶たちょ茶たちょ、チャットたちょ、茶たちょ、青竹(あおだけ)茶筅(ちゃせん)で、お茶たちょ、点(た)ちゃ】

歌舞伎十八番 外郎売(ういろううり)早口の一部・・三百年ほど前の、2代目市川団十郎・・凄い発想、創作力に脱帽します)

 

どうですか・・自分の口先、滑舌(かつぜつ)ひとつ・・ナカナカ簡単にはいかないでしょう。

それでは・・私も「お茶たちょ、茶たちょ」で、お茶でも飲むとしましょう。

・・アナタの質問の答えになっているはずですが、どうでしょうか。

 昔、趙州従諗(じょうしゅう じゅうしん 778~897)という禅者は、どんな悩みの求道者が訪ねてきても「マアマア・・お茶でもおあがり」の一語で済ましてしまったそうです。 

有(会)難うございました。