元服の書 NO58 鮒釣り=坐禅・・
*中学・高校生とその親御さんたち~第2の人生を歩む方の問いに答えて書いています*
◆どうして「独り3分間イス禅」がフナ釣り・・なのか?
坐禅は、長時間にわたって続けても、何の効用、功徳もありません。釣りと同じで、魚が餌に喰いついてくれるまで、なすすべがありません。
ただ・・足が痺れ、妄想が湧くばかりです。
このタッタ3分間のイス禅は、仲間は要らず、独りで静かになさることです。イス禅の初めと終わりは、釣りの「フナに始まり鮒に終わる」のと同様 呼吸が大事です。イノチです。
呼吸に始まり、呼吸に終わるのです。
鼻から静かに吐いて、自然と吸う・・一息 約10秒の呼吸数を「ヒトーツ・・フターツ・・ミッツ・・」と数え、ムーッツでまた「ヒトーツ・・」に還る。これを、ゆっくり、自然に1呼吸10秒として、3巡回すれば18回=6×3=約3分間です。
数に飽きたら、私は「一トナル」「フタツトナラズ」「満ツル」「予ナラズ」「溢ナラズ」「牟(無有)ウ」などと漢字に置き換えたりして呼吸数としています。
呼吸は、人間が生きている証です。どうせ何かに集中して、坐禅していることも忘れるのであれば、牟(ム=無有)に帰する「無功徳」禅です。6つ数える呼吸で、単純化したらよかろうと思います。
難しいのは・・行う場合の「効用・造作」を捨てること。
何事も総て、因果応報、効用効果抜きでは、考えられない人間の「業」がネバリついてきて離れません。
無用の呼吸と坐禅、無用の行動あるのみ。
せめて3分間。1日1回でも、何の役にも立たない「禅」に身を浴してください。独り坐禅(接心)を、生活や行いのTPOとして、続けられることです。
独り一人に健全で気づかない呼吸のように「禅」はあります。チャント「禅ニヨル生活・禅の行動」が備わっています。気づかなくても、無功徳(何の利得もない)禅に身を生かされているのです。
注意すべきは・・禅は宗教ではアリマセン。坐禅すれば「悟り」が得られる・・そんなコダワリや妄想を早く捨てる・・忘れることです。
釣りも同様、釣れる時節に釣れるのです。
禅は無用の「呼吸」で終わり⇔「呼吸」で始ります。
ただ無功徳・無一物・・無盡蔵なのです。
有(会)難うございました。