元服の書NO33 ◆禅の深淵をのぞき見する!(9-11 加筆修正)

チョット禅の深淵をのぞき見してもらいたいために・・            

中学・高校生とその親御さんたち~第2の人生を歩む方の 求道の問いに答えて書いています

Q:三昧(ザンマイ・役立たず)の「坐禅」が出来れば・・悟れますか?

A:とんでもない!

まず「三昧」の心境に こだわらない坐禅が大事です! 

三分間、独りポッチのイス坐禅が出来れば、見性(悟)できると思い込んでいる人がいる。

「悟れる」・・と期待しての坐禅で、どうして悟れるものか。

出来ません。跡取り坊さんの養育の為に、集団・組織で教導する仕組みを、温室栽培・接ぎ木方式の修行・・(絶滅の)寺僧禅(別名、拝観料を取る観光禅)とも言います。

臨済宗の場合、修行の専門道場では「接心」と呼ばれる、僧堂師家との1対1の参禅、問答(公案)の応対があり、昔(戦前・戦中・戦後しばらくまで)は、人工(組織)的に、疑団の醸成・集中発憤させて、見性(発見発明)に誘導する・・人工ふ化的な修行が・・それなりの成果を納めたようです。・・モチロン失敗例は数知れずありました。

それが次第に、修行のマニュアル化が進行し形骸化して、ホンの2~3年の基礎研修ですら、堪えられない落第生が多数となり、悟りのアンチョコ本(虎の巻)や、見性の演技指導まで出回る事態となったようで、一挙に衰退してきたようです。

どうしてか?・・推察するに・・まず戦争で死ぬ・・不条理な死にざまがなくなったことがあげられましょう。独りで死に直面する覚悟を持たず、赤信号みんなで渡れば怖くない・・社会への甘えや、どうせ死ぬなら誰か道ずれの、無理心中が横行することになりました。加えて、科学的な進化は、寿命を百歳にまで延命し、働き口は、贅沢を云わなければ事欠かない状況であり、男女ともに独身を楽しむ自由な生活が保障されてきたからです。こんな一見、幸せそうな・・まるで動物園の岩山・猿群のような・・囲いコミ(ニュケーション)の社会にあって、一切の効用効果、機能機作を「無」に帰する・・無価値・無功徳・・役立たずの「坐禅=禅」に関心が持たれるハズがありません。

まして、暁の明星を看て、釈尊は「大覚・見性」された・・と奉魯愚(ブログ)に書けば、夜ごと空を眺める天文学者、全員がどうして悟らないのか?・・とか、坐禅三昧(ざんまい)の苦行の修行僧が、何故、達磨の廓然無聖の禅境(地)に到れないのか?・・など、すぐに問いかけしてくる幼稚さです。

自己探求がなさすぎです。まず自分で考えることすら放棄して、本や教導に頼るナンデモ【スマホ/マンガ】の依存症になったから・・でもあります。

前に、幾度となくお話したように【三昧=ザンマイ】の境地は、仕事三昧、スポーツ三昧、芸術・武道茶華道・趣味三昧など・・何事か意識を集中して、時間・空間を忘れる境地(行為)ですから、ナンとかオタクとか、老練な手工職人なら大抵が経験する、誰にだってできる境地です。

手ひどく云えば、パチンコや賭博行為でも三昧境に入ることができるのです。(車内に赤ちゃんを置いたまま、パチンコに興じた母親が、子供を熱中症で救急車に運ばせた・・と記事になったことがあります)

この三昧(集中)を「熱中」と解すればシャレにもならぬ悲劇です。独りイス禅は、まず数息観や三昧境(地)を卒業して、論理では解決できない公案を、坐禅に取り入れることから、本格的なスタートとなります。

公案が粘弄(ネンロウ・・鉄の飴玉を口の中で歯が欠け落ちるまで噛み味わう)できるよう・・になったら、朝な夕な・・何年であれ、何十年であれ、その答えが、内爆して自己発見(独抜見徹)できるまで、楽しみに舐め続けることが肝要です。公案は理屈(論理・哲学)では、ゼッタイ解(溶)けない・・情け容赦のない自分への絶対矛盾的「問いかけ=疑問」ですから 抱卵の母鳥のように温め続けなければなりません。焦ったり、苛立ったりしても見性できません。

これを、たしか故・澤木興道老師は「鼻先にクソぶらさげて 屁もとは何処だと探す愚か者」と諭されておられました。

この件(2019-9-11)・・タマタマ「禅に生きる沢木興道」酒井得元著(誠信書房)を読み返していた時、笛岡凌雲師から、坐禅のあり方を諫められた言葉であつたとわかりました。

(前略)・・ワシはそのころ、非常に悟りたくて仕方がなかった。ワシの事であるから、悟らんが為には極めて如才なく立ち回った。ところがある時、凌雲方丈は「興道さん、興道さん、そんなに悟りたい、悟りたいと悟りを求めてあせるものではない。チョウド鼻の先にクソつけておって、屁元はどこだ・・屁元はどこだ・・と騒ぎまわるようなものだよ」と言われたことがあるが、どうも汚いことを云う人だと思ったが、だんだん坐禅が確立してくると師の言葉が骨身にしみてよくわかった。・・とある。

師とは、坐禅の指先を教えるのでなく、月そのものを看ることを諭すものだとわかりました。曹洞系・・宿無し興道といわれた禅者の求道の歩みの一節を修正させていただきます。

私の・・鉄のような飴玉=公案は「何似生・カジセイ」です。これは「本来の面目」(父母の生まれる以前のお前とはナンダ?)とか、盤珪永琢の「不生禅」と同義のモノですが、(大学入学時以来~)六十年たった現在も、その一語は、ますます深く変化しつつ微妙な味わいを与えてくれています。

さて・・前号、坐禅の心要⑶・⑷で、一休宗純生涯の公案は「婆子焼庵」であると書きました。

彼は77才の時、住吉で盲目の琵琶奏者「森女」と出会い、88才で死ぬまで、慈愛に包まれた同棲の暮らしを為した禅者です。

遺言は「ナルヨウニナル・シンパイスルナ」

そして遺偈(亡くなる直前の言葉)は・・

須弥南畔(しゅみ なんばん) 誰か我が禅を会(え)す

虚堂 来たるも 半銭に直(あたい)せず・・とあります。

   *世界中で、いったい誰が 我が「禅による生活」を理解し得よう

    尊敬する虚堂智愚(きどう ちぐ 宋・禅匠)が来ても、何の価値もない。

チョット禅の深淵をのぞき見してもらいたいために、一休さんの「役立たずの坐禅」で 話を纏(まと)めました。

確かなのは「独り」ポッチで寂寥に歩く(裸心で生きる)こと。

どうぞ折々、3分間独りポッチのイス坐禅をなさってください。

有(会)難とうございました。

 

座禅の心要⑷ 一休さんの遺言と生涯の公案「婆子焼庵」更新2019年9/1

人生 ホントに「ケ・セラ・セラ」でいいんですか? とんでもありません!・・気が木でない話② 

坐禅の心要⑶「ナルヨウニナル・・シンパイスルナ」に絡んで、意見があり、問い合わせがあった。歌の文句の「ナルヨウニナル」の 運任せのホッタラカシでは、よくなることでも悪くなります。人を看て法を説けと云われます。前号で書いた【一休さんのナルヨウニナル】は、禅語の「放下着」のことでもあります。

・・と云っても、この言葉は、中国、唐代の趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん 曾州778~897)という、120歳まで生きて、禅を教導した、卓越した禅者の言葉です。しかも、修行のほぼ完成した厳陽(げんよう)という求道者が、禅語「本来 無一物」の公案を持ち掛けて、趙州の禅境(地)を酌量した問答に由来しています。

まったく「ホッタラカシ」でいい・・との手前勝手な判断は大間違いも はなはなだしいことです。

・・この質問に答えます。趙州の「放下着」は、厳陽の問いに答えたものであり、一休の「ナルヨウニナル」は、門下の騒動の時に開封せよ・・と指示した遺言です。つまり、「問い」に対する禅者の「答え」は・・キミみずから看よ・・と云うのです。

つまり他人の意見などに振り回されず「自分で発見・発明せよ」と云うのです。ですから、仮に私の意見を、いくら聞いたところで、それは私の意見であり解釈にすぎません。とどのつまり私の悩みを解決、解消してくれた薬の効能書きにすぎないのです。貴方にとっては絵にかいたモチ、決して満腹(納得)にはなりません。世の中、付和雷同する人が、この「ナルヨウニナル」を聞いたら、人生、すべて人任せ。どうなろうと心配するだけ損じゃんとばかり無関心の「ホットケ病」が蔓延することでしょう。

自分の意見がなく、もちろん自主性がなく、マニュアル通りの生活に慣れてしまった生活を続けると・・自分すら自分がわからない・・ギリシャの哲学者、ソクラテスの「汝 自身を知れ」以来の「問い」に必ずぶつかることになります。

「俺って、何なのだろう?何のために生まれてきたのだろう?」

この自分への問いかけこそ「役立たない」独り坐禅への大事な「産声」です。そして誰もが、独り一人・・その人生は、自分発見の行脚(旅)となっていくのです。

どんなに本を読み、碩学の先生に尋ねても、アナタが、自分で自分に突き詰めて、得心のいく解を発見発明しない限り・・つまり、生活体験の中で・・ピチピチ若鮎のごとく反応、検証(見性)しないと、迷いは雲の如くに湧いては消え、湧いては消え・・際限がありません。

それでは私の私だけの答えを書きます。(読忘してください)

それは「正直に生きること」・・人生、裸(心)で歩くべし・・

禅は宗教ではありません。独り一人に「禅」(唯我独尊)があります。しかし、それは・・何の役にも立たない「独りポッチ坐禅」でしか、体験し得ない・・浅くもあり深くもありの禅機禅境(地)なのです。 

   看看         看ヨャ 看ヨ

   古岸 何人把釣竿   独り翁が岸辺で釣りをしているぞ

   雲冉冉 水漫漫    雲は悠々と大空を旅し水は果てなく広がる  

   名月蘆花 君自看   月は蘆花を照し天地一白。君自ズカラ看ヨ。   

       頌(雪賓重顯)

   碧巌録六十二則 雲門中有一寶(うんもん ちゅうう いっぽう)

            雲門 形山(ぎょうざん)に秘在(ひざい)す

【追記】所説は種々あっても、私は 一休さんが生涯、抱き続けた公案は、自分の生い立ちから始まる根深い性の問題でしょう。

柳田 聖山著「一休 狂雲集の世界」人文書院の説を採ります。

一休は・・風雲の生い立ちにあって、人間として業(性・宿命)の公案「婆子焼庵」の問いに解を求め続けた禅者だった・・といえるでしょう。

この公案の大意は、青年僧を二十年も供養していた達道のお婆さんが、求道の禅境を知りたくて、年頃の娘を抱きつかせて「正恁麼時(しょう いんものとき)・・(この私を)どうしてくれます」と迫らせた出来事による。

僧は「枯木寒巌によりて三冬暖気なし」と答えた・・のを、聞いた婆さんは「个(こ)の俗漢、よくも長い間タダメシ喰らっていたな」とばかり 追い出して その庵を焼き捨てた。

いったい・・枯レタ木ガ凍ッタ岩ニ寄リカカッタヨウダ・・との境地の何が悪いのか。この公案に一休の詩によるコメント・・(右替え歌 柳田聖山氏)

老婆心 賊のために梯(かけはし)を過(か)して        婆(ばば)の魂胆 泥棒手引き 

清浄の沙門に女妻(にょさい)をあたう           青い坊主に 可愛い娘(こ)添わす

今夜美人 もし我れを約せば                  今夜その娘が このわし抱けば 

枯楊(こよう)春老いて更に稊(ひこばえ)を生ぜん         枯れた柳もわき芽を出そう

     *ひこばえ・・昔・稊と書かれていますが、今は「櫱」となっています。

     *个(こ)と中国で書いたが、日本語で「ケ」箇とか個の意味になったそうです。

【附記】禅の悟りは、大悟すれば生涯、廓然無聖(青空のごとき)であると解してはなりません。坐禅して見性(覚悟)しても、本能(食欲、性欲、感情)は湧いてくる。まして社会での軋轢、葛藤は、生きている限り、次々に雲の如く湧き上がって苦しみ、悩むのが人情です。

煩悩は断ち切れない。

坐禅で悩みが断ち切れると誤解しないこと。

悩みが悩みを増幅させてしまうことがままあります。

煩悩即菩提(悟り・愛・慈悲)であると云うのは、役立たず(無価値)の坐禅が出来てこそであり、欲気の想い(煩悩)に捕らわれない醒めた坐禅がなされてこそなのです。

要は・・迷いが先か悟りが先か・・言葉や文字が先か、それとも行動が先か・・因果が先か応報が先か・・鶏が先か卵が先か・・比較検討するのではなく、役立たずの(無価値な)「今・・ココ」に坐るのが禅のすべてです。

これが禅の「終りの初め」であり「はじめの終わり」です。

一休が、性(業)を解脱した一偈・・

「枯れた柳も、櫱(ひこばえ)を生ずるぞ」

コレは・・コレは・・

なんと清々しい禅境(地)でアルコトか!

有(会)難うございました。 

 

 

 

 

 

 

 

 

至道の禅語10「雨滴声(うてきせい)」・・雨は「寂寥」を感じさせる♪♬・・だ!

〇⊡。・□⊡。様 

静かに雨音を聴かれる貴方に禅語「雨滴声」(うてきせい)を贈ります。          

拝復。大好きな雨音を聞かれているのですね。

以前、チョット「独りイス禅」の仕方をお話ししましたが、

その「公案」(坐禅時に自分に問うこと)・・ウッテツケの坐禅テーマを紹介します。

中国、浙江省にある鏡清(寺)に住持した道怤(きょうせい どうふ 868~937 雪峰義存の弟子)が、ある夜ふけ傍らにいる求道者にたずねた。

鏡清「あの窓の外の声(音)はナンダだ」

求道者「ハイ・・あれは雨がパラパラ降っているのです」。

鏡清「ああ、やっぱりお前さんも、己に迷って物(音」を逐(お)うか・・」

求道者「誰が聞こうと雨は雨の音です。ご老師はいったいどのように聞かれたんですか?」

鏡清「近頃 どうにか そうした思いに振り回されずに済むようになったよ」

求道者「どうゆうことですか」

鏡清「そのままを説明することは難しくないが、アリノママはナカナカ表現できないことだ」

             碧巌録 第四十六則 鏡清雨滴声

       【本則】挙す。鏡清 僧に問う「門外は これ何の声ぞ」

        僧云く「雨滴声なり」

        清云く「衆生は顛倒(てんどう)して己に迷い物を逐(お)う」

        僧云く「和尚 そもさん(どうなんですか?の意)」

        清云く「ほとんど己に迷わず」

        僧云く「ホトンド己に迷わずとの意旨(いし)如何(いかん)」

        清云く「出身はヤヤやすきも、脱體(だったい・具体的に)に云う

        のは難い(真実に即してはナカナカ答えられない・・の意)」

これは「雨音」から禅の世界に入りなさい・・との問答です。

禅は仏教ではありませんから、欣求・祈願はありません。

悟り(自覚)を得る坐禅をしているのに・・雨音から入れは異なことです。鏡清に問われて、雨の音を素直に「雨の音」と答えたのに「雨の音に騙(だま)された・・(雨の音を追いかけまわして)捉われてしまったオノレがいるだけだ」と云われたのです。鏡清老師が、雨の音を知らないで「何の音か?」と問うた訳ではないことに注意!

せめて坐禅の最中は・・耳(聴覚や眼・視覚など五感)で見聞するのでなく・・つまり、雨音に憑いて回ってしまうのでなく・・まるで、眼で聴き 耳で看るように坐禅で感じてみなさい・・と云う訳で・・イヨイヨ独り坐禅のスタートです。

 

独りポッチで坐禅するのは、生まれてくる時も、いま息をして生きている時も、そして死ぬ時も、独り(ポッチ)だからです。父母や、誰かが傍にいようと、誰もが、実は「独り(ポッチ)」です。坐禅は、仲間と一緒にするのは止めましょう。チョットした一人の時間・・大事な「寂寥」を知る時間を、ザワザワ(心が気を取られてしまい)お勧めできません。

坐禅は、難しくはありません。姿勢を正しく、まっすぐに伸ばし、椅子に坐り、眼は半眼に2メートル先の床を見るようにします(半眼にするのは、眠らないためと、妄想(思惟)が起こりにくくするためです)一呼吸が約10秒程度。「ヒトーツ・・フターツ~」と数えて「ムーツッ」で、もとの「ヒトーツ」に戻る・・繰り返し3回。計18回の数息観で3分間ポッチ、独りポッチの立派なイス禅の・・難しい効能書きで言えば「入流亡所 所入既寂 静動二相 了然不生」の姿です。

こんな難しいこと、知らないで結構です。

このことは 不生禅(盤珪永琢 ばんけい ようたく1622~1693)が述べられているように・・「坐禅は仏(覚)心の異名なれば、外に相を求めず借らず、万事につけ貧著(とんじゃく)のなきを坐禅といいまする。もしまた坐禅とて坐を求めて坐したらば、坐して悟りを開かんと思い、あるいは見聞の主を見つけんと思うは大きな誤りでござる(盤珪禅師説法 下=九 不徹庵本)

それだけに、雨音の好きな人にこそ「雨滴声」の坐禅をお奨めします。初めの内は、3分間といえど坐禅の呼吸ひとつ・・ままならないでしょう。

 気が散ったらおやめなさい。

また次の雨降る日、耳を澄ませて・・その「雨」を「雨の音」ではなく、呼吸にシンクロさせて坐禅するようにしてください。

3分できれば、もう3分・・時間など長くても、短くても、どうでもよいのです。先の「坐禅の心要」の壺中日月長・・が、「雨中日月長」に感じられるかも知れません。

ソレトモ・・頌にある「南山北山 転(うたた)霶霈(ほうはい)」・・どこの山の景色も いや増して土砂降りの雨もよう・・になるやも知れません。

 

一休さんは雨に感じて・・「有漏路(うろじ)より無漏路(むろじ)にかえる一休み。雨降らば降れ、風吹かば吹け」と雨滴声されました。

山頭火は「しぐるるや道は一すぢ」また「春雨の夜あけの水音が鳴りだした」と。

良寛さんは・・「五月雨(さみだれ)の晴れ間に出でて眺むれば、青田涼しく風わたるなり」と云う日もあれば、夜更けに道元の禅語録を読んで、共感のあまり本を涙で濡らし、明朝、訪ねてくる人が、どうして本が濡れているのか・・と聞かれたら、屋根から雨がもって濡れたんだと言い訳しよう・・と漢詩で書かれたこともあります。

・・良きかな愚の如く 道うたた寛(ひろし)・・詞の頭と尾の文字を取って大愚良寛と名乗った、私の最も尊敬する禅者です。

この他・・「雨ニモマケズ 風ニモマケズ・・みんなに木偶の棒と呼ばれ・・」宮沢賢治

童謡「♪アメアメふれふれ母さんが、蛇の目で出迎え うれしいな・・ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン♪」北原白秋作詞 中山晋平作曲・・

雨は、禅で一番大事な「寂寥・・独り」を味わう最良の♪♬・・です。

誰にも、誰のモノでもない独り一人の「雨滴声」がありますね。

                                                                          有(会)難うございました。 

 

坐禅の心要⑵ ◆壺中 日月長(こちゅう にちげつながし)

        坐禅の心要⑵ 壺中 日月長し

GALLERY星ヶ岡アートヴィレッヂ(四国・高知)での話・・

6月29日、四国高知の友人、岩崎 勇氏(写心作家)の実兄、故、片木太郎 没後20年 画文集出版(編集岩崎勇)記念パーティに前日泊まりで出席した。

午前中、絵が展示してあるギャラリー星ヶ岡を尋ねた。画家の片木太郎氏は、早逝した四国の、あまり知名度はない方だが、起床時と就寝前、30分の静坐(禅)をなさっておられたようだ。どの絵も「空」が素晴らしく描かれていて、達磨の「廓然無聖」碧巌録第1則 武帝との禅問答、禅境地・・「カラリとした青空」を想わせ、絵の前・・前・・で、無言で立つ以外になかった。

本来、絵には・・くだくだしい注釈や由来・解説は要らない(説明が必要なのは絵ではない)

西欧の変化(へんげ)する空に禅の「色即是空」を受け取った。

空と云えば、昔、鎌倉円覚寺坐禅しながら、演劇学や映画論を学んだ学生の頃、アラン・ラッド主演の(任侠)西部劇「シエーン」の空の美しさに打たれて何度も映画館に通ったことがある。

それ以来の・・まっさらな空との出会いです。

独りヨーロッパを行脚した画家の心象に打たれました。

*折り・・高知への・・ご縁の方にお薦めしたいTPOです。

星ヶ岡アートヴィレッヂ 088-843-8572 高知市横内153-1 /6月29日~7月15日10:00AM~18:00PM/無休(地理・・よく調べて行かないと迷います)

この星が岡の展示場で(実に清楚で閑静なギャラリーでした)管理の武田さんと、時間の許すついで、茶道や利休、禅の話に及びました。

茶掛け「壺中日月長」は、その時の話題です

この一語は・・中国の仙人話(後漢書)に由来する・・汝南(じょなん)の町役人であった費長房(ひちょうぼう)が、軒先に壺をぶら下げて薬を売る老翁の言いなりに、その壺の中に入ると、そこは仙境だった。彼は仙術を学んで帰ると(僅か十日余りと思いきや)十数年の歳月が経過していた・・という。アインシュタイン相対性理論の、光速ロケットで旅した、わずかな時間と、地球時間のあまりにも長い年月の落差に例えられる話だ。日本の浦島太郎 中国版である。

これを茶道(茶人)は、禅の三昧境(地)と混同して、著名な書家の一行書(茶掛け)として珍重するに至った。

禅では、今・此処(孤・個)を大事とする。

禅者は、過去・現在・未来など時間経過を分別したり、壺中・壺外を比較区分して、その心境を語ることはしない。

禅では「日月長し」を、自分は・・どのように受け止めて・・暮らしているのか・・その禅境(地)を自身で感じたまま、語るだけである。

私は、社交的な茶道には関心がない。

だが、侘びとか寂びとか云うのなら、茶の湯の前に、生活の中で「独り坐禅」の三分間ほど なさることをお奨めしたい。

 

この「日月長し」の禅境を「壺に水仙、私の春は十分」山頭火・・これは、チョット禅臭くて私はとらない

例えば・・江戸期、原の白隠は・・「六月の風は安売り、売扇は価三文」と、暑い苦しい、好きだキライだ・・を、天然の風に託してサラリを述べている。

越後の山里、五合庵で「何となく心さやぎて寝ねられず 明日は春のはじめとおもへば」と、僅かの米や薬の代わりに揮毫している大愚良寛の書も、未練たらしくなくて好きである。

この雑記で、とっておきの禅者の一語は、壺中も日月も吹き飛ばして「喫茶去」で・・納棺から葬式まで済ませたような趙州従諗(じょうしゅう じゅうしん778~897)である。

趙州狗子(くす)・・無門関第一則「無」字の一関は、十年坐禅しても会得しがたいと云われる。

この「お茶をどうぞ」にかかっては、一杯のお茶すらマトモに飲ませてもらえないまま、役立たずの坐禅に齧りついて(果たして)身につくかどうか・・

さても ギャラリーの出会いこそ、楽しい「日月長」でした。有(会)難とうございました。

帰路はG20を終えて関西空港を飛び立つトランプさんのお蔭で、3時間余りも高知空港で待機され,ANAから千円の遅延お詫びの封筒をもらった。どうやら文章が茶道から誤サドウしてしまったようです。

◆7/3追記・・【附】西部劇SHANE(シエーン)1953年 主演 アラン・ラッド/監督 ジョージ・スチーブンス/撮影 ロイヤル・グリッグス/音楽 ビクター・ヤング /第26回 アカデミー賞 カラー部門撮影賞 受賞/主題曲「遙かなる山の呼び声」

 

 

元服の書㉜ どうして役立たない坐禅を薦めるのですか?

独りポッチ坐禅を どうして「役立たない坐禅」と云って薦めるのですか? 

中学・高校生とその親御さんたち~第2の人生を歩む方の求道の問いに答えて書いています

人が悩み、苦しむ時、坐禅が「役立つ」ものなのか・・「役立たない」ことなのか・・本当の「坐禅」を見極めてもらうために書いています。

この娑婆(現世)の不安や悩みの解決に「役立つ」はずの坐禅を試されて、長続きせずに挫折される方がほとんどです。それなのに、どうして「役立たない坐禅」を薦めるのか・・宇宙でただ一つ、人にとって役立たない無価値な坐禅をワザワザ行うことの大事さを知ってほしいのです。

いっそのこと、坐禅しようなどと思わずに、悩みを放り投げておけばいいのでしょうが、それでいて「役立たない」坐禅とか・・達磨の「無功徳」な禅とか・・の言葉、文字にこだわり、あるいは 役立つ坐禅がないものか・・

思いあがくのが人間の業(ごう)というものです。

推奨する「独りポッチ・イス禅」は、本や学問、寺僧の教導を受けない坐禅を行うように・・との、まったく単純な話です。

とりわけ「ZEN」に関心のある外国の方には(西洋は骨の髄から哲理、物理で成立している合理的社会ですから)ゴリヤクなしの禅について納得するのは、ナカナカ難しいことでしょう。

欧米の方にお薦めできるのは、仏教学者であり禅者であった故・鈴木大拙先生の「Living by ZEN」ただ(英語版)1冊。はるばる日本に尋ねてこられても、形骸化した禅寺や修行と称する、お坊さん専門の養成道場があるだけで純禅は絶滅しています。

禅は、教えられたり、学問して解かるものではないのです。

ただヒタスラ、独り木偶(でく)の棒のように坐禅したり、自己内面に求道し続ける好奇心がなければ、悟り(発見発明)がありません。

仕事や家事をしないで、坐禅三昧とか・・出家を口実に葬式仕事とか、昔、著名な禅者がいた寺僧の(拝観料めあて)の生業(なりわい)。TVに出演してトクトクと禅を語る・・出版(文字化)や講演(提唱まで)が、禅を紹介できる限度であると承知しない禅(モドキ)者は語るに落ちた仕業です。・・千年前の禅者たちは、川の渡し守をしたり、薪を売り歩いたり、農作や大工仕事をしたり、生活の糧、生業(なりわいの為)に働いて、折々に、独りで坐禅したのです。

中には乞食桃水(雲溪桃水・ウンケイ トウスイ・江戸期、筑後柳川の生まれ。宗派に拘らず、臨済の大愚、沢庵や黄檗隠元に参じたりした曹洞禪の禅者)無宗派自由人の鈴木正三に参じて影響を受け、大仏の掃除男、駕籠かき、馬のワラジ売りなど転転と移り住み、河原の乞食になり、最後は京都、鷹ガ峯でお酢売りをして死んだと云う・・名利を捨て果てた野聖の禅者がいます。日本の禪史上、宗派・寺僧に関与せず、独り坐禅も忘れて亡くなった、極め付きの散聖の禅者と云えましょう(無常迅速・・詳しくは、ご自分でお調べください)

禅は知識や学問、先達の教導、経験話・・一切、誰にも頼らず、坐禅する中でしか発芽し、開花し大樹となってくれない、自分だけがハッキリ自覚する体験です。

よく効果・効用のない坐禅を薦める、その理由を教えろ・・とメールが来ます。

実は・・この問いそのものが答えなのですが、知識、経験が邪魔をして、ナカナカ、自分が自分に納得できません。

現代、日本でも、電磁的媒体や教育偏差値、競合格差を当然とする人が多くなって、禅でいう「如」の行為がわからなくなってしまいました。

大袈裟な言い方ですが、この日本で一人でもいい・・この地球(宇宙)で たったの独りでもいい・・ダルマのいう「無功徳・無一物」の役立たずの禅を、造作なく(臨済の言葉)行(おこ)なって「禅ニヨル生活」を為す人が出現してほしい・・と願っているのです。

私が明大生(1960~)の頃、父が戦前・戦後・・参禅の師とした故・鈴木大拙先生(仏教学者・禅者)が 北鎌倉の東慶寺(松が岡文庫)におられた縁で、円覚寺続燈庵(故・須原耕雲老師・焔魔堂弓和尚)に寄宿。禅に関心をもち、坐禅をし、神田の古本屋で見つけた碧巌録や無門関の提唱本を、安保騒動にかまけて読み漁りました。当時、ヤルコト・・ナスコト・・冷や汗ものの、いい加減な青春時代でしたが・・後に、坊さんのトナエル四弘誓願の一語「煩悩無尽誓願断」(ボンノウムジン セイガンダン)に引っかかりました。

悩みは尽きないが、誓って断じます・切って捨てます・・という求道の誓いの言葉です。                          ところが、禅では「煩悩即菩提」(ボンノウ ソク ボダイ)といって、悩みや苦しみは、ソノママが悟り=釈尊(大覚・大慈)である・・とするのです。                             出家して迷える大衆を誓願度(救済)するべき禅の坊さんが、悩みを断ち切りたい(誓願断)と、悩みソノママが菩提(さとり)であることをゴッチャに丸めて、どうしようとするのか・・どこの誰も、この疑問を解決してくれませんでした。

仏陀の教え(仏教仏典)に嘘も方便。幼児が火宅にいて救い出す話があります。                              母親が、いきなり騒ぎ立てるとビックリして立ちすくむから、楽しく遊ぼうよとやさしく誘い出す例え話です。どうもこれは、うまく出来過ぎています。                              もし大火災であつても、そこに愛しい幼児がいたら命に代えても飛び込んで救い出すのが子を想う大慈(愛)・・母親ではないですか。火宅下にヨチヨチ、ニコニコ歩いてくるのを待つ母親などいやしないのです。

火事話のついでに・・「焼け和尚」と名がついた禾山禅鉄(かざんぜんてつ)の逸話が「禅の伝統」高橋新吉 著(宝文館出版)に書いてあります。                               伊予の大阪といわれた八幡浜市、大法寺の住職だった明治14年9月の一夜の事。火の手が本堂を嘗め尽くす中、師、越渓禅師の碧巌録(注釈・書入れ本)を須弥壇(しゅみだん)から取り出したものの、顔面、両耳焼けて瀕死の火傷で鬼の顔となって生還した。これを不惜身命というが、母親の子を想う心も、本来、そのようなものだと思います。

これとは裏腹に(二ユースで)子育てに疲れた親の虐待とか、子殺しがあり、悩みの果てが悲劇では、どうにもなりません。不審な家庭状況の場合、地域社会が問題がなくなるまで子育てを請け負い育てる仕組みが要りましょう。

煩悩即菩提が真実とすれば、誓願断とか、断捨離とか・・ゴミ箱整理の話ならともかく、禅(坐禅)では(不思議なことに)悩み・苦しみが、そのまま菩提(自覚・大慈)である・・これを達磨の道う無功徳(ゴリヤクなし)に体験しなさい・・と示すのが禅であり、禅者である・・と思います。               とにかく宗教(禅)臭きは「禅」にあらず・・です。

さらに、自覚(見性)して、どうなるのか・・どうするつもりか・・

宿無し興道と云われた故・澤木興道老師が、著作「道元禅の神髄」で述べておられる・・「万象の独露身(どくろしん)ひとり寂寥に身をゆだねる」・・役に立つも、立たないもない・・渓流の潺(せせらぎ)か・・路傍の小石になる生きざまが禅者である・・が結論となることでしょう。

 

寺僧の教導による坐禅をどれほどしても、    

それは何の役にも立ちません!

達磨・無功徳(役立たない)独りポッチ・イス禅だけが

「煩悩(悩みや不安)即(そのまま)菩提(さとり)」を

自覚させてくれる行為です。

有(会)難う ございました。(6/27 乞食桃水・追記) 

 

◆元服の書 ㉛ 生きるべき道と風に舞う無性のホコリ

庭掃除をしている禅者に、求道者は云った「大悟されたアナタが、今さら掃除をする必要はないでしょう」

中学・高校生とその親御さんたち~第2の人生を歩む方の求道の問いに答えて書いています

そしたら、すかざず「ホラ・・また(迷いの)塵が飛んできた」と、厳しい一語がお返しされた。

   これは、たしか趙州の言葉として、趙州録か・・で見た禅語だが、  

   今 確認するヒマがないので関心のある方は調べてください。

 「人の生きるべき道とは何か・・」

貴方にウッテツケの禅話・・中国唐代120才まで、禅を教導した趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん778~897)の禅語録から、その答えを紹介します。

師の南泉に「如何なるか是れ道」と尋ねた趙州に「平常(心)是道」びょうじょう(しん)ぜどう・・と一語されて、ソノママ大悟した有名な逸話は・・(はてなブログ/禅のパスポート)素玄居士提唱、無門関十九則で意訳中、近日 掲載します。

今回は 小さな禅院を構えた、老熟した趙州に問答する求道者(趙州録)の一節です。

   問う「如何なるか 是れ道」

   師云く「墻外底」(しょうげてい・アンタの歩いてきた小道は垣根の外だ)

   「者箇(しゃこ)を問わず」(ソンナ小径じゃありません)

   「什麼(いんも)の道をか問う」(いったい、どんな道だい?)

   云く「大道」(大きく沢山の人が歩む道のことです)

   師云く「大道透長安」(ナンダ・・大道は長安の都に通じているよ)

 何か・・問う求道者と趙州(禅者)との間でチグハグです。

上から見れば重なって見える会話でも、横から見れば隙間のある チャントした対話になっていない空回りの問答です。

「ドウシテカナ・・?」と感じた、ソノママで、あとは独りポッチの坐禅をして、食い違い・行き違いの発見は、アナタだけでしてください。柔道とか茶道とか、ゴルフ道とか・・ナンでもカンでも「道」をつけたがる日本人ですが、ゼッタイ「禅道」とは云いません。「座禅」とも書きません。

「平常心」とは、スポーツなんかでいう日頃の「非常/平常」の比較から言っているのではありませんし、大道とか小径とか・・対比、大小、分別、差別して趙州は語りません。

趙州には「道は足下」にあり。風に舞い上がるゴミや落ち葉を掃除しているだけなのです。この生々溌剌(はつらつ)な禅境(地)に到るには、大悟して、なおも三十年の修行が必要だと無門は云っています。

 無門曰く 

 趙州たとい悟り去るも さらに参ずること(坐禅)三十年にして始めて得(う)べし。

禅は、仏教の一部として寺僧の教導がありましたが、育ててもらっただけで、本来、仏教(宗教)ではありません。

また、哲学や道徳/倫理・論理的検証の学問でもありません。

ただ・・無功徳(むくどく、ゴリヤクなし)の独り坐禅で、自己発見・発明(悟り/見性)して「禅ニヨル生活」を行っていくだけ・・のことなのです。

私は、坐禅の初歩・・はじめっから終りまで、何かゴリヤクのある「坐禅」と考えず、何も役立たない、効果効用のない坐禅をすることが、純禅の在り方であり、釈尊や達磨、禅語録に登場する禅者の「禅ニヨル生活」であると思います。

貴方が「人の生きるべき道とは?」・・と、内側から湧いてきた「?」を大事にして、この奉魯愚で記述した・・サモサモの解説で納得しないことを祈ります。またテレビや本やスマホ情報、お仲間、団体・組織などあらゆる 社会の干渉から離れて、先入観念に影響されることの無いように。

但し社会生活は、誠実に協力していくことは当然のことです!

 あると思うな親と金!

   ナイトオモウナ運ト災難・・

欣求宗教・組織的教導や知識・薬物による依存は、最も悟りを妨げる出来事です。読み捨てにして、一日1回でも、たったの3分間・独りポッチのイス坐禅を為されますように。一番厄介なゴミは、捨てても捨てても増殖して湧いてくる・・言葉・文字による(頭の中の想い)妄想です。わずかに、3分間ほどの独りポッチの坐禅だけが・・空気清浄機のように毎日のゴミを吸い取って、無性(無聖・無償)で霧消してくれるのです。

有(会)難とうございました。                     

 

 

◆雑感⑴ ゴルフパターと阪神大震災

Qトランプ大統領が来日、安倍首相とゴルフしたとか・・

「ゴルフ」はされますか・・? 

昔、会社の接待ゴルフはしました。今はしません。

そのゴルフの初めて・・を教わったN.Kさん。

戦前からの生粋ゴルフ道の方でした。

 

昭和52(1977)年・・私が関西で独立、創業して以来、事業などで教導いただいたN-Kさんが2002年お亡くなりになった。

香典返しに戴いたC社の10万年間1秒も狂わない太陽光発電の腕時計が17年たった・・現在も正確無比に時を刻んでいます。

地震と云えば、私にとって、阪神神戸大震災が忘れられません。

平成七(1995)年1月、阪神神戸大震災でN-Kさんのお宅は全壊しました。東京で会議をしていた私は、翌日、阪急西宮駅から、全壊した家やビルや倒れ掛かる電信柱を潜り抜けるように、神戸方面のN-Kさんと娘さんや、他、数名の従業員の安否を確認に、壊れた家の間を歩き回りました。関係先のどなたも無事でした。N-Kさんが姫路に避難されるまでの1週間ほどは、寒いガレージで暮らされて、水かお茶と、ホカロンと懐中電灯を要望され、ツイデニご近所にもさしあげました。イザ大変な災難に遭遇すると・・ジュースやパンなど、数日、口には入らないのでしょう。TVやエアコンやピアノが、隣の壁を突き破って、飛び込んできた・・暗闇に屋根の雀が瓦に当たって全滅した・・ベッドで寝ていた人は、どなたも、おそらく70CM位は、飛び上がったのではないだろうか・・東灘区のご近所でも死者が出て、市役所前では、段ボール製の棺桶が組み立てられていくのを、救援に行ったはずの私も救援のパンをもらい齧りながら眺めていたのを思い出します。

どうにかこうにか大阪の事務所に戻ると、普通の会社員姿の人々が行きかい、夜のネオンがまぶしくなって、薄汚れた(ボランテアの)私が、異次元から辿り着いたように思われる・・時差現象にトマドイました。

 閑話休題(それはさておき)・・

N-Kさんは、戦前からの芦屋ゴルフ場会員です。事業を始めたばかりの生意気な私が、初めて接待ゴルフをすることになり「ゴルフの仕方」を教えてもらった方です。積年、貿易関連の仕事をされ、娘さんが私の会社に勤めることになったのがご縁でした。東灘区にお住みでゴルフ練習場が近くにあるから、練習して後、芦屋ゴルフ場に連れて行きます・・と云うことで、早朝、お伺いしました。練習用のクラブをお借りして、練習場に出向いたところ、そこのマネージャーが、借りてきたクラブ(パター)を見て顔色をかえて言いました。

「チョットお待ちください。もしかして、そのクラブ・・竹製ではありませんか?」・・見れば、力を入れて振りまわして、地面に打ち当てればペキンと折れてしまう代物です。出来るだけ力まずにスイングする練習にと、竹製のヤワイのを貸してもらったのだ・・と思っていましたが・・「トンデモナイ、これは戦前に造られた貴重な品です。できれば、ここの応接室に飾っておきたい位の逸品です。こういっては失礼ですが、よくド素人の貴方にポンとお使いなさいと貸されましたな。貴重なクラブです。大事にされて、当方の練習用クラブをお使い下さい」と云われて・・ナルホド・・ゴルフは、イギリス人のド根性=ジェントルマン・スポーツであると、初めて、身に染みて得心できた次第です。

 

芦屋ゴルフ場は、コースのどれも距離が短くホールイン・ワンが狙えるように見えましたが、グリーン(のアンジュレーション)が、微妙で、ホールまでの たった1メートル・50センチが、往ったり来たり・・バンカーにつかまって8回も空振りして、もういい加減ギブ・アップしたら・・とキャデイさんの声がかかっても「Never give upでやりなさい」と、N-Kさんから厳しく言い渡されました。

決して安易な「OK」はしてもらえませんでした。でも、ようやく、コロコロと2メートルほど転がった時でも・・タッタ1本の7番アイアンだけで、グリーンまで通しで対応しても、その慈眼は変わりませんでした。

私は、以降、ゴルフの接待で、相手の方にも自分にも下卑た応対や、いい加減なOK・お世辞のゴルフはしたことがありません。

N-Kさんに学んだ戦前からのゴルフ道・・を自分なりに踏襲できたのが自慢です。

あの日、記念に芦屋ゴルフ場の帽子を買っていただき、裏にマジックで、ファースト・スコア138とマジックで書いて、初心の心構えを忘れないようにしています。

私にとって「ゴルフ」は、紳士の真の「遊び」だと思います。

来日したトランプ大統領も、国賓として迎えた安倍首相も「Golf time is GOLD」・・ゴルフ道と武士道が、実は一緒の事なのだ・・の思いを持たれたかどうか・・。