瞑想・ヨガ・・坐禅=独りポッチ禅のちがい

米国発瞑想法「マインドフルネス」と坐禅の違いを教えてください・・

瞑想で非行再発防ぐ・・女子少年院で導入・・以前、産経新聞の記事でストレスを減らし感情をコントロールする・・そんな記事、私も見たことがあります。

眼を閉じ、椅子に坐り、後ろ手にして、その手に小さなヌイグルミやフィギュアを持ち、手(触覚)のみに集中させるプログラムのことでした。

これは1979年、米マサチューセッツ大のジョン・カバットジン名誉教授が仏教の瞑想法を応用して開発した。「今、この瞬間に意識を向けること」や「気づき」といわれる「呼吸瞑想」ゆっくり足の感覚を確かめながら歩く「歩行瞑想」など、一つことに集中するのは、ストレスの低減や、感情衝動のコントロールに効果があるとされる。米、グーグルやアップル、金融大手などの他、スポーツ界でも、集中力UPが検証されており、脳科学の研究も始まっている。そんな記事でした。

集中している状態を禅では「三昧」ザンマイといいますが、いいことですね。

日本では、昔から、写経とか、書道とか、茶華道弓道、柔剣道など、瞑想以外に「道」といわれる心・技・体の修練がいろいろあります。

職人や匠人(たくみ)の伝統的な作品は、すべて、この集中力が昇華したものだと考えます。

ただし、この三昧の状態を、禅の悟りとするのはまちがいです。

「悟り」は、生活の行い・・そのものの中にあり「坐禅」は玄関に立った状態ですから、母屋にどっかと座るまでは安心してくつろげません。

ですから・・瞑想法など、人から教えられ学んで行う心身修行、苦行ではなく、出来るだけリラックスして、楽しく面白く瞑想オタクも結構・・続けてください。

そして、その上で、宗教でも、哲学でも、倫理でも、医学でも、解決のつかない「人生への問い=真人(しんじん)=真実の人間とは何か?」に突き当ったら、そこからが、貴方ひとりだけが一人で行う、誰にも学べない、教えられない三分間「独りポッチ坐禅」に、自分で自分が入門なさるといいでしょう。

注意すべき点は、瞑想は、姿勢を正して目を閉じますが、坐禅は、眼を半眼にして行います。瞑想の時の「何か手に物を持つ」ことや、ヨガの不自然な体形での集中法はお勧めしません。

そして、ひとりポッチ禅は、千年前の禅語録「無門関」「碧巌録」など、寺僧の先達が修行に提唱した語録の「?」と思う一つの公案だけ、思い返し、練り返し・・解決のない・・役立たずの問題として考えるのです。

道元さんや一休さん良寛さん、おそらく、比叡山法然さんや親鸞さんなど、坐禅をなされたことを、アナタも、独りポッチで、すぐにやってみましょう。

フト、人生に寂寥(せきりょう)を感じられたら、坐禅なさったらよろしかろうとお奨めします。

 

この役立たずの奉魯愚で紹介する「碧巌録」や「無門関」の意訳、どこからでも流し読みしてください。

モトモト・・無門関は、門のない関所の意です。

*お奨めする「独りポッチ禅=三分間ひとりイス禅」は、この昔からの禅の最重要禅語録「碧巌集」ですら、余計な知識として、昔、焚書された経歴がありますから、参考に読み散らして忘れよ・・とする次第です。ただ、納得できないアナタの「疑団」だけは、坐禅の集中の縁(よすが)として、拈弄(ねんろう)なさることです。

「役立たずの坐禅」と言われますが、役立たずと云う「役」に立っているじゃないですか・・

役立たずの「独りポッチ禅」は「執着する心」のアカ落し!   

提唱する「三分間独りポッチのイス禅」は、自分が「面白いか(楽しいか)」または、自分に「得か、役立つか」・・の観点で、行なうよにしたら、これは、まったく的外れ。一切、役立つものではありません。

自分にとって「役立たず」の、箸にも棒にもかからない、そんな三分間・・イス禅であればこそ、いずれは必ず、禅語でいう「無所得=無尽蔵」の世界が開けてくることになるのです。

(イヤ、こんな功徳のありそうな言葉は必要ありません)

また、釈尊が言ったとか・・〇○宗のえらい?坊さんが言ったとか、経典や哲学書に書いてあるとか、尊敬する指導者が導いてくれた・・とか・・著作や漫画、スマホに救われた・・など、対外的な情報による価値観・・これは、自分が創ったものではありません。他の人の経験、知識ですから、参考にするだけで、後はこだわることなくズバリ捨ててしまいましょう。

通販で「私は●◆でこんなに痩せた」と、経験CMに釣られるような、坐禅や瞑想はおやめなさい。

効能書きを読んでも、病気はなおりません。そして薬で病気がなおったら、薬も効能書きも、もう必要ありません。何にも役立たない坐禅であればこそ、釈尊は悟りを得られ、坐禅や瞑想が現代まで続いているのです。

生活の生業、手段や、利権欲望の中に入った瞬間、真の禅・坐禅は消滅します。

だから、独りポッチのイス禅をすすめます。

 

碧巌録の時代から、さらに千年分・・すさまじい知識・文化・・情報が私たち、一人一人に押し寄せています。二十四時間、すきまなく情報の見えない電波にとりかこまれています。もし電波が筋になって見えたら、網目のような、あまりの多さに、どうにかしてくれと言いたくなることでしょう。

こんな過剰な情報は頭脳にとって整理しきれず、一度仕込んだ情報も捨てきれず、千年昔・・臨済のいった・・君の体(面前)から「一(いち)無位(むい・依)の真人(しんじん)」=何事もコピペしていない本当の私(真人)が、四六時中、出入りしているぞ・・それがワカラナイない者は、今すぐに看よ」と迫る言葉が響いてきます。

社会的情報、CM、知識が上書きされ、分別判断のペンキで塗装された頭脳には、自分の悩みまでが他人事のように思える始末です。

この想いやこびり付いた執着のアカをそぎ落として、コピペでない真人(シンジン)を発見する行為・・こそがポッチ禅です。

注意すべきことは、もうこれ以上、誰にも、団体や本にも、スマホにも教導されたり頼ったり、金を払ったりしないことです。

組織的な社会生活は、必ず利権の温床となる宿命にあります。

チョット何かの教えを乞うと、もう、落とし難い「執着」のアカが付きます。

チョット他に頼ると、まるで(情報・知識)の全面降伏の有様。まるで中毒患者の症状になってしまいます。

この私の奉魯愚も・・流し読みして、あとは自分だけで「三分間ひとりイス禅」・・密かに、そっと続けてください。

毎日の悩みや想いの「垢おとし」・・それが坐禅です。

はてなブログ「禅者の一語」「禅のパスポート」ご覧ください。

将棋 羽生善治(はぶよしはる)棋聖(きせい)(47)永世七冠達成!

髙い駒音を響かせる将棋の一手・・将棋は、下手(へた)の横好きだが、2017年12月6日の新聞を見て驚いた。竜王以外の6つのタイトル戦で、規定回数以上のタイトルを獲得(永世棋聖永世名人永世王位名誉王座永世棋王永世王将)していたが、12月5日、渡辺 明竜王に4勝1敗で勝ち、通期7期の竜王位資格も得て、前人未踏(到)の永世七冠を達成したという。

いずれは、知能的な勝負事(将棋やチェスなど)は、AI、PCに敵うべくもなくなるだろうが、電磁的情報社会になる前に、人間同士の戦いで、あり得ないと思う快挙に出くわしたのだ。

素晴らしきかな・・人間!である。

 

PC将棋で・・女性の『(私が)カチマシタ』

ソノ声の・・なんともイマイマシイ・・コト!

あと10年もすれば、チェスや将棋は、間違いなく、人間=頭脳は、電子計算機に百戦百敗の憂き目をみよう。

私も、PC将棋で遊んだことがあるが・・あの電子的女性の声で「勝ちました!」と宣言された時の口惜しさ・・次に一ランク、相手の・・PCに下げてもらって、今度は「敗けました」の声を聴いた時の・・安堵感。優越感・・言葉は悪いが「座間吾美路」(これはPCにうち込んだら勝手に語換してくれました)・・と思いました。以来ナカナカPC将棋に勝てず、あの負けた時のくやしい想いに、それからPCとの対戦は出来るだけ避けている。

とにかく計算能力が、プロ棋士千人が知恵を絞っても、わずか数秒のあいだに何万手の中から、もっとも確率の高い次の一手を導き出すのがPCである。

プロ棋界は、日本的(武士道)の礼儀、作法をもつ棋士の集まりであると聞く。勝負中、チュウインガムを噛む人もいないし、学ぶ少年少女は姿勢よく、礼儀正しい。

観戦の人たちに、スマホで遊んだり居眠りしたりする、ダラケタ振る舞いは見たことがない。

汗や涙を伴わない計算高い相手(pc勝負)には、関与しないのが一番。・・それが吹けば飛ぶよな将棋の駒に・・の心意気ではないでしょうか。

どうぞ、将棋だけは、人と人の「新手一生」升田幸三名人・・のような、たゆまぬ汗か涙の・・人と人の戦いであってほしい・・と願っています。

 

将棋に限らず、PCやスマホのゲームはおもしろいことだろうが、あとは虚しい疲れがドッとやってくる。

サテ・・貴方はどうだろうか。

盤珪の不生禅と白隠の看話禅の違いは何ですか・・

禅・羅漢と真珠    

盤珪(ばんけい)の「不生(ふしょう)そのまま禅」について、教えてください

私の禅、貴方の禅・・独り一人・・

アナタや悩む人それぞれ・・だけに、何の価値もない「禅」がある。

天地いっぱいの「悟」境地がある・・そんな話をするには、禅が日本の鎌倉五山京都五山に、寺僧の教導のもと根を張って大樹となった歴史を知らねばなりません。

・・と言うのは一般論。そんな事は観光、写経の禅寺やPCで検索して、写真なり記事なり見ればよろしかろう・・と思います。

大事なのは、不生「そのまま」の一真実をみれば、それで事足りる・・と喝破した盤珪永琢(ばんけい ようたく 1622~1693)明眼の禅、その一語(悟)を知れば、私の提唱する「独りポッチ禅=3分間ひとりイス禅」の、屋台骨=玄関先が解かってもらえるでしょう。

盤珪には語録文献がありません。

弟子やが聞き書きした出来事が文字に残っているだけです。

これは、釈尊の「仏教=悟りの教え」経典が、すべて「如是我聞(にょぜがもん)」=われ、かくのごとく、これを聞きたり・・の弟子たちによる聞き書きをまとめたもの・・と類似しています。

盤珪の不生禅は、言葉や文字で表現できない、佛教経典とは別の教え・・庶民(人と人)個の人生問題である・・との立場で、ただ一語「不生そのままで済みますわいの」と、悩み素材を料理して、食べやすい食事にしてみせました。

例えば、短気持ちですぐ「カッ」となる人には、ヒョットして起こる短気は、生まれつきの短気持ちではない(原因と結果の出来事にすぎない)

まるで、悩みが雲の如く湧き出ることになっても、「不生」の心持であれば、すぐにスガスガシイ青空が見えてくると「不生そのまま=禅による生活」を説いています。

公案を師家のもと僧堂の坐禅で透過しようとする「看話禅(かんわぜん)」・・を、まるで古本を読みあさるような、役立たずなことをする暇があれば、ただちに「不生そのまま」を獲得すればよい・・」として、温室栽培か接ぎ木のような看話禅を否定して説明、指導しています。

当時、盤珪ほど、生死、妄想、欲気、徳行について悩み抜き、禅達の師を訪ねて行脚し、念仏禅や、欣求禅など、いろんな体験学習した人はおりません。

死ぬ一歩手前まで坐禅に苦しんだ最中「ひょっと」して悩む一切のことは「不生」でかたづくと気づいたと語っています。

 

私の提唱する「独りポッチ禅」では、碧巌録と無門関は、古本ではなくて、関心のある1則を、数息の代わりに粘弄(ネンロウ=おしゃぶり)する、飴玉がわりです。

盤珪永琢の生涯は、岩波書店鈴木大拙「禅思想史研究」四巻中、第一巻全編に「盤珪の不生禅」としてとりあげてあり、約三十年前、読んだ時は、これを破いて食べてしまえば身に着かないかと真剣に思ったほどでした。

*佛教学者であり、禅者でもある鈴木大拙が、達磨から慧能にいたる第二巻・・臨済の基本思想 第三巻・・白隠公案論、禅と念仏の心理学的基礎 計、第四巻にいたる、その初刊に、盤珪一冊、まるごと紹介する所以(ゆえん)・・その深い思い入れに、どうにか馬翁(馬齢)をかさねて、しみじみとした感慨を覚えます。

赤線を引いたり、折ったり、シールしたり・・書き込みしたり・・ひどく乱雑に読了しましたが、私の骨になっている禅者が・・この盤珪さんです。

●もう一人、中世の禅者で独りポッチ禅の先達に、尊敬する抜隊得勝がいます。

彼は「塩山和泥合水集(えんざんわでいがっすいしゅう)」の、求道者との問答「如何なるか禅家の道」の問いに「東廊西廊(とうろうさいろう)」である・・と、無心な(禅による)活き様を描き出し・・続く「いかなるか和尚の道徳」「昨日の雨、今日の風」と答えて、こだわりのない、あるがまま(自然)の禅境地を述べています。後日、白隠(隻手音聲)公案とともに紹介する予定。

(注)抜隊得勝(ばったいとくしょう 1327~1387)臨済宗向嶽寺開山

*和泥合水=泥まみれ汚水まみれのぶざまな恰好を気にせず説話する意。

過年、武田邦彦先生(中部大学教授)の講演をお聞きした時、その著書に「昨日は雨、今日も朝」と座右銘を書いていただいたことがあります。抜隊の禅語と同じような・・禅境地であろう・・と思いました。私は先生のことを、かってに「現代の禅者」である・・と思っています。大変にバランス感覚のある有意義で面白い提言をなされておられます。ブログの発言をお聞きになることを推奨いたします。http://takedanet.com/

 

はてなブログ「禅者の一語(碧巌の散歩道)」/「禅のパスポート(無門関 素玄居士 野晒し評語)」ご覧いただき、有(会)難うございました。 

 

 

父(白鷗居士)の話

禅・羅漢と真珠   

Q坐禅する・・日頃の生活は、どうしていますか。

Q;禅者の食事は和食ですか?

肉や寿司、魚は食べますか?それとも菜食主義ですか?

Q:独りポッチ禅は、目を半眼にすること・・だそうですが、

なぜ瞑想を薦めないのですか?

Aお答えする前に、「禅者」とはどんな人を指すのか・・書いておきます。

まず、坐禅をする暮らしの中で・・自分とは何か・・人生とは何か・・禅(本来の面目)とは何か・・大覚(悟り)見性して「禅による生活」を行う人を言います。

仏陀(悟りたる者・・釈尊)の教え・・今から約二千五百年前、ゴーダマ・シッダルダという釈迦族の王子が、ガンジス河畔の菩提樹下、体調を整えられて、独り、坐禅を組まれ、暁の明星を見て大悟。以後・・坐禅して大覚(見性、透化)する人のことを「禅者」といいます。

釈尊は、後に、悩み多い大衆の為に、縁起・無常を説かれ全国を行脚して布教されたのが、「仏教」の始まりです。

*経典、教団は、釈尊が亡くなられて500年後位に、組織化され,編纂されました。

「禅」は、初め・・仏教のもと(宗・元・玄・素・源)という意味で禅宗といわれました。現代の欣求宗教的な団体、寺僧組織の事ではありません。また、寺僧以外の、一般大衆が求道、坐禅して悟りに到った人を「居士(こじ)・禅子(ぜんす)」と言い、総じて「禅者」と称します。

この寺僧以外の民間人で達道の禅者の身近な事例をあげましょう

私の父、加納白鷗(1914~2007)は、おそらく居士として、日本で最後の人であつた・・と思っています。

書や作陶、禅境画を芸業・ナリワイにした、富山、氷見の魚問屋の出身です。

この日頃の生活を書いて質問に答えます。

なんでも、小さい頃から病弱で、仕事の跡継ぎには向かぬ。

寺の坊さん向きだと親から言われていたそうです。ですが、祖父が18才の頃亡くなって、寒ブリの商いをすることになり、殺生仕事に悩んで、近くの臨済宗本山、国泰寺の江南軒、勝平大喜に師事、参禅をしました。戦前、老師より「大魯」の居士号と、老師より紹介された鈴木大拙博士(仏教学者・欧米にZENを紹介した禅者)に鞭撻され「白鷗」の居士号をうけ、戦後は魚問屋を弟(加納 勝)に譲り、京都で芸業の生活(文人)として生涯を過ごしました。昔から肉、魚は一切飲み食いせず、生涯、采食でした(酒は招待の酒席で、遠慮なく杯を受けたようですが、姿勢正しく、酔った姿は見たことがない・・と母が言っていました)

いつも温顔で、目はスガスガシク、行住坐臥、すべてに誠実叮嚀で・・禅は「行い」が総てであることを、生活の中で静かに見せてくれていました。

どうして、くだくだしく書くのか・・と思われるでしょうが、私の名、泰次は、この父の師、勝平大喜老師につけてもらった・・昭和17年の手紙があります。

泰次郎と言うより、これからは短く「泰次」とするがよいでしょう・・と書いてあります。

この父に面と向かって怒られた事・・生涯一度もありません。

思い出しました・・学生時代、鎌倉の円覚寺、続燈庵(故・須原耕雲老師)に寄宿して、お茶の水に通学している初年、60年安保で、東大の樺さんがなくなる大騒動の時でした。多分、道向うの松が丘東慶寺鈴木大拙翁を訪ねた用事の帰り、続燈(後に焔魔堂の弓和尚といわれた)に立ち寄って、私のいる三畳の間を覗いたのでしょう。

机上の便せんに・・「このドブネズミめが・・騒動の東京~鎌倉(通学)行ったり来たりして何の役に立つ」・・と、激しく罵られた手紙で奮起したのを覚えています。

もっとも、毎日の如くデモには出席?し、東京の道に迷って大学の演劇クラブ(実験劇場)室に寝泊まりして、1年先輩の大鶴(唐 十郎)さん等から、高邁な?演劇論を聞くのが日課でした。青春とは失敗するに恐れないことだと思います。社会人になってから、何事につけても役立っています。

父の関係で、南禅寺の柴山全慶老師のお写真を撮影させてもらったり・・お礼に書をいただいたり、次の管長さんが、勝平宗徹老師(国泰寺大喜老師のお弟子さん)であったりして、書・画の展覧会など、何かにつけて優れた禅者の方がたにお目にかかれたことが、禅の鞭撻に力を預かれたことでした。

坐禅で思い出すことは・・正月の挨拶に尋ねて、二階の書斎のフスマを開けたところ、父のドーンと坐禅している姿があり、思わず見とれてしまいました。

床の間には一休宗純の「無」一字、大書の掛け軸があり、獨坐大雄峰がソノママ体感された次第でした。

(後年「大慈」と書いた扇子と、臨済録にある投機の書「孤輪獨照(こりんひとりてらして)江山(こうざん)静(しずかなり) 自笑一聲 天地驚(おのずからわらうこと いっせい てんちおどろく)」をくれました)

九三歳で亡くなりましたが、以前、山で拾ってきた柴犬(雑種、名・梵子)が、哀しくキユーキュー鼻で哭いて、同夜、父の傍の座布団で(殉死?)亡くなりました。近くの西教寺の和尚さんが、奇特なこともあるかな・・と枕経をあげてくれました(火葬は法律により一緒にできず、ペット火葬で別にしました)

既に、逆葬(生前葬)をしており葬式はしませんでした。

号は野風山人。いつも寂寥の風に長髪をなびかせている、鈴木大拙翁と同じ長いマツゲ(5CM位の)瞳大きく、鼻の高い風貌の・・禅者でした。

父は禅語で言う「木鶏(もっけい)」であり「閑古椎(かんこつい)」でありました。

   母は(2017年11月現在)満百歳の長寿で、妹の老々看護のもと

   滋賀、琵琶湖を見下ろす山麓で静養しております。

  *百丈獨坐大雄峰・・碧巌録 第二十六則 

   僧問う「如何なるか奇特のこと」

   百丈云く「獨坐大雄峰」・・百丈懐海(唐・720~814)

   1日作(な)さざれば1日食せず・・稀有の勤労実践の禅者。

A: 禅者の生活は、まったく普段の生活風景です。どこのどなたとも変わりない、行住坐臥の毎日です。

A: 禅者の食事は・・ゴマ油で炒めた野菜、卵、大豆(豆腐・納豆・高野豆腐・豆乳)など。あと果物好きです。炭水化物(ごはん類と魚・肉は少なめ)ですね。

姿勢は正しく、物事はテキパキとします。

総じて、認知症は少なく長寿の方が多いようです。

A:瞑想では・・とりわけ目を閉じると妄想が湧きます。また眠くなりますので薦めません。背筋を伸ばし(姿勢を正し)椅子に坐り、1呼吸10秒程度の静かな数息で18回=180秒3分間、何の価値なき独りポッチ禅をするだけ・・を推奨します。

 

好き勝手は、天真爛漫のこと・・ではないぞ!

禅・羅漢と真珠  

「ポカン・・とした3分間」は「坐禅」じゃない!

    【500年前の坐禅の注意書】     

何の役にも立たない坐禅・・どうすれば・・

「3分間ひとりイス禅」では、指導者とか、お仲間とか、誰かと一緒になって坐禅することをお奨めしません。必ず、集団心理(迷い)が働きますので・・.

もともと、生まれるもひとり・・生きるも独り・・されば死するもヒトリ・・と禅語にあるとおり、社会的なつながりや、学校で学んだ知識・体験など、コピペした、あらゆるものを捨て果てて・・それから・・三分間・・心は「丸裸」であれ・・と「ひとりイス禅」をお奨めしています。

*イスに背筋を伸ばして坐り、眼は半眼に。肩やお腹、手の力を抜いて、静かに鼻で呼吸してください。出来ても、出来なくても・・ただ、それだけのイス坐禅です。

両手はどうしたらいいのか・・など、聞く必要はありません。

自分で最も、落ち着く手の置き方でいいのです。

寝ている時、手はどうしたら・・蚊が飛んできたらどうする・・とか・・考えません。

自然に・・どうなるか・・どうしてるのか・・気にしないことです。

思いが湧いたら、まるで雲が湧くのを看るように、放っておくことです。

「思いはアタマの分泌物・・」と、曹洞宗系の・・どなただったか忘れましたが見事に喝破されています。何にも役立たない・・たったの三分間・・これがなかなかに難しい。

好き勝手は、天真爛漫のこと・・ではない点 注意してください!

以下、坐禅(瞑想)時の、注意点について・・

500年、昔の坐禅の参考を書きましたが、関心のない方、飛ばして読んでください。

無異元來(1575-1630)著 「博山和尚参禅警護」

無異元來(1575-1630)著「博山和尚参禅警護」意訳=鈴木大拙 禅思想史研究 第四「工夫的精神の意義と機能」発行 ㈱岩波書店・・抜粋

1 世間体のあらゆることに心を煩わせないこと。

2 静寂・黙思に執着しないこと。

3 天地万象に囚われるな。

4 ネズミをとる猫のように、惺々(せいせい)

       明歴々(めいれきれき)たれ。

5 日日の進歩。工夫、努力をおこたるな。

6 公案に知的(分別的)解釈を試みるな。

7 小賢(こざか)しい解釈をしてはならない。

8 ポカンとしているのを工夫、進歩と思うな。

9 錯覚、誤解にとらえられるな。

10 做工夫 不祇是念公案

          念仏称名のように公案を念ずるな。

これら注意を守る時は修行者は確実に疑情(真実への希求心)をして成熟の状態にいたらしめる。

そうでないと、疑情を起こすことが出来ないばかりでなく、修行者は邪路に堕すであろう。即ち、禅の真理を體會(体得)し得ぬであろう。

・修行者の落ち入る邪路というのは・・次の如きものである。

・知的了解によりて公案の内容を検討せんとする

・厭世的意向を生じて、ただ寂静・無人の處を慕う

・情識・妄想の心をもって、意識上に強いて澄澄(ちょうちょう) 

 湛湛底(たんたんてい)の境地を現出せんと勉める

・古人の公案を把って分別理解上の穿鑿(せんさく)をする

・この身體と思われるものの中に、心というものがあって、その

 物が往来したり能(よ)く動き、能く静かに無形無相なれど、

 根門頭(ろくこんもんとう)眼耳鼻舌身意=色声香味触法)にお

 いて色々と活躍すると想像する

・この心が・・手足を使って善悪の業を成ずると考える

・然(しか)ざる場合には、この身體を無暗に苦しめて、禁欲主義 

 の生活に解脱を求める

・積極的には徳を積み、善を行じて、佛果を獲んと思う

・或いは放逸にして無軌道的生活を営み、それで天真爛漫(てんし 

 んらんまん)だと信ずる

・自分の優越感に沈溺(ちんでき)して自制を知らぬ

●真実の参究心を持ち合わせぬ修行者は、実際生活上、種々の方面において、支障百出の憂き目に遭い、したがって公案を本当に看ることが出来なくなる。

●看話禅の修行の容易でないことが分明になる。

どうですか・・仏教学者であり、禅者である故・鈴木大拙が、四・五百年前の参禅注意書を紹介する意図は何か。

まず一つは、欧米で流行の「ZEN」への誤解と戒め・・そして、現代の僧堂の修業の在り方が・・温室栽培・促成的な、味も香りも色艶まで薄いトマトやキュウリ、茄子のような、禅寺後継者養成所であることを憂えた、古文引用であると思います。

 

 

妙好人と禅者のちがいは・・?

禅・羅漢と真珠  

妙好人(みょうこうにん)「浅原才市」(1851-1933)と、禅者との違いについて、お話ください

娑婆が、そのまま極楽になり、凡夫が、このまま佛(覚者さとりのひと)だと云う鑑覚(かんかく=悟り)の、著しい例は、真宗の「妙好人」なるものに見出すことが出来る・・と、「鈴木大拙の世界」・・燈影社刊「このままということ」の項で、妙好人は、禅者とまったく変わらない悟境の人たちである・・仏教学者であり、禅者の故・鈴木大拙は述べています。

    *如今鑑覚(にょこんかんかく=百丈)・・ただ・いま・・を体覚する・・悟覚の意。

この石見の国(島根県)は、才市翁の他、不思議に、多くの妙好人を輩出していると、その著作で書かれています。

一向一揆の加賀(金沢)出身の鈴木大拙翁(1870-1966)が、世界に紹介した他力本願の真宗信徒が、はたして「禅による生活」をなす自力悟道と、まったく共通の境地にいたる・・とは、驚きであり、昔からナカナカ納得しがたい出来事でもありました。

    この娑婆世界から極楽に生まれる

   早道は外にない、

   やうぱり(やっぱり)この娑婆世界なり。

   娑婆の世界もなむあみだぶつ、

   ごくらく世界もなむあみだぶつ。

*彼は、南無阿弥陀仏と一体になっていることに気付かずに居る。

 そこに妙好人の不可思議な存在がある。

 少し長いが、いくらか引用しないと、その境地がわからぬ・・以下略)・・

かねてから・・「禅」は、「欣求的=宗教ではない」と主張する・・ようになった一つの理由は、この妙好人の「悟境(地)」が、禅境(地)と同じ・・欣求・祈願のない・・「対象の無い境地」に溶け込んで一体化している・・生活であることでした。

学識や寺僧・導師や宗教経験など仏道・求道のTPOの一切合切が関与しない「ナムアミダブツ」=安心の世界がここにあります。この文字、漢字もよく知らない下駄職人の悩み多い暮らしが、そのままに、明るく、安心(あんじん)に一変する・・妙好人は、浄土真宗系の人だけに発現した、素晴らしい悟道の生活そのものです。

(私の、勝手な推論ですが、おそらく、親鸞もまた同じ境地の方であったことでしょう)

一般の方が、よく「禅」について、誤解されるのは、まるで、悟(さとり・覚)の境地を、お釈迦様の坐像のように、悟り澄ましたイメージで持たれることです。

これは大変な誤解です。

(私は、よく禅語録に出てくる「佛(悟道の人=覚者)とは何か」・・の問いに、仏壇の釈迦如来像を思い浮かべる・・先入観・誤解を払拭するため、総て「佛(道)とは何か」を「禅とは何か」に入れ替えて、意訳しています)

悟りを得ての境地、境涯は、まったく平生の姿、日頃の行い・・食べること、働くこと、トイレに行くこと、寝ること・・暮らしの総て・・に、変わることはありません。

(暑い時は暑いし、寒い時は寒いのです)

ただ、その人の内面・心理は、いつも明るく、素直に、ピチピチ、テキパキと躍動していて、今、ソノことを為す・・のに、全身全霊をかけています。

 例えば、禅者が見る・・混雑の街頭風景は、例えて悪いのですが・・通行人が、足の無い幽霊(今時の、まるでスマホに執り憑かれている若者)のように・・フワフワと頼りなく動いて見えるのです。言うことも、為すことも、他人の影響をうけての言動ばかりで、信念を持って、自発的な生活している・・風には、とうてい見えないのです。

妙好人と言われる人(禅者もまた)は、どうして、ピチピチとした新鮮で、詩的な発言ができるのか・・「不思議に思う」・・その点そのものに「答え」があります。 

こうした禅語録・公案の一つ一つ話題・内容が違っても、例え千年前の禅者の生活・行動であろうと、妙好人であろうと、達道の人の悟境は、道を歩く姿一つ、ご挨拶一つでわかります。

その達道の禅者の見分け方・・の公案を附記しておきましょう。

  *無門関 第三十六則 路逢達道(ろほうたつどう)

   五祖云く 路に達道の人(禅者)に逢わば、語黙(ごもく)をもって對(たい)せざれ。

   且らく道(い)へ。何をもってか對せん。

  戦前、禅は宗教ではないと説いた素玄居士は、この則に・・

   「片脚を曲げて立つ」と頌しています。

    後日、はてなブログ「禅のパスポート」で詳細紹介します。

妙好人については、母を養うため、焚き木を売り歩いていた、文字を知らず、米搗きの田舎猿とさげすまれた・・南宗禅六祖・・・曹渓慧能の禅機(投機の偈)に近しい印象をもちます。

また盤珪(ばんけい)の「そのまま・不生禅」や、生涯、山居独坐した抜隊(ばつすい)の「写経禅」も同様です。

折に触れて紹介していきたいと思います。